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 血が滴る。人と同じ、赤い血だ。暗闇に浮かぶこの姿は、異形以外の何者でもないだろう。それでも貴方は、私のことを綺麗だと言う。貴方の方が、私よりもよほど綺麗なのに。

「……来な、い、で」

 ベスティアの魔女は、きっと貴方をも食らうだろう。今の貴方では敵わない。
 黒き獣の国が牙を剥く。
 貴方は人として、あの国で生きると決めたのでしょう。だったら、ここで翼を広げてはいけない。
 神炎の王よ、ここに来てはならない。
 乾く喉で貴方の名を叫ぶ。奪われた声は掠れ、音にすらならない。それでも、ただ、叫ぶ。
 ――どうか、来ないで。

「来な、で、」

 力なく首を振れば、重たい鎖が小さく鳴いた。
 肌が焼ける。魂が焼ける。
 すべてが燃える。塵一つ残すことなく焼き尽くされる。
 ――神炎を纏いし異端児が、この地に近づいてきている。


+ + +



「姫さん? 大丈夫か、さっきからぼーっとしてるけど」
「えっ、あっ……、申し訳ございません。大丈夫です。……少し、考えごとをしておりました」

 寝台に横たわるジルの額に固く絞った布を当ててやりながら、クレシャナは頭の中にかかる靄を払うように首を振って微笑んだ。細い銀冠で留めたヴェールがはらりと揺れる。
 晴れ渡った空色の瞳を訝しげに覗き見て、ジルは「ならいいけど」と溜息混じりに天井を仰いだ。明らかに言葉を飲んだその様子に、胸がきゅうと締め付けられる。
 クレシャナのことならなんでもお見通しのジルだ。きっと今も、クレシャナが嘘を吐いていることくらい気づいているのだろう。それでも、胸の内を吐露する気にはどうしてもなれなかった。
 ジルの具合は徐々に良くなってきている。折れた骨はそう簡単にはくっつかないから、歩くことができるようになるのはまだ先の話だが、それでもこうして半日起きていることも苦ではなくなってきている。
 ジルの回復を喜ぶ半面、言い知れない焦燥感がクレシャナを蝕んでいく。砂時計の砂が絶え間なく落ちるように、刻一刻とそのときが近づいてきているのだと、不安が身体の奥で声を上げている。
 噛み締めた唇を解くように柔らかくなぞられて、ぴくりと肩が震えた。薔薇の精を思わせるほど美しいジルの面立ちが、心配そうにクレシャナを見上げている。

「言いたくなかったら言わなくていいよ、姫さん。でも、一人で悩むなよ。こんなザマじゃ頼りがいないかもしんねぇけどさ、吐き出したくなったらいつでも言ってくれよな」
「ジル……。ありがとうございます。……今はまだ、申し上げることはできませぬ。しかしながら、ジル、いつか聞いてくださると、とても嬉しゅうございます」
「ああ、もちろん。俺はいつだって姫さんの味方だぜ。忘れないでくれよな」

 蜂蜜を溶かしたような優しく甘い言葉に、心が温まる。艶を失わない薔薇色の髪に櫛を通してやる間、クレシャナは瞳の奥に広がる熱を必死に押し殺していた。
 王都に訪れたいと望んだのは自分自身だ。無理を押し通した上でジルの力を借りてここまでやってきて、そんな彼に怪我を負わせてしまった。自分の我儘が死をも引き寄せたというのに、彼はこうして屈託のない笑みを浮かべてクレシャナを受け入れてくれる。
 彼はきっと、疑いもしていないだろう。数ヶ月後、再びあの南の島で島民達と笑い合う日々が訪れることを。その輪の中に、クレシャナが共にいることを。


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