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「このまま戻ってこないか」

 沈黙を貫く二人の魔導師に、シエラは重く切り出した。
 このまま戻ってくればいい。そしてユーリにすべてを打ち明ければ、きっと彼らの身は助かるはずだ。魔導師学園の生徒達だって、ユーリが命じればきっと掬い出せる。そうでなければ、彼が国王である意味がない。

「――ありがと、シエラ。でも無理だよ」
「なぜだ!」
「他者の気配を感じます。我々を見張っているのでしょう。この二人が不審な動きをしないか、見ているのかと」
「そんな……」

 シエラにはただの暗闇にしか見えぬ空間に目をやって、バスィールがそう言った。ラヴァリルもそれを理解しているのか、あえてそちらの方は見ずに苦笑している。
 リヴァース学園を出たそのときから、この気配はずっとシエラ達をつけていたらしい。相変わらずこの五感は、魔物以外にはまったく役に立ちそうにもなかった。
 このままでは、聖職者と魔導師の戦いは避けられないだろう。ロータルはそのつもりでいる。そして、ユーリとて応戦の準備はしているはずだ。シエラ達が帰城することにより、ユーリを堰き止める枷はなくなる。
 だとすれば――……。

「それでも帰らなきゃ」

 泣きそうな顔で笑うラヴァリルを直視できず、シエラは縋るようにリースを見た。

「理事長には返しきれない恩がある。――俺は、あの方のお傍を離れられない」

 柔らかな微笑。それは初めて見るに等しい、リースの穏やかな表情だった。
 よりにもよって今か。どうしてもっと別の状況で見せてはくれなかった。どうして、こんなときに。
 悔しさに臍を噛む。伸ばした手は確かに彼らに触れられるのに、引き止めるだけの力を有してはいなかった。なにが神の後継者だ。なにが奇跡の子だ。友人の心すら動かせないこの手が、どうして世界を動かせるのだろう。
 「リース……」呟くラヴァリルの声が揺れている。彼女がどれほど彼を助けたいのか、シエラはもう知ってしまった。

「……私は、お前達を連れ戻す」
「それはできない。お前達の味方をすることは絶対に、」
「仲間にはできなくても、人質にはできるだろう」

 ロータルの手法も学ぶべきだ。バスィールの好む“真”からは遠ざかってしまうだろうが、たまには偽りも必要なのだとシエラは思う。そんなシエラを、バスィールは責めようとはしなかった。清廉潔白なライナもまた、困ったように笑って頷いている。ライナに背負われて眠るルチアは、とても幸せそうな寝顔をしていた。
 仲間にできないというのなら、彼らを人質として捕らえてしまえばいい。向こうが上手く動揺してくれれば儲けもので、そうでなくとも彼らを取り戻せるのだから十分だ。
 言葉を失くして唖然としていたラヴァリルが、今にも泣きそうなほど顔を歪ませた。慌てて後ろを向いたのは、眦から滑り落ちるものを見せないためだろうか。呆れたように鼻を鳴らしたリースも、いつもの憎まれ口は叩かない。
 別れ際、シエラはしっかりと彼らを見据えて言った。
 
「約束する。――必ず、救い出す」


+ + +



「後継者様のお戻りです!!」

 行きも突然なら、帰りも突然だった。
 使者どころか手紙での一報すらなく、シエラ達は夜更けに城に戻ってきた。外傷はなく、汚れた様子もない。この二十日余りを不自由なく生活していたことは伺えたが、向こうでどんな様子だったのかは分からない。
 出迎えに走った役人や兵士、女官達は、ユーリがやって来たのを合図に徐々に散っていった。海を割るように道が開く。
 青年王はシエラ達を前に、重く息を吐いた。そこに滲んだ疲労の色に、連日浴びせられる淀みが滲んでいるようにも見える。
 たっぷりと間を開け、青年王は「報告はあとだ」と言い置いて踵を返した。さすがに緊張していたのか、ライナが肩の力を抜く瞬間を、人垣の隙間からサイラスは目撃した。
 夜中だというのにまだ着替えもしていなかったエルクディアが、人波を掻き分けて前に出る。シエラと向き合った彼は、ほんの一瞬ぎこちなく腕を動かし、すぐに流れるような動作でその場に跪いた。

「無事のお帰り、心よりお慶び申し上げます」

 人目があった。エルクディアの行動はそれで正しい。それはサイラスにもはっきりと見て取れるのに、なにかが間違っている気がして仕方がない。この違和感はどこから生じるのだろう。
 オリヴィニスの僧侶が、シエラの傍らで佇んでいる。
 シエラは無言のまま、跪くエルクディアに向かって右手を差し出した。白くたおやかなその手の甲に、竜騎士の唇が触れる。
 ――なに一つおかしくない。これは騎士の挨拶だ。主君に対する口づけだ。
 なにも間違ってはいない。

「……なんだこの茶番」

 蒼い髪が揺れ、影の落ちた金の双眸がエルクディアを映す。傍から見れば、それはとても美しい光景だった。あれほど業を煮やしていた役人達ですら、息を飲んで魅入るほどに。
 だが、そこに薄ら寒さを感じるのはサイラスだけだろうか。下手な芝居を見ているような気がして仕方がない。
 やがてシエラ達が自室に戻るべくその場を離れる際、最後まで残っていたバスィールが人垣の向こうから確かにサイラスを射抜いた。勘違いなどではなかった。紫銀の双眸が、はっきりと自分を見ている。
 訳も分からず凍りつくサイラスに、彼は小さく首を振った。それがなにを意味していたのか、分からない。
 胃の腑を素手で掴まれるような気持ちの悪さに、サイラスは思い切り頭を掻き毟った。



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