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「好きなんだろう?」
「なんで、そんなことっ」
「違うのか?」
「う……、っ、……ま、せん」
「え?」
「ちがいませんっ! もうっ、なんなんですか急に! シエラの意地悪!」
顔と言わず耳と言わず、首まで真っ赤にして涙目で怒鳴るライナが、らしくもなくハンカチを投げつけてきた。ふわりと紅茶の香りが漂うそれを畳んで返せば、ライナはますます眉を吊り上げる。
意地悪をするつもりは微塵もなかったというのに、どうして怒るのか。そう訊けば、ライナはなにか言いたげに唇を歪ませ、結局なにも言わずに再び顔を覆ってしまった。
「二人が好き合っているなら、したことがあるのかと思っただけだ」
あの美しい水の都で、彼女達はどんな言葉を交わしたのだろう。
夕暮れのディルートの町は、鳥肌が立つほど美しかった。水路に落ちた光が無数の宝石となって輝き、夕陽が白亜の町並みを赤く染め上げる。伸びた影がレンガの道を踊り、響く鐘の音はどこまでも澄み切っていた。
その町を治める一人の王子は、いつだってライナを優しく見つめていた。あの手は、どんな触れ方をしたのだろう。口づけとはどのようなものなのだろう。
知っているけれど、知らない。分からない。だから気になった。
シエラがまだルチアよりも幼い頃、陽の落ちて間もない頃合いのリーディング村の片隅で、姉のリアラと幼馴染のカイが唇を重ねていたのを見たことがある。鼻先が触れ合うほど近くで二人は微笑みあい、幸せそうにしていたのが印象的だった。
シエラとて、口づけを知らないわけじゃない。ホーリーでは、ルチアや蓼の巫女、そしてルタンシーンに唇を奪われた。それでも、「知らない」。
――あんな気持ちは、知らない。
「どうしてそんなことを急に……。――あ、シエラ、もしかしてエルクとなにかあったんですか?」
「……分からない」
それが正直な答えだった。
なにも分からない。胸の中で音を立て続けるこの思いがどんな名前のものなのか、さっぱり分からない。
触れる手は、いつだって優しく、ときに強かった。最初からそうだった。シエラを導く手は、最初からずっと優しかった。変わらないはずのものが、いつからか少しずつ変わっていったような気がして落ち着かない。なにかが変わったはずなのに、なにが変わったのか分からない。
抱えられて塔の上から飛び降りた、あのときは。
古代海底遺跡の中で抱き締められた、あのときは。
ロルケイト城で、アスラナ城で。たくさんたくさん、あの手が触れた。
――いつからだ。いつから、なにが変わったのだろう。
「アイツが、……エルクが、近いのに遠いんだ。これを貰ったときも、そうだった。ディルートの海が荒れていたあの日。あれほど忙しなかったというのに、わざわざ買ってきたんだそうだ」
神父服の襟を寛げてか細い鎖を引き出せば、ライナの耳を飾る青とよく似た青い石が顔を出した。あの日貰ったホーリーブルーの首飾りだ。そういえば、ライナに見せるのはこれが初めてだった。
しげしげと首飾りを眺めるライナの紅茶色の瞳が、柔らかく細められる。
「ホーリーブルー、ですね」
「ああ。あのときも、言われた。人の身で触れることを許せだとか、なんとか。――命を懸けて守る、と」
――人の身で、貴女に触れる無礼にお許しを。貴女が神となられるその瞬間(とき)まで、この命のすべてを懸け、お守りすることをお約束いたします。
それはまるで、目の前に見えない一本の線を引かれたようで。