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「わたくし、このスエルテ王宮にお仕えします、レティシア・フェルと申しますの。あなた、王宮になにかご用ですの〜?」

 どこか舌足らずな口調も、その見た目も、ふわふわとしていて甘い砂糖菓子のようだ。だが、彼女は普通ではない。
 柔らかな笑顔の裏側に、漆黒の闇が広がっている。黒煙すら彼女を避ける禍々しさだ。空中で優雅に足を組み替えた「ベスティアの魔女」は、どこからか日傘を取り出した。ひらひらと、魔女が花のように降りてくる。

「宝物を取り返しに来たんだ。返してくれるかな」
「あらあらぁ、そぉんなに大切なものを失くされたんですのぉ? いけませんわぁ、ご注意なさいませ」
「今後気をつけるよ。だから、早く返してくれるかな? 今ならまだ、許してあげるよ」
「許す? 不思議なことを仰いますのねぇ。わたくし、お許しをいただかなくてはならない覚えはございませんことよ」

 レティシアが畳んだ傘を軽く一振りしただけで、その場に強い風が吹き抜けた。ザッと音を立てて駆け巡った風が、激しく燃える炎を掻き消していく。炎が割れてできた一本道を、彼女は踵の高い靴で危なげなく歩んだ。
 炎の壁を両側に、ベスティアの魔女は嫣然と微笑む。
 男の胸を、傘の先が軽く押した。痛みはない。だが、背に隠れた少年は不安げに外套を掴んだ。

「このロザリオ、そしてそのお顔。わたくし、あなたを存じ上げておりますわぁ。あなた、アスラナの聖職者様ですわよねぇ? こんなところで遊んでいるお暇はあるのかしら〜? 今のアスラナは、とぉっても大変なことになっていると聞きますけれどぉ」

 傘の先でロザリオを揺らして遊びながら、レティシアはにんまりと唇で弧を描く。

「あの大国アスラナが、よりにもよって王都で内乱騒ぎとは驚きましたわぁ。それも、聖職者と魔導師の間で起こった争いなんでしょう? アスラナは一枚岩ではなかったということかしらぁ。そうでしょう? ――ねえ、第一級宮廷祓魔師のクロード・ラフォンさま?」
 
 レティシアの操る傘の先が勢いよくフードを弾く。そこから露わになったのは、癖の強い銀髪だった。一切の穏やかさを排除した双眸が、冷ややかにレティシアを見下ろしている。炎を映すそれは、今や血のような赤さで光を放っていた。日頃のクロードを知る者がいれば、別人ではないかと疑ったに違いない冷たい表情だ。

「お国にお戻りにならなくてよろしいのですかぁ?」
「オレには、こっちの方が大切なんだ」
「そんなに大切なものでしたら、ご自分で見つけてくださいな〜。心配せずとも、王宮の方にはございませんわぁ。“あなたが”ちゃあんと入れるところに仕舞ってありますの〜」
「ご丁寧にどうも。でも、ここでお前を狩る方が早いと思うんだがな」
「あらぁ……、噂に聞いていた口調とは随分違いますのねぇ。もっと穏やかな方だと伺っていたのですけれど〜?」

 ――気に食わない。
 甘ったるい口調も、それに反して背筋を凍らせるような気配も、すべて。
 詠唱もなしに腕を払うことで放った火球を、レティシアは至近距離だというのに悲鳴一つ上げず掻き消してみせた。――ほんの一回、蝋燭の火を消すように軽く息を吹きかけただけで。
 ベスティアの魔女が笑う。その手に、記憶にこびりついて離れない漆黒の羽根が握られていた。

「クロードさま、鬼ごっこは得意ですかしら〜? それともかくれんぼの方がお好き?」
「クロードッ!!」
「くっ、阻め!」

 詠唱などなかった。精霊が動く気配も、なにもなかった。それでも一瞬にして周囲の炎が――クロード自身が生んだ炎だ――針となり、クロードに向かって襲いかかってきた。瞬時に炎の壁を築いて阻んだが、僅かでも遅れていれば串刺しになっていただろう。
 中空に再びレティシアが浮かび上がる。翼もないのに宙に浮き、彼女はいくつかの泡を作った。その泡の中に、ゆらりとなにかが揺らめいている。


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