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 新緑の瞳は変わらず優しくシエラを見る。けれどその顔に貼りついた笑みは、優しいだけで熱を感じさせない。初めて出会った夜を思わせる慇懃な態度は、従者としては正しいものなのだろう。他の誰かがいる場合、そうあるべきだとも学習している。そうはいっても、エルクディアに「シエラ様」と口にされるたびに、シエラは妙な息苦しさを感じて落ち着かなくなる。
 最初の頃はふざけているのかと思った。からかわれているのかとも。けれど不満を述べたところで、エルクディアは今までのように言葉を崩そうとはしなかった。何度言っても首を横に振られる。今までが間違っていたのだと。本来あるべき関係に戻っただけなのだと、何度も、何度も。
 時にライナやルチアが心配そうにシエラを見つめるほど、彼は頑なだった。

「エルク、何度も言っているが、その気色の悪い喋り方をなんとかしてくれ。今まで通りでないと落ち着かない」
「ご理解ください、シエラ様。いつどこで、誰が見ているとも知れません」
「今ここには誰もいない。人前なら私も我慢するから、だから、」
「なりません。私は貴女の騎士にございます。主には然るべき態度で接しなければ」

 ならばあの熱はなんだったのか。
 抱き締める腕の強さは。見つめる瞳の熱は。零れた吐息の意味は。
 そんなものは最初から存在しなかったとでも言いたげなエルクディアの態度に、ぐつりと怒りが湧き上がってくる。薔薇の棘で指を刺したかのように、じくじくとした小さな痛みが全身に広がっていく。
 なぜこんな気持ちになるのか、分からない。エルクディアがなにを考えているのか、まったく分からない。バスィールならば分かるのだろうか。彼に訊けば、答えてくれるだろうか。
 バスィールは今、隣室に控えている。エルクディアが使っていた部屋だ。会話は聞こえないが、大声で呼べばすぐにでも姿を見せることができる場所。そこは、エルクディアの場所だった。

「……主として命令すれば、お前はいつも通り振る舞うのか?」
「シエラ様、あまり私を困らせないでください。これは貴女のためでもあるのですから」
「私のため?」
「ええ。神の後継者としての威厳を皆に示すのです。貴女はこの世を導く唯一無二の高潔なお方。そのことをお忘れなきように」

 優雅に跪いて一礼するエルクディアは、流れるような動作でシエラの右手を掬って、柔らかな唇を手の甲にそっと押し当てた。触れた唇は温かいはずなのに、なぜか氷でも触れたかのような冷たさと痛みを感じ、シエラは瞬時に手を引いていた。
 ライナ特製の小さな寝台で眠っていたテュールが手を払う音に気づき、ゆっくりとシエラの肩まで飛んできた。ひやりとした小さな竜の鱗の方がよほど温かく感じるのはなぜだろうか。頭を垂れるエルクディアの口から放たれた謝罪は、これっぽっちもシエラの心に届かない。

「ご無礼をお許しください」
「……不愉快だ」
「申し訳ございません。もう二度と、いたしませんゆえ」
「その喋り方がだ! 私がなにかしたのか? 私の従者だというなら、なぜっ」

 神父服の下の華奢な鎖を掴んだそのとき、シエラの言葉を焦りを滲ませたノックが遮った。

「――失礼します。エルク、いますかっ?」
「ライナか。どうした?」
「フェリクスさんが探していました。至急の要件だそうなので、向かっていただけますか?」
「分かった。わざわざ走ってきてくれたのか? 悪いな」
「いえ、平気ですよ。――話し中にすみませんでした、シエラ。わたしも失礼しますね」

 伝言だけを残して小走りで去っていったライナを追うように、エルクディアも部屋を出ていった。きちんと挨拶をして出て行ったような気もするが、記憶には僅かにも残らない。


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