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 氷の針が身を貫く。痛みが走り、身体の芯から血を凍らせる。それでも脈打つ心臓は、血を吐き出すことをやめはしない。閉じた瞼の裏に浮かんだのは、どこまでも深く澄み切った青海色の眼差しだった。

『君を娶ろうと思う』
 
 声がよみがえる。耳に馴染む、甘く響く声だった。
 噂に聞く美貌の青年王は、噂以上に美しい人だった。長さが不揃いな銀髪は濡れたようにきらめき、青海色の双眸は彼方を見通せるかのように澄んでいた。一挙手一投足が気品に溢れ、微笑一つで落ち着かなくなるほど胸が高鳴る色気を持ち合わせた人だ。
 そんな人が、信じがたいことを口にした。今もなお、あの声が耳の奥にこびりついている。
 再び俯いたクレシャナをジルがどんな表情で見つめているのか、このときの彼女は知る由もなかった。



「――君を娶ろうと思う」
「…………はい?」

 一体なにを聞いたのか理解できず、王の御前だというのにクレシャナは間抜けな声を出して問い返していた。手にしていたカップを取り落としそうになり、慌ててテーブルの上に戻す。揺れる水面が、心を写し取ったかのようにさざ波立っている。
 たった今の今まで、ララの花の話をしていたはずだ。海の中に咲く、小さく愛らしいララの花。青年王がその花を知っていることが嬉しくて、彼の部屋に絵が飾ってあることがどこか誇らしくて、舞い上がって耳が馬鹿になってしまったのだろうか。
 呆然とするクレシャナに、ユーリは再び同じ台詞を繰り返した。ゆっくりと、幼子に言い含めるかのように。

「め、娶る、とは、陛下……」
「君を妻に迎えたい。その小さな額を飾る銀冠の代わりに、王妃の冠を乗せて欲しいと言っているんだよ」

 今まで確かに感じていた床の感触が、急に足裏から消え去った。衝撃に打たれた舌はぴくりともせず、代わりに手足がぶるぶると震え始めた。顔面から血の気が引いていくことを自覚する。暖炉の火は薪を飲み込んで赤々と燃え、部屋は十分に暖められているのにもかかわらず、まるで雪山に裸で投げ捨てられたかのように寒い。
 青海色の瞳がクレシャナの額を――簡素な銀冠を見つめ、視線を滑らせて目を合わせてきた。穏やかな表情からは、なにも読み取れない。
 震える手を胸の前で組み合わせ、クレシャナはやっとの思いで首をゆるく左右に振った。小さな、本当に小さな動きだった。

「な、なりま、せん、へいか。どうか、からかいにならないでください。わたくしなどでは、とても……」

 アスラナ王の周囲には、身分が高く美しい女性がごまんといる。大貴族の娘達が目を輝かせ、頬を上気させ、あの家の娘にだけは負けてなるものかと美しさを競い合っていることだろう。
 それに比べて、クレシャナはどうだ。美しさもなければ、教養もない。田舎の小さな島で暮らすただの小娘だ。小枝のようなか細い手足に、肉付きの薄い腹。瞳だけは大きいが、女性らしい身体つきにはまだ遠く、子どもの域を抜け出していない。
 王妃になるということがなにを意味するのか、クレシャナとて理解していた。王妃は王とともに国を背負う存在だ。このアスラナという大国を支える柱となり、王の傍らでその政務を見守り、子をなして未来を生み出す存在だ。


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