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 なにを望もうと、望むまいと、時は過ぎる。
 知っているでしょう。
 絶望はすぐそこにあると。
 知っているでしょう。
 希望は遥か彼方にあると。


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 アスラナ王国の王都、クラウディオは活気溢れる華々しい都だ。
 世界で最も大きいとされているアスラナ城の城壁に守られ、リロウの森を塞ぐようにして存在するこの都は、人の動きが絶えない。
 リロウの森に近いせいで魔物が都を襲うこともあると言われているが、人々は誰一人としてそれを理由に移住しようとはしなかった。
 彼らは知っているのだ。世界最高位の聖職者が自然と集まるこの都が、とても安全だということを。

 他の都市が危険なのかと問われれば、そうではない。魔物の発生率が高い都市は、教会に数人、王都から派遣された祓魔師と神官が常駐している。
 たとえ魔物の発生率が低くとも、町のどこかには結界の張られた教会が建てられているので、なにかあればそこに逃げ込めばいい。教会の中には聖水など、魔物避けになるものが常備されている。
 それでも被害が出てしまうのは、教会から離れた道中か、間に合わなかったか――といったところだろう。他にも様々な理由があるにしろ、対策自体はきちんと整っている。

 クラウディオの教会は、アスラナ城そのものだ。もちろん大きな都であるため、ぽつぽつと小さな教会が存在するものの、魔物の発生報告などはすべて城に集められる。
 要請を受ければ青年王自らが聖職者を派遣させ、民の安全を確保する。
 その敏速な対応が、王都では青年王の人気をさらに向上させる原因となっていた。王都に魔物が出現することはほとんどなく、仮に現れたとしても優秀な聖職者達がすぐさま対応してくれるから問題がない。

 耳に飛び込んでくる良質な噂話に居心地悪そうにしているエルクディアを隣に、シエラは初めて歩く王都の町並みを全身で感じていた。リーディング村では見たことのない大きな店が並び、人通りの多い通りはとても広い。綺麗に並べられた果実がふわり、と甘い香りを放った。

 敏速な対応――というよりは唐突すぎる申し出を思い出し、シエラは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
 最近王都を騒がしている魔物を祓ってこいと簡単に言うが、自分はまだなにも知らないのだ。それをぼやいたところで現状が変わるはずもなく、彼女達は徒歩で王都を歩いていた。目撃情報があった場所を訪れ、人々に聞いて回る。
 ただそれだけのはずなのだが、周りから突き刺さる視線に彼女の不快感は極限まで近づいてきていた。

「えるくんえるくん、シエラのご機嫌ものすっごい悪いけどだいじょぶー?」
「えるくん言うな。……それに、機嫌が悪いのはもうどうしようもないさ」

 だってこの状況なんだから――と続けたエルクディアを睨み上げ、シエラは小さく舌打ちする。奇異の眼差しから守るように彼とライナが傍に立ったところで、蒼い髪とラヴァリルの制服は目立ち続けた。

 ああすごい、あれが神の後継者様だ! さすがは気品ある、美しいお方だ。ほら、よく拝んどくんだよ、よそ見するんじゃないよ!

 嫌でも聞こえる声を掻き消したくとも、あとからあとから湧いて出てくる人々の口は塞ぎようがない。
 見るに見かねたライナが近くの店で面紗(ベール)を買ってきてきてくれたのだが、それを頭から被ったところであまり変化はなかった。
 聖職者と魔導師が共にいること自体が珍しいのに、そこに王都騎士団の騎士――それも総隊長だ――と、伝説の神の後継者が現れたのだから、民が騒ぐのも無理はない。
 そうとはいえ、シエラはもともと平民に過ぎない。王都に来たのはこれが初めてだというのに、気品だのなんだのと言われてもなんの感慨も湧かなかった。

 むくれている彼女とは反対に、ラヴァリルは子供のように声を上げてはしゃいでいる。興味を引くものが並んでいれば迷うことなく駆け出し、商品を手にとってしげしげと眺めること数十回。
 そのたびにライナかエルクディアが首根っこを引っつかんで連れ戻し、聞き込みに勤しむのだった。
 そして何度目か分からない歓声が耳朶を叩いた瞬間、シエラの腕は強い力によってぐんっと引っ張られた。

