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 その宮殿を前にして、急に身体が重たくなった。辺りには嫌な気が満ちている。冷えた風の中に、ぴりぴりとしたものが混ざっているようにすら感じた。分厚い外套(ローブ)の頭巾(フード)によって、男の顔は伺えない。木々が鬱蒼と生い茂る林の中は、昼間だというのに薄暗いからなおさらだ。

「……なんだぁ、コレ。ヘンなの。結界か?」
「さぁて、どうだろうねぇ」
「なぁなぁ、もう帰ろーぜ。ベスティアの魔女のとこなんか行ったって、ぜぇってぇイイコトねーもん。シャマ、あいつとケンカすんのヤだかんなー」
「そんなに? 仮にも精霊が魔女を怖がるって?」
「あいつはトクベツなの。フツーじゃねーの。言っただろぉ? ベスティアの魔女っつったら、大災厄すら起こせるんじゃねーかって話なんだぜ」

 ぶるりと身震いしてみせた少年は、見えない壁に手のひらを押しつけて首を傾げた。

「せーれーしょーしつのまほーなんて使ったら、フツーはへろっへろになっちまうはずなんだけどなぁ。多分こん中、みーんな消されてる。なのにこんな結界まで張るなんて、やっぱあいつバケモンだ」
「お前は平気?」
「わかんない。シャマ、そーゆーの食らったことないもん。つーか、こんな結界だって初めてだし。なんっで入れねーんだろ?」

 少年に倣うようにして男は手を伸ばしたが、その指先はあっさりと見えない壁に弾かれた。少年は難なく手のひらを押しつけていたというのに、男は軽く触れただけで身を切るような痛みに襲われてそれどころではない。
 スエルテ王宮はもう目前だというのに、否応なく足止めされて苛立ちが募っていく。林の中でそのまま野宿をし、翌日別の道から王宮を目指したが、そこでも行く手は阻まれた。
 馬車を走らせる商人はいとも容易く結界の中へと滑り込んで行くというのに、どうして自分達だけが阻まれているのだろうか。
 ――いっそ無理やり突き破ってしまおうか。穏やかでない考えが頭を駆け巡り、指先に抜ける神気に少年が目を丸くさせる。

「焼き尽くせ」

 静かな声だった。にもかかわらず、周囲は一瞬のうちに灼熱の炎に飲み込まれていった。あちこちで爆発が生じる。冬枯れの芝を舐め尽くし、炎の獣が地を駆ける。
 男の胸元で、ロザリオが沈黙している。神に仕える者であることを示すそれは、銀を宿す者に応えるはずだった。だが、その応えなくして炎は踊る。それを異常だと言う者はここにはいない。
 猛火は薄暗い冬空を焦がす勢いで立ち上り、たちまち男の周りを焼き尽くしていく。熱風に煽られた枯れ木が燃える音の響く中、キィンと甲高い音が弾けて炎が割れた。
 自分に返ってきた火の粉を腕で払い、男は舌を打つ。

「……壊れないか」
「それはそうですわぁ〜。だってこれは、ベスティアが誇る鉄壁ですもの〜。精霊の力は一切受け付けませんわぁ」

 燃え盛る炎が唸る中、明るい声音が突如として降り落ちる。素早く身を捻じって声のする方を見上げれば、そこには黒い影が浮いていた。
 赤々とした光に煽られて、アプリコット色の髪が揺れている。頭の高い位置で二つに結われたそれは、時折長い耳を覗かせていた。
 見た目だけならただの少女だ。レースを贅沢にあしらった漆黒のワンピースを身に纏い、きゅっと絞られた裾から伸びるか細い手首には華奢な腕飾りが輝いている。
 傍らの少年が、怯えたように男の足にしがみついてきた。「ベスティアの、まじょ……」独り言の言葉尻が小さく震えている。


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