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「――待て」
「はっ、はい……?」
「えるくん? どしたの?」

 鋭い双眸のまま立ち上がったエルクディアは、じりじりと後退を続ける男の腕をぐっと掴んで捻り上げた。途端に蛙を潰したような呻き声が聞こえ、男の手から薔薇の刺繍が施された財布がぼとりと落ちる。
 硬貨が跳ねる音を聞いたラヴァリルが、途端に財布を指差して声を上げた。

「あーっ、あたしのお財布ーー!」
「たっく。騎士団の軍服を見たことがないわけじゃないんだろ? それなのに目の前で掏るなんて随分といい根性してるんだな。……二度としないと誓え。でないと警備兵に引き渡すぞ」
「すっ、すみませっ……!」
「――そこまでにしておくれよ、総隊長さん。この子も魔が指しちまったんだよ。な? ほら、あんたももっと謝んな!」

 店の奥から出てきた恰幅の良い女主人が、苦笑しながら男の肩に手を置いた。顔面蒼白で頭を下げる男の後頭部にさらに手を置き、ぐいぐいと上から押して謝罪を促す。
 もぞもぞと男が「総隊長だなんて知らなかったんだ」と言っていたが、その声のほとんどは女主人の声によって掻き消されていた。
 床から財布を拾い上げたラヴァリルが中を確認し、大事そうに仕舞い込む。「びっくりしたー」と呑気に零した彼女が、ぱんぱんっと手を叩いて注意を引き付けた。

「はーいはい、中身も無事だったしもういいよ。たーだーしっ、次やったらお仕置だからね!」

 愛らしい笑みを浮かべたまま、ラヴァリルが素早い動作で銃を抜く。
 眼前に突きつけられた銃口に、男は一層顔色を青ざめさせて平伏した。額を床に擦り付けて謝る様は、いっそ同情の念さえ覚えるほどだ。

「すみませんでしたぁっ!!」
「分かればよろしい」

 茶化して言いつつも、銃口を向けられた側にしてみれば堪ったものではない。馬鹿な奴だと男を見下ろしていたシエラは、隣で品書きを握るライナの指先が白くなっているのに気がついた。
 はたと視線を上げれば、彼女の目が穏やかさを消し、どこか冷たい光を宿している。
 首根っこを引っつかまれ店から放り出された男は、「しばらく来るんじゃないよ!」という女主人の言葉にがくがくと糸を切らした人形のように頷いて走り帰っていった。
 エルクディアが再び席についたとき、ライナが何度か迷うそぶりを見せてラヴァリルに目を向ける。

「……ラヴァリル、民間人に容易く銃を向けるのはやめて下さい」
「え? ああ、うん。でも撃つ気なんてないよ? そもそも銃で人は傷つけられないし、冗談に決まって――」
「それでも! それでも……不愉快、です」

 紅茶色の瞳が躊躇いがちに伏せられる。一瞬にしてしんと静まり返ったその場所に、ごとりと銃を置いた音だけがやけに重々しく響いた。
 ラヴァリルは笑うべきか謝るべきか迷っているような顔で意味のない言葉をいくつか零し、円卓の上に置いた銃を見やる。
 銃身には薔薇の絡みついた逆十字の彫刻が施されていて、恐ろしい武器というよりは、美しい芸術品のようにシエラには思えた。

「えーっとぉ……うん、そうだよね、今回のはあたしがフキンシンだったね。ごめんね、ライナ。でも……この子のこと、忌まわしいって思わないで」

 「この子」と言いながら、ラヴァリルは短銃をそっと撫でる。困ったように笑いながら、彼女はそれを太腿につけてある革帯(ベルト)にそっと戻した。
 その言葉は我が子を慈しむような母の愛さながらの優しさが篭っており、シエラは無機物に対してこうも心を移せるものかと疑問に思った。

 実際、武器としての銃を知っていても、目にしたのはこれが初めてだった。村で見たのは狩猟用の銃であって、このような小型の銃は見たことがない。
 確かに銃は命を奪うが、シエラが知っているのは「食べるため」に命を奪う銃だった。だからそれを恐ろしいと感じたことはない。
 それに、銃弾に使われている金属は人を傷つけることはできない。人肌に触れる直前で溶け、意味をなさなくなる。だから、心配などする必要はないはずだ。
 だが、どうだろう。
 ライナは、男に銃口を向けたラヴァリルを見たとき、怒っているようにも恐れているようにも見えた。当然のことではあるが、ライナはラヴァリルが扱う銃が、魔物の命を奪うものであると知っているのだろう。それもきっと、聖職者とは違い、ただ単に「殺戮」を目的とする、略取の道具としての銃を。

 重くなってしまった空気をライナ自身も悔いているようで、うっすらと開けられたまなこはどこともなく彷徨っていた。
 ぎゅっとロザリオを握る手がとても幼く見える。エルクディアがライナの頭をくしゃりと撫でたとき、男を追い立てていた女店主が戻ってきた。
 彼女はなにも知らないゆえに屈託のない笑みを浮かべ、元気よく声を張り上げる。

「騒がせちまったね。おや、ライナちゃんどうしたんだい? ほらほら、そんな辛気臭い顔してないで注文しとくれ! そこの元気なお嬢ちゃん、なんにする?」
「どーしよっかなー。じゃああたし、アップルティー!」
「はいよ。総隊長さんは?」
「じゃあ、ダージリンで。ライナ、どうするんだ?」
「え、あ、わたし……は」
「いつものでいいかい? よーし、そこの――って、驚いた! あんた神の後継者様かい? ひゃーっ、面紗(ベール)なんかしてるから分かんなかったよ。キレーな髪だねぇ」

 店主の問いかけに頷いたライナが、気持ちを切り替えるように一度大きく首を振った。
 じゃらりと揺れたロザリオの音に気をとられていたら、店主がずずいっと勢いをつけて覗き込んでくる。その勢いに圧倒されて仰け反ったシエラに笑いながら彼女は謝って、手にしていた紙に注文を書き付けた。
 ふくよかな頬をこれ以上はないくらいに緩ませて豪快に笑う。
 ちょっと待ってな、と言い置いて奥の棚へと足早に歩いていった彼女は、たくさん並ぶ紅茶缶の中から迷いなくいくつかを選び出していった。
 三つ缶を手にしたところで、ぴたりと手が止まる。

「後継者様、なにをご所望だい?」
「だそうですよ、シエラ。好きなものをどうぞ」
「……別になんでも」
「もう。じゃあマーリエンさん、ディンブラをお願いします」
「任せときな! 後継者様、次からはそんな投げやりな注文できなくさせてやるから、覚悟してなよ」

 ぱちんと片目を瞑りながら言われ、シエラは面食らった。よほど紅茶に自信があるのか、店主――マーリエンというらしい――がもう一つ缶を手に取る。ラヴァリルが「言われちゃったねー」とシエラを指差しながら笑うので、エルクディアが指差すなと注意していた。その様子がまるで母親と子供のようで、どこかおかしい。
 ライナもすっかり表情を明るくさせ、口元にほのかな笑みを浮かべていた。
 その横顔を眺めていたら、ついとライナがこちらを向く。



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