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*戦火の花


 花の名を知る者は、千の星を数えた。
 花の色を知る者は、千の月を眺めた。
 花の姿を知る者は、千の冬を越えた。

 花が咲く。
 蒼く美しい氷の花が。
 なれどそれは、ただ一人にしか咲かすことのできぬ花。
 蒼き花咲く傍らで、燃え盛る炎の渦に呑まれて夜が焼け、星が落ちる。
 すべてを焼き尽くすそれは、神炎か業火か。
 そこに咲き誇るは赤き花。
 見定めろ。
 身を焦がす炎の中で、花となれ。

 ――愛し子達よ、枯れることなき戦火の花となれ。



戦火の花



 空の端が白んでいる。朝告げ鳥が身を震わせながら飛び、か細く鳴いた。雲に溶けるかの鳥も、どうやら凍てつく冬の朝に身体を蝕まれているらしい。
 太陽が地平の彼方から顔を出し、ゆっくりとクラウディオの大地を温めていく。
 城下では仕事熱心な商人達が、店を開ける準備をしていることだろう。このアスラナ城内でも、使用人達は日の昇らぬうちから起き出してそれぞれ仕事に勤しんでいる。
 騎士館でもそれは一緒で、きっと今頃は朝餉の匂いに釣られて、何人もの騎士達が腹を空かせて眠たい目を擦っているに違いない。
 冬の朝に暖かい毛布から抜け出すのは苦行だが、ひんやりとした風に頬を撫でられる感覚は嫌いではなかった。けれどソランジュは緞帳(カーテン)を開けるだけに留め、窓は固く閉ざしたままにしていた。室内は上着がいらぬほど暖められているので、窓は白く曇り、たくさんの結露で濡れている。指先を押しつければ、刺すような冷たさと共に雫が線を引いて落ちていった。

「おはようございます、先生。もう朝ですよ。今日も寒いですね。せんせ、早く起きないと、朝ご飯なくなっちゃいますよ。皆さん、とってもお腹すかせてるんです。先生の分まで、きっとぺろっと食べられちゃいますよ。ねえ、せんせ、」

 寝台(ベッド)に近寄り、眠るフェリクスの肩をそっと揺する。彼は硬く瞼を閉ざしたまま、起きようとはしなかった。血の気を失ったその顔を前に、触れる手が震えた。空色の瞳から大粒の涙が零れ落ち、白い敷布に染み込んでいく。
 そこにあるはずの左腕は、今や見る影もない。幾重にも包帯の巻かれた身体が浅く上下するのを、何度確かめたことだろう。数分ごとに口元に手を当ててその呼吸を確かめ、微かな吐息を感じて安堵と不安に眦を濡らす夜だった。
 残る右手を握ったが、握り返してくれるはずもない。まるで石のように冷たい手だ。優しく包み込み、さすり、体温を分け与えるように口づける。それでもフェリクスはぴくりともしなかった。これが生者の体温か。これでは、身体と魂を繋ぐ糸を今にも切り離してしまいそうではないか。
 以前、眠る彼にそっと口づけたことがあった。ただの医官見習いであるソランジュの気配にも気づかず眠り続けるだなんて、それでも十番隊の隊長かと軽口を叩きながら、ほんの一瞬だけ唇を重ねて逃げ出した。あのとき、彼が本当に眠っていたのかどうかは分からない。お互い一度もその日のことについて口にしたことはなかった。
 よくあるお伽噺では、眠れる姫は王子の口づけによって目を覚ますのだという。悪しき呪いは、愛を宿した口づけによって解かれるのだと。
 ――だと、すれば。

「せんせ、はやく、起きてっ……!」

 それでも、口づけることはできない。
 触れる唇の冷たさを思うと、そんなことは恐ろしくてできそうにもなかった。


+ + +



 フェリクスが左腕を失うことになったその日、彼女達もまた、なにかを失おうとしていた。
 失うのだと知っていれば、はじまりのときは来なかったかもしれない。



 クラウディオ平原にて戦闘配置についたミューラは、ひどく緊張した面持ちのラヴァリルを見て眉を顰めた。確かに戦いにくい相手とはいえ、彼女がここまで色を失っているのも珍しい。どんな状況下でも笑みを絶やさないのが彼女の在り方だったはずだ。
 神の後継者とは、それほどまでに彼女の心を捉える人物だったのだろうか。仲の良い親友を取られたような小さな嫉妬心が首をもたげ、ミューラの胸をちりちりと焼いていく。
 そんな気持ちを、ミューラは心配することで塗り替えた。

「リル、大丈夫? やっぱり貴女、前線は厳しかったんじゃないかしら」
「えっ!? え、いや、ううん、平気! 大丈夫だよ! ぜんっぜん! 大丈夫。あたし、ちゃんとやれるから!」
「……そう? でもね、これは訓練ではなく実戦なのよ。見えるでしょう。あそこにいるのは戦闘慣れした兵士達よ。下手をすれば死ぬの。迷いがあるなら、今のうちに引いた方がいいわ」
「だーいじょうぶだって! ほんとに! だってあたし、――この手で、あの人を殺さなきゃいけないんだから」
「リル?」

 ぎゅっと唇を噛み締めて銃を握るその横顔には、悲壮感が漂っている。一体なににそこまで追い詰められているのかと問うたところで、ラヴァリルは答えてくれないだろう。無理に笑って大丈夫だと言い続ける痛々しさに、気の利いた言葉が浮かばない。
 硬い表情のラヴァリルは、いつもは背中にゆったりと編んで垂らしている蜂蜜色の髪を、今日はきつく縛って結い上げていた。団子状に纏められた髪は、多少暴れたところでほどけはしないだろう。それが彼女の無言の決意表明のようにすら思える。
 ほんの少しでも彼女の背負っているものを分けてくれたのなら、嬉しいのに。ミューラは一抹の寂しさを感じながら、大好きな親友の肩を軽く叩いた。たったそれだけで、今にも泣きそうな顔でラヴァリルが笑う。そんな顔をするくらいならすべて話してしまえばいいのにと思うが、今は命を懸けた実戦前だ。そんなことばかり言っていられない。

「そういえば、サリアはどうしたのかしら? 朝から姿が見えないけれど、あの子も私達と同じ前線部隊でしょう?」
「あ、えと、サリアなら、……後方支援部隊に移動になったの。ほら、あの子、接近戦向きでしょ? だから今回の作戦には合わないって、その、理事長が昨日」
「そうなの? 本当に急なのね。まあ確かに、あの子は今回の戦いには向かないだろうけど」


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