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「――あら、久しぶりね、ヴィシャム。貴方も来ていたの?」
「人間同士の戦いに参加したがる物好きは少なくてね」

 喧騒の中、はっきりとその声が届くことが不思議だった。野卑な声を上げながら突撃してくる無骨な男達より、彼の方がよほど騎士の称号に相応しく思う。
 腹の底で、なにかが騒ぐ。込み上げてくる感情は歓喜にも似ていた。特製の、棘つきの鞭を握る手が震える。

「貴方はその物好きの一人?」
「ああ、そういうことだ。それに、ここに来ればお前に会えるだろう?」
「あら、嬉しいことを言ってくれるのね。私も会えるのを楽しみにしていたの」
「それはよかった。――で? お相手願えるか、美貌の魔導師殿。さっきから敵陣にとんでもない美女が混ざってるって、こっちで噂になっていたんだ」
「うそつき。そんな余裕ないくせに。……でも、そうね。いいわ。久しぶりに、してあげる」

 ミューラの美しい象牙色の肌が、深紅の制服の下でうっすらと桃色に色づいていく。喜びに打ち震える胸を隠しながら、背後に控えていた仲間達に微笑みを投げた。

「みんな、ここは私に任せてリルの援護に向かってくれる?」
「だけどっ!」
「見ての通り、この人は聖職者よ。兵士じゃない。私一人でも十分だから」
「アイゼンク、しかしそんな勝手は……」
「――この班の指揮官は私よ。従えないのなら、いらないわ」

 ひゅっと鞭を地面に振り下ろすと、批難の声が止んだ。ある者は渋々と、ある者は命令に従う喜びを瞳に湛えて馬首を返していく。あっという間に、その場にはミューラとヴィシャムの二人だけになった。――その表現は実際には正しくないのだとしても、彼女達にとっては“二人きり”に等しかった。
 頬を掠める近さで矢が駆けようと、背後に唸る魔物の牙が迫ろうと、それでも瞳にはお互いしか映っていない。
 殺意を宿す藍色の目が、ミューラを甘く見据えている。その甘美な色に、それだけで腰が疼く。乾く口内を唾液が潤すのを感じながら、ゆっくりと焦らすように馬を進ませた。ヴィシャムもそれに倣う。互いの後ろを追うように、まるで散歩でもするような気軽さで円を描く。

「ねえ、どうやって戦うの? 馬に乗ったままだと、私の首は絞められないわよ?」
「引きずり落とせば簡単だろう。どうせなら、馬よりもお前に跨りたいからな」
「月並みね。もう少し気の利いた口説き文句が聞きたいわ」
「言葉より行動で示す方が性に合ってるんだ」

 戦場とは思えぬ軽口の端々に、互いの殺意が滲み出る。それはまさに狂気だった。この上ない愛おしさに頭が狂いそうだ。目の前の身体を嬲り、傷つけ、命を散らしてしまいたい。事切れてしまえばこの執着も消えるのか、実際に試してみたくてしょうがない。
 馬上で優雅に腰の長剣を抜いたヴィシャムが、その刃に唇を寄せた。――ああ、その唇を削ぎ落とし、血を啜るような口づけを交わしたい。
 きっかけなどなかった。心から愛し合った恋人達は、己の武器に殺意と愛情を満たして互いの間合いに踏み込んだ。

「ねえ、ヴィシャム! 私が死んだら追いかけてきてくれる?」

 擦れ違いざまに振るった鞭の先がヴィシャムの頬を掠め、一滴の血を飛ばす。片やミューラの脇腹は薄く切り裂かれ、切れた布地から柔らかな肌が覗いていた。
 一度、二度、三度。休む間もなく棘つきの鞭を空に走らせる。ヴィシャムはそれを長剣で絡め取り、一気に自分の方へと引き寄せた。馬がたたらを踏みかけ、落ちそうになるのをすんでのところで堪えて馬上に留まる。引き戻そうとするように力を入れ、彼が今一度力を入れた瞬間に、ミューラはあっさりと鞭を手放した。
 その反動でヴィシャムの身体が僅かに仰け反る。一瞬の隙を狙い、ミューラは太腿に装備していた短剣を抜き取って恋人の胸へと一線を走らせた。

「ッ! 悪いが、俺には相棒がいてな。それが首輪もつけさせてくれない野犬なんだ。野放しにするわけにはいかないから、すぐには無理だな。――お前は?」
「ごめんなさいね。私も大切な親友が心配だから、貴方のためには死ねないわ。あの子、私がいないときっと泣くもの!」

 まるでふざけているようなやり取りだが、手にした得物は他の誰よりも相手の血を望んでいる。
 愛用の武器を失ったとはいえ、ミューラとて練度の高い魔導師だ。リースほどではないにしろ、短剣の扱いには慣れている。
 本来、長剣など扱う必要もない聖職者のヴィシャムは、それでいて慣れた手つきで剣を構えていた。だが、絡まった鞭を鬱陶しく思ったのか、彼は徐に馬上から剣を投げ捨てた。本物の兵士ならば考えられないような扱いだ。

「いいの? それ、捨てて」
「慣れた武器の方が使いやすいからな。お前こそいいのか? 魔術、使わなくて」
「せっかく貴方を殺せるチャンスなのに、実感がないのなんて嫌よ。この手で最高の苦痛を味わわせてあげる」
「それは光栄だな。俺も期待に応えられるよう、努力するよ」

 冷たい風が粉雪を運ぶ。視界を染める白い欠片を見て、ミューラは少し残念に思った。この平原が一面真っ白に染まっていたら、彼の血が大層映えただろうに。雪原に生まれる血溜まりを想像すると、どうしても現状に口惜しさを感じる。
 ヴィシャムも同じ気持ちだったのか、一瞬空を見上げて肩を竦めた。
 さあ、ここからどうするのだろう。あちこちで聞こえる怒声、悲鳴すら、今のミューラには讃美歌のような心地よさだ。時折銃声が響く。ラヴァリルは上手くやっているのだろうか。

「<聖なる雷よ、大地にその鉄槌を下せ!>」
「あら、法術なんて私には、――きゃああっ!」

 確かに法術は人間には効かない。だが、ヴィシャムの放った雷撃が地面を穿つなり、その閃光と衝撃に驚いたミューラの馬が棹立ちになった。ただでさえ、魔気と血臭に興奮状態にある馬だ。完全に正気を失い、乗り手を振り下ろそうと躍起になっている。


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