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*神の祝福
くちづけを。
私が私であるために。
くちづけを。
貴方が貴方であるために。
くちづけを。
私と貴方を隔てるために。
神の祝福
この日、空はすっきりと晴れ渡っているとは言えなかった。どんよりとした分厚い雪雲がクラウディオ平原の真上を覆っている。風がない分、さほど寒さは感じないが、それでも篝火の傍を離れれば芯から冷え込む冷気に身を嬲られた。
アスラナ城の大手門を抜けた王都騎士団十番隊アスクレピオスの一行は、なだらかな傾斜を持つ小高い丘の上に陣営を築いた。遠いとはいえ、肉眼で確認できる距離に魔導師側の陣営が設けられている。いつ戦いの火蓋が切って落とされてもおかしくはない状況の中、フェリクス達は天幕の中で最後の軍議に臨んでいた。
「いいか、敵さんはいつもとは違う。そこんとこよーく覚えとけ。俺たちゃ今まで戦士以外じゃ山賊だのなんだのを相手にしてきたが、今度は魔導師だ。ヘンテコな奇術を使ってくるかもしれねェ。その上、相手は特殊金属の銃を持っていやがる。その意味が分かるな?」
十番隊の中でも精鋭の男達が次々に頷く。
力自慢のアスクレピオスというだけあって、誰も彼もが筋骨隆々とした身体つきをしていた。その中で異彩を放っているのが、派手な頭のサイラスだ。甲冑を身に着けることで多少は厳つく見えてはいるが、それでも元の体型の細さは隠しきれていない。決して彼が痩身というわけではなく、立派に引き締まった筋肉を持っているのだが、丸太のような腕の男達の中に紛れ込むと対比で華奢に見えてしまうのだった。
毎夜酒を飲んでは大騒ぎし、他の隊の人間から嵐のように苦情を受ける男達は、今やそれが嘘のように静まり返っている。
この戦いは、今までのものとは訳が違う。なにしろ、今回の行軍には聖職者が加わっているのだ。聖職者の仕事に護衛としてついていくことはあれど、人と人との戦闘に聖職者がついてきた例は今まで一度もない。まさに異例のことだった。
魔導師は、特殊な魔導具を用いて魔物を引き寄せるとの情報がある。相手が魔物でも斬り捨てるだけなら騎士や兵士でも可能だが、本職ではない分、余計に手間取るのは目に見えている。そのため、この戦いには何人かの聖職者が参加することとなった。しかしながら、人間同士の戦いに参加したがる聖職者は数少なく、いざというときに頼りになる相手が十分とは言えない。十番隊の中には、「あんなバケモノと平気で戦っておいて、なんで人が怖いんだか」と嗤う者もいた。
「むやみやたらと突っ込んでったら、鉄の塊に撃ち抜かれてハイさようならってコトっすか。いやー、こわいこわい」
わざとらしく身震いをして見せたサイラスに、副隊長のフーゴ・カロッサがにやりと笑った。頭を綺麗に剃り上げた、フェリクスよりも一回り大きな体格の彼は、騎士館に遊びに来ていたルチアに「巨人さんみたいだねぇ!」と言われるほどの巨躯の持ち主だ。
「ぜんっぜん怖そうに見えねぇぞ、サイラス。お前の言葉は相変わらず白々しくて敵わん」
「あ、酷いっすよ、ふくたいちょー。俺のか弱い心が砕け散る〜!」
「あン? なんだって?」
「ふくたいちょ、耳が遠くなるにはまだ早いんじゃ、って、タンマタンマ! 暴力反対!!」
先ほどまでの静けさを吹き飛ばすほどの騒ぎに、天幕の外に立っていた見張りの兵達も何事かと顔を見合わせていた。
フーゴに軽く首を絞められながら――軽くと言っても、強靭な力の持ち主だ――、サイラスはじたばたと水揚げされた魚のごとく暴れている。その足が、即席の机に乗せていた作戦図の上の駒を蹴り飛ばした。
盤の上の駒が散る。それを見ていたフェリクスが、にたりと口の端を吊り上げた。