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 闇の中、なにかが弾ける音がした。

「黒い天使さん、すこーしお尋ねしたいのですけれどぉ。どうして、クロードさまはあんなにも精霊の気配が濃いんですの? あの方からは確かに人の匂いがしますのに、あれではまるで精霊そのものですわぁ」
「貴女、クロードに会ったの……!?」

 沈んでいた意識を無理やり引き戻され、喘ぐように言ってからシンシアは自分が声を発していることに気がついた。この魔女に囚われて以来奪われていた声が、どうやら一時的に戻されているらしい。
 全身が痛む。冷たく暗い洞窟の中、もうどのくらいの時が流れたのか分からなかった。
 身体が震えるのは外気の冷えのせいだけではないだろう。耳に注ぎ込まれた言葉が、身体の芯から冷やしていく。

「ええ。もしかしたら、もう死んでしまっているかもしれませんけれど〜」
「あの人は、簡単には死なない」
「ということは、あの方は人ではありませんの〜?」
「……クロードは人だよ。まぎれもない、人間」
「今は、でしょう?」

 嫣然と微笑むベスティアの魔女は、指先についた赤黒い汚れをシンシアの鼻先に押しつけてきた。避けようと顔を背ければ、翼に穿たれた杭がさらなる痛みを植えつけてくる。
 寄せられた匂いに、心臓が高鳴った。冷や汗が噴き出る。

「貴女、それ……」
「クロードさまのものですわぁ。不思議ですわよねぇ。見た目も匂いもちゃあんと“人間”ですのに、あの方の血は精霊と変わりませんの。こんなものを人の器に入れているだなんて、非常識じゃあないかしら〜」

 間違ってもベスティアの魔女にだけは非常識を語ってほしくなかったが、今のシンシアにそんな軽口を叩く余裕はない。
 かつて同じ時を歩んだ愛しい人の血が、今、目の前にある。乾いてこびりついたそれに小さな舌を這わせ、レティシアは見た目だけは愛らしく首を傾げた。

「王者の気配はいたしますのに、どこにも王様はおられない。精霊の気配が濃く滲み出ておりますのに、人の匂いしかしない。とーっても不思議ですわねぇ」
「クロードに手を出さない方がいい。でないと貴女、きっと後悔する」
「まあ、素敵。わたくし、ながーい時を生きておりますけれど、生まれてこの方一度も後悔なんてしたことございませんの。一度してみたいものですわぁ」

 ベスティアの魔女にとって、それは本心だったに違いない。たとえなにが起ころうと、なにを相手取ろうと、彼女にはそれに敵いうるだけの力があるのだろう。
 だが、この地はそうはいかない。
 炎に呑まれた大地は焼ける。焦土に花は咲かず、水は枯れ、生き物は死に絶える。
 ベスティアがどうなろうと知ったことではない。シンシアには関係のない話だ。だが、万が一ベスティア全土が焼け野原と化したとき、そうしたのが自分だと知ったら“あの人”はひどく苦しむだろう。

「……私が全部話せば、解放してくれるの?」
「いいえ。それはできませんわぁ」
「どうして? 貴女、私がどこの誰か知りたいんでしょう? 教えてあげるから、だから、」
「必要ありませんわぁ」

 くすくすと上品に笑い、唇に笑みを残したまま、レティシアは青灰色の目をシンシアへと向けた。手のひらに生み出したシャボン玉に映った景色を見て、奪われてもいないのに声が出ない。

「プルーアスが皇帝ローラント・ベル陛下の愛玩鳥(ペット)、シンシア・レイザーラ。有翼人と――すなわち幻獣と魔物との合いの子。闇の翼を持って生まれた異端児。プルーアスでの愛称は『お鳥様』。そして……」

 シャボン玉の中に、見慣れた玉座が映り込んでいる。そこに座る人物はただ一人だ。物憂げな表情で書類を眺めている。
 やがてシャボン玉は弾けて消えた。レティシアが指でつついて割ったのだ。
 たっぷりと間を開けた彼女は、人形のように愛らしい微笑みで言った。

「プルーアスの秘宝、『黒翼の剣士』」


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 咲き乱れる氷の花。
 貴女、その冷たさを知らない。
 赤く染まった氷の花。
 貴女、その蒼さを知らない。

 大丈夫、貴女、その花を咲かせる。
 大丈夫、貴女、その花の名を知っている。

 だから教えて。
 いくつもの千を越えて。

 花の名を。
 花の色を。
 花の姿を。

 戦火の花は、赤き花。
 それは貴女の花ではない。
 貴女だけの氷の花を、咲かせて。


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 次の魔導師戦には、シエラが同行することが決定した。軍議の場でエルクディアが声高に反対を叫んだが、政治を担う重鎮達はそれを真っ向から跳ねのけた。
 好き好んで人間同士の戦に参加したがる聖職者はいない。また、兵士達も十番隊の敗走によって士気が低下している。ならばここでシエラ・ディサイヤを戦場に送り、戦女神のごとき様で率いてもらうより他にないという主張だった。
 あまりにも危険だというエルクディアの主張は、アスラナ国王の一言によって完全に退けられる結果となった。ユーリがシエラを出すと言った以上、エルクディアには否やを唱える権利はない。このときの彼らの胸にどんな思いが渦巻いていたのか、正しく理解できるものはほとんどいなかっただろう。
 話を聞かされたシエラは、怯えた様子も抗う様子もなく、静かに「分かった」と頷いて了承した。まるで初めからそうなることが分かっていたかのような落ち着きぶりに、命じたユーリの方が眉を寄せたほどだった。傍らに控えていたオリヴィニスの高僧がなにかを言いかけたが、シエラはそれを制して首を振った。美しい金の瞳は、凪いだ湖面のような静けさだ。
 時渡りの竜を肩に乗せ、シエラは赤い天鵞絨張りの椅子にゆったりと腰かけている。長い睫毛が影を落とし、唇から零れる吐息は早朝の森林に漂う清廉な空気を思わせた。
 彼女はこれほどまでに大人びた雰囲気を出していただろうかと、対面したユーリは思案した。年齢のわりに大人びた容貌ではあったものの、無垢と言っても過言ではない性格は子どもじみていたはずだ。それなのに、今目の前にいる少女は女の顔でユーリの話に耳を傾けている。


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