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 皆が紅茶を飲み終えた頃、ライナが持ってきていた地図と数枚の書類を円卓の上に広げた。
 代わる代わるに覗き込みながら、エルクディアが何事かを呟いている。地名のような気もしたが、シエラにはいまいち理解できなかった。ライナの指先がある一点から地図の端までを辿り、次に別の点を指す。
 円卓の隣にレモンを入れておく木箱を引き寄せて腰掛けていたマーリエンが、「大変だねぇ」と零した。

「マーリエンさんは聞いたことありませんか? この辺りに出る魔物の話」
「へ? あんたら、それを目的でこの店に来たんじゃないのかい?」

 心底驚いた様子のマーリエンを見て、ライナが固まった。

「え……そう、ですけど」
「ここの近所の息子がね、一番最初に魔物を見たってんでお城に連絡したらしいんだけど……あんたら、仕事ってことはその話を聞きに来たんだろ?」

 ひくり、とライナの頬が引きつったのを、シエラは見逃さなかった。エルクディアは大きな溜息と共に首を振り、ライナに「落ち着け」と声を掛けている。
 間に挟まれてなにがなにやら分からないシエラは、とりあえずくてんと首を傾げるだけに留まった。
 しかし隣からライナのものとは思えぬ低い声音で「帰ったらただじゃおきません」という呟きが聞こえ、広げられた書類のうちの一枚を気まぐれに手に取ってみた。

 そこには報告者の欄が空白のままで記されている。
 一番上を見てみれば、王直筆の任命書であることが分かった。――つまり、あの青年王はわざと報告者の名前を記入せず、シエラ達に王都中を歩き回させたというのだろうか。
 単純に魔物を見たという男性が名乗らなかったという可能性もあるが、この二人は端からその可能性を消している。それは感情論によるものではなく、長年の経験から導き出した答えでもあった。

「まあお城でどういうことになってんのかは知らないけどさ、そろそろあの子らも帰ってくるよ。セルラーシャと一緒に買い物に出てもらってるから、ルーンもここに寄るだろうし」
「セルラーシャって?」
「アタシの娘だよ。ルーンってのはセルの幼馴染だね。……ああほら、噂をすればなんとやら、だ。セルラーシャ、ちょっとおいで!」

 からんからん、と扉に付けられた鈴が乾いた音を立て、外気を纏ってやってきたのは赤毛の少女と褐色の肌を持つ青年だった。おそらく彼らがセルラーシャとルーンなのだろう。
 帰宅するなりいきなり呼びつけられて目を丸くさせていたセルラーシャが、荷物を店の片隅に寄せながらこちらへと駆けてくる。
 
「なーに、母さん。あれ? ライナさんに、それから……」
「お城から来て下さった方だよ。あんた達に魔物の話を聞きたいんだってさ」

 なら、とセルラーシャは振り返り、篭を棚に仕舞っていたルーンを手招きした。近くの椅子を引き寄せて座り、彼らはエルクディアの腰に佩かれた剣を見る。
 王都に住む者なら、子供だろうと騎士の格好を知っている。軍服を含めたすべての出で立ちから判断し、彼らは驚きの声を漏らした。

「騎士さまだー……」
「あんまりじっくり見んな、失礼だろ。で、話って具体的にはなにを話せばいいんですかね?」

 不遜な物言いではあったが、悪気は感じられなかった。それを分かっているのか、エルクディアもライナも苦笑だけで済まし、話を続ける。
 じいと見つめてくるセルラーシャの視線に気づいたとき、彼女は一際大きな声を上げてルーンの腕を引っ張った。
 突然の衝撃によろめくルーンにはお構いなしといった様子で、彼女はシエラの顔を覗きこむ。

「あなた、神の後継者さま? すっごーい、本物だー」
「うわ、後継者様直々に魔物退治かよ……。さすがはユーリ陛下、やることが違うな」

 むしろただ強引に押し付けられたにすぎないのだが、どうしてこのように見解が異なるのだろうか。そこまで考えて、シエラは披露会があった晩のことを思い出した。
 あの日、ライナは言っていたではないか。
 
 二人ともなにをやっても品位を欠かない程度に自制しているので、詳しく事情を知らない者から見れば、なにをしていてもいいようにしかとられません――と。

 そして「そのうち嫌でも分かるようになりますよ」とも言っていた。
 まさにそれを目の当たりにしたシエラは、どこか納得いかない思いを抱えつつもユーリを賞賛する二人を見る。知ると知らないとでこうも見方が変わってくるのだから、王宮という特殊な空間の不思議さがより感じられた。

「どの辺りで魔物を見たか、それが一体どのような姿かたちをしていたか、などですね。あとは知っていることや見たこと、すべてお話下さい」
「全部? そうだな……」

 先を促すライナに従い、ルーンはこつこつと中指で額を叩いて記憶を引き出そうとした。数拍の間を空けてから、彼がゆっくりと語りだす。

「ちょうどこの先の路地裏に出たぜ、そいつら。一昨日の真夜中だな。犬みたいな体してたけど、目で追えないくらいに足は速かった。でも、あんまし大きくはなかったな。ああ、それから」

 つい、とルーンの指先がエルクディアを示す。
 一同の視線が彼に集中する中、本人は心当たりがないせいで目を丸くさせる。慌ててルーンが「違う違う」と弁解を入れ、その指先をやや下げた。

「目がその剣についてる石みたいに、真っ赤だったぜ。それこそ、血ィみたいに」

 生々しく紅玉が光ったような気がして、シエラは肌が粟立つのを感じた。ルーンの隣ではセルラーシャが不安そうな顔をして彼の腕を掴んでいる。
 しかしライナは平然とした顔で地図を見下ろし、現在地に赤い丸をつけ、次に付近の路地裏を指差す。
 今ここは王都クラウディオの北東部に位置しており、さほど城からは離れていない。そのため魔物の発生率は他の街々に比べて低いものの、強固な結界の隙間をすり抜けて――もしくは破壊して入ってくるほどの魔物だ。その脅威は計り知れない。
 運がよければ魔気にあてられた動物程度で済むのだが、これが本格的な魔物となると厄介である。
 ライナの指が西へ移動する。



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