「えっ……」
「ちょっとやだやだかーわーーいーーー! ねえ見てよシエラ、これすっごいシエラに似合いそう! おじさんっ、これいくらー?」
「おい離せっ、ラヴァリ――」
「六オロだよ。ああでも、お嬢チャンなら特別に四オロにまけてあげる」
「ほんと? わぁい、やったねシエラ! じゃあはいっ、これもらいまーすっ」
「はいよ、まいどー」

 まさに嵐のようだった。
 肘を掴まれて店まで引きずられたシエラに抗う暇はなく、加えて口を挟む暇もなかった。
 とんとん拍子に店主と会話を進めるラヴァリルは人魚の彫り物が施された銅貨四枚を取り出し、商品と交換に店主に渡す。慌てて追いかけてきたライナとエルクディアが呆れとも怒りともつかぬ表情で二人同時に溜息をついたのを、シエラはしっかりとその耳で確認した。

 あまりの勢いに取れかかった面紗(ベール)を被り直していると、ラヴァリルの手が手首を捉えた。
 なんだ、と口を開くよりも先にしゃらりとした軽い金属音が鳴る。眉根を寄せつつ己の手首を目の高さまで持ち上げたシエラは、きらきらと光を弾く腕輪にますます眉間のしわを深くした。

「黒玉(ハウライト)と赤琥珀(レッドアンバー)……ですか?」
「さっすがライナ、よく知ってるー! これで四オロって安いよねー」
「ええ、まあ……」

 シエラの手首に揺れる腕輪は白い石を基調としたもので、そこに赤い石が数粒実のように垂れ下がっていた。どれも小さな石ではあるが、確かに年頃の娘が喜んでつけそうな装飾品だ。
 しかしライナはどこか歯切れ悪そうに応えると、ぱっと笑顔を作った。ぽんっと手を打ち合わせ、名案を思いついたような風体で言う。

「ちょっと休憩しましょうか。オススメのお店があるんです。案内しますよ」


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 ライナに案内されシエラ達が訪れたのは、小さな紅茶店だった。
 白い壁の家が建ち並ぶ中、この店だけは赤いレンガ色の装飾なのでよく目立つ。蔦の這った壁が時の流れを示していて、腰を据えるにはぴったりの場所だ。
 店内に入り、真正面に広がる大きな窓からは、手入れの行き届いた庭の湖を眺めることができる。

 あちこちに飾られた花々と程よい装飾に、ラヴァリルが楽しそうに声を上げて喜ぶ。確かにそこの景色は、王都一の穴場なのではないかと思うほど素朴で美しい。
 店内に足を踏み入れた途端、ふわりと香った紅茶の香りに、シエラは数回瞬いた。
 なんだかとても落ち着く香りだ。ぐるりと辺りを見渡すシエラをエルクディアはそっと促し、彼女達は一番奥の円卓へ落ち着いた。
 味のある木製の円卓からは優しさが感じられる。それがどことなくリーディング村の酒場と重なって、シエラは無意識に木目を指でなぞっていた。

 柱に目をやれば、銀色の賞牌(メダル)が飾られている。十字剣の前に竜が座り、それを取り囲むようにして様々な紋様が十三個彫られていた。
 それがなんなのか、シエラでも知っていた。
 アスラナ王国の国章――唯一無二の、この国を表す紋章だ。十字剣は王を表す。
 そしてそれを守るように竜が立ちふさがり、さらに周囲には王都騎士団を象徴する十三星座が刻まれているのだ。
 十三星座自体は記号で略されることもあるが、この荘厳かつ繊細な細工は美術品、装飾品としての価値も高い。目を奪われる美々しさがそこにあった。

 そういえば、エルクディアの襟にもこのような徽章が付けられていたように思う。隣に座る彼をちらと見れば、襟には確かに二つ徽章が光っていた。
 一つは国章。そしてもう一つは、彼の身分を表す王都騎士団総隊長にのみ与えられる竜の徽章だ。――というようなことを、今朝辞めたばかりの元教育係が言っていたような気がする。

「なに飲もっかな〜。わっ」

 鼻歌交じりで紅茶の品書きを眺めていたラヴァリルの背後から、気の弱そうな男がふらふらとした足取りでやってきてぶつかった。
 男は何度も何度も頭を下げて謝罪し、それに驚いた彼女は笑いながら手を振る。気にするほどの衝撃でもなかったのだろうが、それにしてもこの男の謝り方は尋常ではなかった。
 そのまま店を出ようとする男の姿を見て、エルクディアがすっと目を細める。



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