4 [ 507/682 ]

+ + +



「……お前は、他の者と違ってあまり着込まないんだな」

 城内だというのに戦装束に身を包んだエルクディアを前に、シエラはぽつりと零した。戦装束とは言っても、エルクディアはいつもの軍服に籠手をつけ、王都騎士団の紋章が縫い取られた緋色の外套を背に垂らしているだけである。肩や足元は防具が見られるが、それでも甲冑と呼べるほどのものではない。帷子すら着ておらず、胸はがら空きだ。他の騎士達は重苦しい甲冑を着ているが、それとは随分と違う。
 問うた声は消え入りそうだったというのに、エルクディアはそれを丁寧に掬い上げてみせた。新緑の瞳がシエラを見て和む。

「重たい甲冑は動きづらく、苦手としております。ゆえ、師匠には『軟弱な』とよく叱られました」
「それで危なくないのか?」
「戦場では安全なところなどございません。剣の速さではアスラナでも一、二を自負しておりますゆえ、必ずや無事にシエラ様の御前に舞い戻ることをお約束いたします」

 微笑みながら頭を垂れるエルクディアは、騎士の見本そのもののようだった。今はこうして王宮の中奥に顔を出しているが、彼はすぐにでも騎士館に戻り、軍勢を整えて正門の前で待機することになる。
 十番隊が出立してから二日だ。魔導師側は最後の通告を聞き入れず、ついに今朝、両陣営が軍を進める結果となった。ひっきりなしに伝令がやってきては、アスラナ城はさらなる緊迫感に包まれていく。
 エルクディアは王都騎士団の総隊長だ。シエラを相手にしている暇などないだろうに、「近くで開戦とはご不安でしょうから」とわざわざ部屋を訪ねてきたのだ。――自然と「訪ねてきた」と考えるようになっていた自分に気がつき、シエラは自嘲気味に唇を歪めてテュールを抱く腕に力を込めた。
 シエラに与えられた部屋はアスラナ城の中奥でも高層階だ。昇るのはそれだけ苦労するが、当然見晴らしもいい。小さな町ほどの大きさがあるアスラナ城の壮麗な建築模様や、手入れの行き届いた庭が見渡せた。生憎ここからではクラウディオ平原は見えない。にもかかわらず、自然と目は窓の外へ向く。
 会話が途切れれば、エルクディアは己の職務に戻るだろう。引き止めている暇などない。

「……ラヴァリルとリースは、無事だろうか」

 無駄な時間は取れないと分かっているのに、「それでは」と退室しかけたエルクディアを引き止めるようにして、シエラはそんなことを訊ねていた。

「彼らが心配ですか?」
「ああ。あの二人は、理事長ロータル・バーナーに利用されているだけだ。なんとしてでも助けたい。……頼めるか?」
「――シエラ様のお望みとあらばこのエルクディア、いかようにも」

 椅子の足元に跪いたエルクディアの唇が、左手の甲に触れる。触れた熱の、なんと冷たいことだろう。
 目の前にいるのは友人でもなんでもない。ただの忠実な臣下だ。誰もが望むその関係はひどく無機質で、筆舌に尽くしがたい虚しさを心に植え付けていく。
 冬の湖に頭から沈んでいくようだ。あまりにも冷たい水は、痛みとなって身体を襲う。けれど水に浸かっていれば次第に感覚が麻痺していき、鈍く痺れるようになる。だとすれば、この痛みもやがて慣れるだろうか。冷たさも、痛みも、なにも感じることなく過ごせるようになるのだろうか。
 指先をゆるく食むテュールに笑いかけ、シエラはエルクディアを見送るべく腰を上げた。

「――ッ!」

 その瞬間、針で刺すような痛みが頭に走った。ざぶん。波のうねる音がする。どくどくと鼓動が高まり、立っていられないような眩暈に襲われた。それは久しぶりの感覚だった。今まで何度も味わった痛みだ。考えるまでもなく原因を悟る。
 身体を支えるエルクディアの手が、どこか遠くのものに感じる。深く息を吸い、固く閉ざした瞼を押し上げれば、そこには見えるはずのない景色が視えた。


[*prev] [next#]
しおりを挟む


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -