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「さあ、見つけてくださいな。黒い天使さんが死んでしまう前に」
泡の中、艶を失った黒が揺れている。
――何度も触れた。しっかりしているのにとても柔らかな翼の感触を、今でもはっきりと覚えている。あの華奢な身体で大きな翼をよく支えきれるものだと感心しては、そのたびに「生まれつきだから考えたこともないよ」と呆れられた。
屈託のない笑みが浮かんでいた顔は今は土気色に染まり、生気を失くしている。こびりついた血の汚れに、全身が粟立った。
炎がうねる。髪が、ローブが、木々が、暴れる。指先が燃えている。比喩ではなく、本当に手の先が炎に包まれていた。瞬く間に肘まで炎に呑まれているというのに、クロードは熱いとも痛いとも言わなかった。それどころか、肉が焼ける臭いすらしない。
「あらあらぁ。素晴らしいですけれどぉ、ひとぉつ忘れておりませんこと?」
「う、あ、ああああああああっ! くろーどっ、シャマ、もうむり、たすけて!」
「シャマ!? どうした!」
「むりっ、しんじゃう!」
レティシアが笑って指を弾く。刹那、シャマが悶絶しながら火の玉となってクロードの胸へ飛び込んできた。そのまま胸の中に入り込んだ火の玉が、肌の下で赤く発光しながら上へ上へと移動する。首の位置まできたそれは、トカゲの形の痣となって浮かび上がっていた。
「さすがですわぁ。精霊消失の魔法を使っても平気な顔をなさっているんですのね〜」
「シンシアはどこだ。答えろ」
「あら、あの黒い天使さんはシンシアというお名前ですの?」
「いいから答えろ!」
放った炎蛇を子犬でもあしらうように掻き消し、レティシアは傘を一振りする。
「せっかちですわねぇ。黒い天使さんなら、くらぁいくらぁい鳥籠の中ですわぁ。これ以上のヒントはあげられませんの。だって、楽しくありませんでしょう?」
「あまりふざけるなよ」
「ふざけてなどおりませんわぁ。申し上げたとーり、黒い天使さんが死んでしまう前に見つけ出していただければ、わたくしきちんとお返しいたしますのよ〜? ですから、無駄なことはおやめになって、早く探しに行かれた方がいいと思うのですけれどぉ」
目の前で弾けた泡の中から、漆黒の羽根が一枚落ちた。
「――だって、今のあなたではお話になりませんもの」
レティシアが嫣然と微笑んで傘を開いた、その瞬間。
先ほどとは比べ物にならない強い風が林を呑み込み、あれほど天地を焦がしていた炎を一瞬ですべて消し去った。
足元が掬われ身体の均衡を崩したが最後、凄まじい殺気が鼻先で爆発する。目で“それ”を捉えるよりも速く、クロードは勘で身を捩った。
「ぐっ……!」
「どうせなら、王さまにお相手していただきたいものですわぁ。これじゃあ物足りませんもの〜。それでは、しつれーい」
「ま、てっ」
「力目覚めぬ王に用はありませんの」
黒き獣に跨り、ベスティアの魔女が空を駆けていく。その手にはもう傘はない。――なにをどうしたのか、まったく分からなかった。なんの気配もなかったのだ。だのに今、クロードの脇腹からはレティシアの傘が生えている。
黒いレースの日傘を伝い、血が滴る。よりにもよって、この傘には精霊消失の魔法が宿されているらしい。体内に取り込んだシャマが悲鳴を上げて苦しんでいるのを感じた。
流れる血の感覚に、ずくりと頭の奥が鈍く痛んだ。焼け付くような痛みが腹を襲う。霞む視界の中、クロードはその場に膝をつき、乱れる呼吸の中で「彼女」の名前を呼んだ。届くはずがないとしても、それでも呼ぶことしかできなかった。
炎が躍る。これではまだ足りないか。血を捧げ、すべてを委ねなければ、彼女には届かないというのか。