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「ディンブラ、飲んだことありますか?」
「いや。聞いたこともない」
「薔薇の香りに似た紅茶です。あまり聞きませんが、味が優しく、香りもいいのできっと気に入りますよ」
「……詳しいんだな」
「紅茶には少しうるさいものですから」

 休憩と会議を兼ねた茶会が始まりを告げる。
 カップを温めているマーリエンが窓の外を覗きながらぽつりと何事かを零したが、シエラの耳には届かなかった。



 店内に満ちる紅茶の香りはとても優しい。けれどどこか懐かしささえ感じさせる雰囲気に、シエラはリーディング村を思い出していた。気さくな店主マーリエンの対応は気を安らげてくれる。
 誰もが皆彼女のような態度を取ってくれればいいのにと思うのだが、そうもいかない。城では誰もがシエラに頭を下げ、外を歩けば好奇と奇異の眼差しで見られる。突き刺さるような視線さえ時折感じる始末だ。

 ユーリはいつか慣れるといっていたが、そのような日が来ること自体嫌だった。しかし用意された答えは「どうしようもない」だったので、大人しく口をつぐんで紅茶を待つ。
 今は遥か先の話より、目の前まで迫ってきている王都の魔物を気にするべきなのだろう。――どこか客観的に彼女はそう考えた。

「それにしても、本当に魔物など出るのか? 違和感はないし、今まで聞いてきた誰も知らないと言っていたぞ」
「確かにそうですね。わたしも魔気は感じませんし」
「あたしの方も反応なーし」

 ラヴァリルが、円卓の上に四角い箱のようなものを放り投げた。
 縦は大人の中指ほどの長さで、幅は親指ほど。厚みはさほどなく、せいぜい銅貨を三枚重ねた程度だ。ガラス板の中には砂が入っているのか、さらさらと音を立てて左右に波打っている。

 エルクディアが物珍しそうに手にとって、しげしげと眺めた。シエラにとっては王都全体が見たことないもので溢れているので、特別珍しいと思う気持ちもない。どれもこれもが「初めて」で「珍しい」のだから。
 しかしライナもそれを初めて目にしたらしく、若干驚いた様子で目をしばたたかせていた。

「ラヴァリル、それはなんですか?」
「これ? 平たく言うと魔気探知機。魔物の気配を感じると、ガラス板の中の特殊な粒子が変化して知らせてくれるの。あたしたち魔導師は、聖職者ほど敏感に魔気を感じ取れないから」
「へえ……」

 感心したようにエルクディアが頷き、ラヴァリルに探知機を返した。彼女はそれを懐に仕舞い込み、ぐっと伸びをする。
 聖職者と魔導師の違いは、使用する道具にも違いを与えるらしい。ちらと横目でライナを見たが彼女はさほど気にしていないらしく、普段通り穏やかな雰囲気を身に纏ってエルクディアと談笑していた。
 あっとラヴァリルが声を上げ、振り向けばマーリエンが盆に湯気の立つカップを載せてやってくる。

「はーいお待たせ、グローランス特製紅茶だよ!」

 銀の盆に載った三つのカップからは紅茶の香りを放つ湯気が立っていたが、グラスには大量の氷が詰め込まれていた。片手には丸いポットを持っている。
 シエラの前にはグラスが置かれ、マーリエンのにやにやとした笑みが向けられた。
 そこでシエラが眉根を寄せる。なんせグラスの中には氷しか入っていないのだ。
 紅茶を注文したのにもかかわらず、紅茶なしのグラスを出すとは一体どういう了見なのだろう。それとも王都の氷は紅茶の味がするのだろうか。

 半ば本気でそう考えていたところ、ライナがくすりと笑ってマーリエンを仰ぎ見た。「紅茶はね、時間が勝負なんだよ」と誇らしげに彼女が言う。
 すると彼女は一度シエラの前に置いたグラスを手に取り、円卓から少し離れた。

「後継者様、よぉっく見とくんだよ!」

 にっと口端を吊り上げたマーリエンが、グラスを持った左手をぴんっと張って下げた。反対にポットを持つ手は限界まで高く上げ、一気に傾ける。
 ぐらぐらに湧いた紅茶を寸分の狂いもなくグラスの中に注ぎ淹れる様は、まさに意表をつくものだった。思わぬ余興にライナ以外の誰もが目を瞠る。
 空中に浮かび上がった線は繊細ながらも滝のようで、ポットとグラスの間隔を開けることによって冷やされる紅茶は、氷を溶かしながら適温へと変わっていく。
 確かに紅茶は沸騰したての湯で淹れた方が美味ではあるが、ここまで大胆な芸も珍しい。
 深い橙色の液体に満たされたグラスを再びシエラの前に戻し、マーリエンが人好きのする笑みを浮かべた。

「どうだい、すごいだろう? 後継者様が見ておられるんで張り切っちまったよ。あんたのびっくりした顔、かわいくってさ」
「……確かに、すごいと思う」
「ははっ、素直なのか意地っ張りなのか分かんない感想だね。でもま、嬉しいよ。今日は仕事で来てんのかい? できるならゆっくりしてっておくれよ、さっきの礼と詫びも兼ねておかわり自由にするからさ」
「え、いいのー!?」
「ちょっとラヴァリル! マーリエンさん、気を遣わなくて結構ですから」

 慌ててライナがラヴァリルを窘めるが、注意されたラヴァリルはぷくっと頬を膨らませて唇を尖らせた。
 さらに畳みかけようとするライナの頭をマーリエンがぐしゃぐしゃと掻き回し、そのまま首を横に振る。

「いいんだよ、あんたらみたいな人がウチの紅茶を気に入ってくれたんなら、グローランス家も安泰さ。遠慮しないでどんどん飲みな! あ、ただしお城で宣伝しとくれよ? 『グローランスの紅茶は最高だ』ってね」
 
 茶目っ気たっぷりにそう言われてはライナも二の句が継げず、困ったようにはにかんでカップに口をつけた。シエラも促されるままにグラスを傾け、流れ込んできた香りに驚きを禁じえない。
 ふんわりと鼻に抜ける香りはほのかに薔薇に似ていて、甘味も渋みも程よく調整されていた。氷の量も考え、もともと濃い目に淹れていたのだろう。あれほどの氷を溶かしたのにも関わらず、水っぽい味はしない。

 どれほど所帯じみていても、さすがは王都に店を構えるだけはある。
 聞けば舌の肥えた貴族達も茶葉を買いに来るというのだから、その味はお墨付きだった。
 素直に美味しいと感想を漏らせば、マーリエンが嬉しそうな顔をする。

「あーあー、こんなに美味しい紅茶が飲めるなら、リースもくればよかったのになー」
「おや、お嬢ちゃんの恋人かい?」
「ううん、なんと未来のだんなさまー!」
「……お前、それ完全に無許可で言ってるだろ」
「なにか言ったー?」

 いやなにも、と目を逸らしながら言うエルクディアがどこかおかしく思え、シエラは自分の口元が緩んでいることに気がつかないまま、グラスに口をつけた。甘味が舌の上を滑って喉へ落ち、優しい香りが吐息に乗る。
 なにやら違和感を感じてグラスを置けば、彼女は自分が凝視されていることに気がついた。それも見知らぬ他人ではなく、ここにいる彼らに、だ。

「なんだ……?」
「ああいや、別に……」
「え、ええ」
「ほんっと、なんでもないよー」

 三者三様の反応ではあったものの、どこか不自然な言い訳に眉根を寄せる。すると途端に彼らはいつも通りの空気に戻り、紅茶を飲んで一息ついた。
 違和感の理由は分からないままシエラもグラスの中身を飲み干す。二杯目は熱い方がいいというマーリエンの勧めで、彼女はライナがいつも飲むというアッサムティーを所望した。
 


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