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「フェリクス隊長のっ、かの方の、心臓が止まりましたッ! ウアリ隊長が、ルチア様をお呼びです……!」

 さあっと血の気が引いていくのをシエラは自覚した。目の前が真っ白になるとはこのことかと思った。それほどの強い衝撃に囚われ、動けなくなっていたシエラとは裏腹に、ルチアはすぐさま侍女を押しのけて廊下に飛び出していた。
 シエラも慌ててその小さな背中を追いかける。寝間着のままのせいで走りにくい上に寒い。擦れ違った見張り番達がぎょっとし、慌てたように目を逸らしていく。
 息を切らして何度も足が縺れそうになったシエラがフェリクスの病室に辿り着いたときには、もうすでにルチアは部屋に到着していた。軽く頬に血が上っている程度で、息を切らせた様子もない。
 ベッドの傍らで、死人のように顔を白くさせたソランジュが泣いている。ベッドの上では、フェリクスに馬乗りになったサイラスが汗を飛ばしながら胸を押していた。――止まってしまった心臓を再び動かそうとしているのだと気づき、シエラの膝から力が抜ける。その場に座り込めば、氷のように冷たい床が体温を容赦なく奪っていった。

「いつ止まったの? 今でどれくらい?」
「時間にすれば数分ですな。五分程度でしょう。考えられうる限りの治療を施しましたが、我らの手には負えませんでな」

 冷静にフェリクスを検分するルチアに、シクレッツァが応える。彼らは誰もシエラを見ない。役に立たない神の後継者に構いつける暇などないのだ。
 ――心臓が止まる。それは必然的に死を意味するのではないのか。目の前に広がる光景に、言葉が出ない。

「たいちょっ、たいちょお! 起きろ、死ぬな! 帰ってこい!!」
「せんせ、せんせぇっ!!」
「回った毒の影響やもしれません。異国の小さな薬師どの、診ていただけますかな」
「分かった、どいて!」

 言うなりルチアは棚に置いていた短刀を掴み、ベッドへと近寄った。残った左手を縋るように握り締めるソランジュを押しのけ、ルチアがその刃先をフェリクスに向ける。

「やだっ、なにするの!?」
「なにって、これでどんな毒か確かめるの! じゃましないで!」
「あなたみたいな子どもになにがっ」
「――アルオン。あまり聞き分けのない子は好きではないのですよ。救う気がないのなら、出ていけと申したはずですが?」

 呆然とするソランジュとフェリクスの間に強引に割り込み、ルチアは一切の躊躇いなくフェリクスの右手の指に刃を滑らせた。じわりと浮いてきた血に舌を這わせ、静かに目を伏せる。そうしていたのは、僅か数秒だった。

「ギュージア、フィルシュ、それからクパの実、あとバククル鳥の脾臓! はやく用意して! ――あなたじゃまだってば! サイラス、それ続けてて!」
「ああっ!」
「あい分かった」

 立ち尽くすソランジュを突き飛ばし、ルチアが薬品棚まで飛ぶように走る。指定されたものをシクレッツァとその他の医官が手早く揃え、それを受け取ったルチアは十にも満たぬ子どもとは思えぬ手際の良さで薬を煎じ、自らの口に含んだ。
 赤紫色の髪が、生と死の狭間で踊る。彼女は子どものはずだ。シエラよりもずっと年下のはずだ。それなのに、立ち昇る雰囲気がそうは思わせない。真剣な瞳がフェリクスを見据え、ベッドに乗り上げた彼女の唇が彼の唇に触れた。なにか言いかけたソランジュを黙らせたのは、シクレッツァの一瞥だ。
 随分と長い時間に感じた。シエラの身体が震えているのは寒さのせいか、それとも目の前の光景のせいか、もはや分からない。
 ルチアが唇を離してしばらく。フェリクスの胸を押し続けていたサイラスの動きが、ぴたりと止まった。ベッドの軋む音が消え、医務室内に静寂が訪れる。

「――も、もどっ、戻った! たいちょ、たいちょおっ!!」

 瞳の端に涙を浮かべ、サイラスがフェリクスの胸に耳をつける。その耳には確かに鼓動が聞こえているのだろう。握り締めた拳が安堵に震えている。いささか弱々しくではあるが、胸が上下している様子が離れた場所にいるシエラからでも確認できた。
 サイラスがベッドから降りるのと入れ替わりに、今度はソランジュがルチアを押しのけるようにしてフェリクスに縋りつく。「せんせっ」掠れた声を零す彼女の目は真っ赤に染まり、瞼は重く腫れ上がっていた。

「見事ですな、小さな薬師どの。今の調合は、ホーリーの医術ですかな。少々変わった組み合わせでしたゆえ、ご教授願いたい」
「うん。でも、あのね、いまのは、しんぞーの動きを強くする毒なの。こーゆーときにはおくすりになるけど、でも、強い毒だからあんまり使えない。あと二回、ううん、一回くらいしか無理だと思う。それまでにおくすり作らないと……」
「今ので解毒できたんじゃないの!?」

 ほとんど金切り声でソランジュが叫ぶ。か細い肩をサイラスが励ますように支えたが、なんの効果もないように見えた。
 ソランジュの瞳には、絶望しか映っていない。

「フェリクスの毒、ルチアが知ってる毒じゃなかったの。でもね、似たようなのなら知ってるよ! だから、ちゃんとおくすり作れば大丈夫だと思う! ただ……」
「ただ?」
「フェリクス、からだいーっぱいに毒が回ってる。……ねえ、どーしてもっと早くにルチアを呼んでくれなかったの? ルチアなら治せたのに」
「そんな、なんであなたが、」

 ソランジュ達が訝る中、シエラははっとした。ルチアの正体を詳しく知る者は限られている。ユーリには詳細――ルチアがその体内で毒を生成できることなど――を報告したが、それ以外の者には知らせていない。毒を自在に操れる子どもがいるとなれば、誰もが彼女を恐れるからだ。
 従って、シクレッツァ達もルチアのことを「優秀な薬師としての知識を持つ子ども」だと認識していた。今回のことはアスラナの優秀な医官達がお手上げだったのだから、異国の薬師に頼ったというだけにすぎないのだ。下手をすれば間に合わなかった。その事実に気がつき、シエラの歯の根がガチガチと音を立てる。

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