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「シエラ様? いかがなさいました。ご気分が優れませんか?」
「……魔気だ。魔物がいる。数が多い、普通じゃない。操られている」

 目の前の身体に縋るようにしがみつきながら、シエラは必死でそれを“視た”。
 何度か馬を走らせたことのあるクラウディオ平原に、深紅の旗が揺れている。向こうにあるのは十番隊の旗印だ。牙を剥く大蛇を掲げた屈強な騎士達を前に、魔導師が横一列に陣をなして構えている。
 どこかで爆発が生じた。地が抉られ、火柱が上がる。それにも怯まず馬を駆け、馬上で剣や槍を振るう男達。弓矢が雨のように降り注ぐ。流れた血を求めて、どこからともなく醜悪な獣が牙を剥いた。

「駄目だ、このままでは、」
「……シエラ?」

 紅い目玉が光っている。聞こえてくる呻き声は誰のものだ。鬨の声を封じるような咆哮が大地を揺るがせ、ぬめる牙が甲冑を突き破って血を啜る。
 小さな鉄の塊が命を喰らう。操られた獣の一撃が、その男の左腕を貫いた。剛健なはずの巨大な体躯が、紙人形のような脆さで馬上から落下していく。広がる血溜まりに、魔物が集う。
 あれは誰だ。知っている。豪快に笑って、にんまりと唇で弧を描いていた男だ。シエラも何度も言葉を交わしたことがある。なにより彼は、エルクディアととても親しげだった。
 ――大蛇が、のたうつ。

「フェリクスが……」
「フェリクス? シエラ、どうし、」
「魔導師達は魔物を使っている! このままでは、フェリクスが危ない!!」

 遠くの光景はもう視えない。それでも、今の光景が幻覚ではないことをシエラは確信していた。


+ + +



 プルーアス帝国はアスラナ王国の北西に位置し、レジテア地方と陸続きになっている。自然の多く残る国土を持ち、山からは質のいい紅玉がよく産出されることで有名だ。山岳地帯の赤土が目立つことから、「プルーアスレッド」という深みのある赤が国を代表する色となっている。魔物の発生率は低いものの、聖職者の出生率も地を這う有り様だ。そのため、国家は魔物への対策に日々追われている。
 プルーアスの二大都市の一つであるユーランは、観光名所ともなっている巨大な湖「白湖(びゃっこ)」を持つ大都市だ。プルーアスの武器庫と呼ばれるユーランは国の最南に位置し、リンベーグ海に面している。このリンベーグ海を挟んだ真向かいに位置しているのが、大華五国と呼ばれる大国の中でも最も気性の荒いと言われる国、ベスティアである。
 黒き獣の国と称されるベスティアを向かいにするのだから、ユーランの警備には重点を置く必要があった。帝国騎士団と名高いテュヒュール騎士団が常駐するのも当然のことである。
 勇猛果敢で知られるテュヒュール騎士団の団長は皇帝からの信頼も厚く、城内の二の郭に屋敷を与えられているほどの寵愛ぶりだ。そんな騎士団長アロイジウス・レームブルックは、王宮からの便りを受け、早馬を飛ばして帝都サウラまで駆け戻ったのである。
 中途半端に伸びた黒い髪を振り乱し、頭の先から足の先まで真っ黒になって王宮の門を叩いたアロイジウスに、門兵は最初こそ難色を示したものの、襟に輝く徽章を目にした途端に棒でも飲んだように背筋を伸ばして敬礼で迎え入れた。
 かくしてアロイジウスは、皇帝との謁見の間まで通されたのである。長い待ち時間の間、「このままでは失礼に当たる」と専属侍女が真っ青な顔で硬く絞った手ぬぐいを差し出してきた。早駆けに付き合わせたせいで、彼女の顔色は今にも倒れそうなほど青白い。
 宰相のデニス・ベントソン、有力貴族のスティーグ・カッセル公爵、中央においてその名を知らぬ者はいないとされるダン・ブローマン将軍など錚々たる顔ぶれが集い始めた頃合いで、侍女はそっと退室していった。このような場に召使が同席していいわけがないからだ。


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