11 [ 535/682 ]

「よあ、けが、」
「え?」
「夜明けが、くれば、戻る、からっ……」

 夜が明け、太陽の目覚めと共に月が眠れば涙は枯れる。
 何事もなかったかのように振る舞うことが、神の後継者には求められる。
 そんなことくらい、分かっている。

「もう、眠りたい……!」

 なにも考えずに、夢さえ見ずに、朝までぐっすりと。目を覚ませば、いつものように過ごしてみせると約束する。その約束は他ならぬ自分と交わした。
 濡れた瞳がシエラを見上げ、ルチアは苦しげに眉を寄せた。手の甲で乱暴に目元を拭った少女が、呼吸を整えてからシエラの頬に手を添える。

「わかった。――おやすみ、シエラ。だいじょーぶだよ、こわいゆめは見ないから」

 柔らかな唇が優しく触れる。何度か啄まれていくうちに、シエラの意識はすうっと闇に吸い込まれるようにして消えていった。舌に感じた塩辛い味がルチアらしくないなと、そんなことを思いながら。


+ + +



 苦しいのなら、痛むのなら、大丈夫、蒼い花咲かせて。
 氷の花、咲かせて。


+ + +



 絶望が身体を縛り上げ、呼吸さえ妨げるようだった。目の前が暗く染まり、得体の知れないなにかにじわりと侵食されるような、生理的嫌悪感さえ覚える不快感が腹の底からせり上がってくる。ここにいたくないと強く思った。
 恐怖に絡め取られた舌は震え、思うように動かない。
 立派な造りの理事長室の中で、ラヴァリルは顔を真っ青にさせて立ち尽くしていた。

「お前は本当に駄目な子だ。どの隊が出てこようと、その隊長は確実に殺せと言っただろうに。よそ見ばかりして聞いていなかったのか?」
「で、でも、あたし、ちゃんと撃ったよ! 魔物だって襲いかかってたし、かなりの重傷だった! あの様子じゃ、普通助かるはずない!」
「馬鹿者! 城には何人の優秀な医師がいると思っている? それになにより、出てきたのは十番隊だったのだろうが。だとすれば隊長はフェリクス・ブラントだ。並の体力ではあるまい。ゆえ、その場で、確実に、殺せと言ったはずだ」
「そんな……」
「聞き分けのない子には、仕置きが必要だな」
「ま、待って! お願いっ、次はちゃんとするから!」

 ソファに深く腰掛けていたロータルがゆっくりと立ち上がり、縋るような目を向けるラヴァリルをきつく睨んだ。皺の刻まれた指先がすべらかな頬を撫で、薄い喉元の皮膚を引っ掻いていく。恐怖と嫌悪感に逃げ出しそうになる身体を懸命に押さえつけ、ラヴァリルはロータルを静かに見つめていた。
 やがて、ロータルの腕がラヴァリルを捕らえた。最初はきつく、そして優しくラヴァリルの身体を抱き締める。強張った身体を宥めるように背を撫でさすられ、呻くような声が漏れた。耳元で囁く声は、赤子をあやすかのように優しい。

「当然だ、ハーネット。二度も三度も失敗するようでは困る。その心がけはいい。だがな、物事には代償が伴うことを忘れるな」
「え……?」
「もう遅いのだ、ハーネット。お前のせいで、罪のない生徒が一人旅立たねばならなかった」

 訳が分からない。分かりたくない。
 ロータルはなにを言っているのだろう。頭が理解することを拒否していた。身体の芯から冷え切っていくのを感じながら、ラヴァリルは懸命に身を捩って拘束から抜け出し、もつれる舌を動かした。

「そん、……うそ、なんで、さり、サリアは!? サリアをどうしたの!?」

 そのときロータルの浮かべた笑みを、ラヴァリルは一生忘れることができないだろう。年齢の刻まれた口元がゆっくりと持ち上がり、牙を剥く直前の獣が舌なめずりをするかのようだった。ぞくりと寒気がし、喘ぐような浅い呼吸をするラヴァリルの目の前で、ロータルは緩慢な動きで手を挙げて合図をした。
 それはロータルの秘書達に向けてのものだと、長年彼の下についているラヴァリルにはすぐに分かった。だが、今この場で秘書を呼ぶ必要性が理解できない。合図を受け、理事長室の奥にある隠し扉がキィと音を立てて開く。扉の向こうには、護衛のための用心棒が控えているはずだ。
 中から見慣れた秘書と共に数人の屈強な体格の男達が現れ、運んできた荷物を無造作に放った。目の前に投げ転がされた麻袋は赤黒く汚れ、染みでた液体によって絨毯が汚れた。鼻を突く生臭さに、どくりと大きく心臓が跳ねる。
 ――嫌だ。嘘だ。ありえない。だって、ちゃんと言われた通りにした。
 縫い止められたわけでもないのに、ラヴァリルの視線は汚れた麻袋から外すことができなかった。膝が痛い。いつの間にか腰が抜け、床に膝を強打していたらしい。

「どうした、ハーネット。開けてみろ」

 普段なら、触るどころか近づくのも嫌なほどの汚れと臭いだ。間違っても中身を検めたいとは思わない。
 吐き気さえ覚えながら、手で這うようにして麻袋へと近づいた。もはや自分のものとは思えないほど震えた手で、きつく結ばれた麻袋の口を広げる。濡れた結び目は固く、力の入らない手で解くのは時間がかかった。ぬめる指先が赤く染まる。悲劇を予期した涙が、自然と眦を伝い落ちていく。
 袋の口が開いた。絶望が牙を剥く。同時に、ラヴァリルの口からも悲鳴が漏れていた。
 麻袋を覗き込んだラヴァリルは、光を失った親友と目が合ったのだ。

「いやぁあああああああああああああっ!」

 反射的に手を放せば、床に投げ出された麻袋からごろりとなにかが転がり出る。にわかには信じられないことに、それはまだ年若い女の、血に汚れた生首だった。
 どれほど凄惨な光景か、言葉だけでは想像がつかないに違いない。荷物のように無造作に袋詰めにされた首は、彼女自身の血で汚れて髪が顔に貼りつき、生前の活発な表情を掻き消していた。死の直前に見たものはこの世の絶望だったのか、開いたままの目は驚愕に瞠られているようにも見える。


[*prev] [next#]
しおりを挟む


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -