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 ほら、見て。
 花が咲く。
 蒼い蒼い花が咲く。
 まるで貴女のような、綺麗な花。
 氷のように、冷たい花。


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 寝室に用意された大きな天蓋つきの寝台(ベッド)は、透けるような美しい紗を垂らしている。細やかな意匠が凝らされ、それだけで芸術品とも呼べる代物だ。その紗の向こうに、美しい蒼い髪で自らを閉じ込めたシエラがいた。白い寝間着のまま、毛布も被っていない。部屋はほどよく暖められているとはいえ、このまま朝を迎えれば風邪を引くだろう。
 寝室に続く扉が開いた音を聞いたが、シエラは顔を上げることなどできなかった。
 今度は誰だろうか。ずきりと痛む胸を抱えたまま、そんなことを思う。
 
「どーしたの、シエラ?」

 聞こえてきたのは、どこか心配げなルチアの声だ。どこかほっとしたが、シエラはぴくりと身体を揺らしただけで、顔を上げようとはしなかった。
 そんな彼女に寄り添っていたテュールが、ルチアの元まで飛んできて鼻先を摺り寄せる。心配そうにシエラを見つめる左右異色の瞳が細められたのを見て、ルチアは首を傾げた。
 暗い室内、挙動のおかしなシエラ、不安げなテュール、――ほんのりと部屋に残るエルクディアの香り。
 それだけでルチアには十分だったのだろう。詳しいことは分からずとも、シエラの様子がひどく不安定だということだけは肌で感じ取れたらしい。薄氷の上を歩くような危うさで、今にも砕けてしまいそうなほど脆く、触れるのも怖いほどの儚さがシエラから漂っている。

「どーしたの、ねえ、どーしたの、シエラぁ。あのね、フェリクスならだいじょーぶだよ。ルチアね、ちゃんとおくすりつくったから。だから、」

 だから、大丈夫。
 シエラの元気がないのは、きっとフェリクスが大変だからだ。そう思ったらしいルチアは、必死にフェリクスの容体について話した。今はもうすっかり安定しているし、血を増やす薬も置いてきた。だから大丈夫だと、何度も、何度も。
 そっとベッドに乗り上げて、小さな手が懸命にシエラの頭を撫でる。撫でるたびに大丈夫だと告げられ、最もシエラの心を蝕んでいる要因がそれではないことに、罪悪感で舌を噛み切りたくなった。
 どれほど自分は最低なのだろう。

「……ルチア。お前の毒は、記憶すら消せるか」
「え? えっと、そーゆーのもあるけど、でも、なんでぇ?」
「いっそ、忘れてしまえば……」

 言葉が詰まった。目の奥が焼かれたように熱い。
 膝に顔を埋め、組み合わせた手を強く握り締めたシエラに、ルチアが息を飲む。シエラからは見えない大きな漆黒の瞳がより一層丸くなり、そして切なげに細められた。

「……むりだよ、シエラ。ルチアね、シエラの味方だけど、シエラの味方だから、それはできない。だってね、“それ”を消しちゃったら、シエラ、ぜったいぜぇったい、あとで苦しくなっちゃうもん」

 小さな手が、頬に触れた。子どもらしい温かな体温がじわりと伝わる。導くように顔を持ち上げられ、濡れた視界に優しい微苦笑が広がった。まだ十にも満たない幼子だというのに、ルチアは大人びた表情を浮かべてシエラの額に唇をそっと寄せる。
 放たれた香りの甘さに、より一層視界が滲む。

「ねえ、シエラ。……シエラは、恋をしてるんだねぇ」

 誰もはっきりと言わなかったその言葉に、シエラの胸が大きく震えた。怯えるように肩が跳ねたが、それすら包むようにか細い腕が頭を抱く。ゆっくりと慰めるように頭を撫でる手は、自分よりも遥かに小さいのに。なのに、なぜだかシエラは姉の手を思い出していた。
 吐息が揺れる。嗚咽が絡んだ喉がみっともなく震え、眦を熱いものが零れていった。
 遥かに年下の子どもの前で、なんと情けない姿だろう。そう思うのに、身体の震えが止まらない。

「あのね、ルチアもね、恋をしてるんだよ。恋ってあったかいし、とってもしあわせだけど、くるしいよねぇ。つらいよねぇ。ルチアもね、ラファータに会いたくって泣きたくなるんだよ。でもね、あのね、だいじょーぶだよ。分かんないけど、だいじょーぶだよ。だってシエラは、エルクに恋をしてるんでしょう?」
「っ……!」
「エルクかっこいいもんね、優しいもんね。好きになっちゃうよね。エルクがシエラのこと、もっともっと好きになるように、ルチアがおくすりつくってあげようか? ルチア、できるよ。ねえ、シエラぁ、だから泣かないでよぅ。シエラが泣くと、ルチアまで泣きたくなっちゃう」

 新緑の瞳が、シエラを見ない。視線は確かに絡むのに、その手は確かに触れるのに、彼が見ているのは神の後継者であってシエラではない。
 そのことがあまりにもつらく、苦しい。こんな気持ちになるのなら、なにも知らないままでいたかった。この感情に、名前などつけたくなかった。
 すべてが間違いだったというのなら、どうして抱き締めたりなどしたのか。どうして、熱の籠もった声で名を呼んだりしたのか。最初から線を引いておいてくれれば、無理にそれを跨いだりはしなかったのに。
 噛み締めた唇から、引き攣れた嗚咽が漏れる。茨の棘が心臓に絡んだら、これほど鋭く痛むのだろうか。
 ならばそれは氷の花だ。美しい見た目に近づいて摘み取れば、氷の棘が突き刺さり、その冷たさで肉が死ぬ。冷たさに耐え切れずに放り出せば、砕けた氷の破片が身を貫くのだ。
 我がことのように涙を流し、ルチアは必死にシエラを抱き締めた。回りきらない腕で守るようにシエラを抱き締め、「泣かないで」と繰り返す。



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