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 オリヴィニスの僧の戒律に、「殺してはならない」というものはない。彼らは侵略者から自国を守るため、必要とあらば武器を取った。無闇な殺生は禁じられていても、必要に迫られた際のそれは許される。
 紫銀の双眸が冷たくロータルを見据えた。しばらく押し黙っていたロータルが、けたけたと濁った笑声を上げながら銃を下ろす。

「どうやらハーネットでは、貴女のご友人になりえなかったらしい。しかしながら後継者様。帰ると申されますが、そう簡単に“返す”とお思いですか? 確かにオリヴィニスとホーリーを敵に回すことは恐ろしい。ですが、どちらの国もここに来るまでには時間がかかりましょう。それだけの時間があれば、どうにでもなるものなのですよ」
「おじさん、ルチア達が簡単に邪魔されると思ってる〜?」

 緊迫した空気を打ち破る幼い声に、それまでルチアなど一切視界に入れていなかったロータルが露骨に不快そうな顔をした。子どもはでしゃばるなと言いたげだ。そのなにも理解していない表情に、シエラの唇に笑みが乗る。
 明るく笑ったルチアが、自身の人差し指を軽く咥えた。それだけを見れば、指しゃぶりの習慣がまだ抜けていないあどけない子どもにも見えただろう。だが、少女がか細い指の腹に歯を立てた瞬間、そんな幻影は一瞬で霧散する。大人でも眩暈がするほどの色香が漂い、薄い唇から小さな頤を伝う赤い雫に目が奪われた。
 ルチアが指を弾いて、指先に浮いた赤い珠を近くにいたロータルの秘書に向かって飛ばした。雫がたった一滴頬に付着しただけだというのに、男の顔色が一変する。胸を押さえて苦しむ姿に、魔導師学園の者達は誰もが一様に驚愕に目を瞠った。

「だぁいじょーぶだよ。それくらいじゃ死んだりしないもん。でもね、ルチアが本気出したら、ここにいるみーんなころしちゃえるんだよ。ほんとなんだから!」
「ぐっ……、ぁ……!」
「ねーえ? これでも、邪魔する?」

 小さな毒姫は無邪気に笑う。
 未だ血の流れる指先に真っ赤な舌を這わせ、子どもには思えぬ妖艶な微笑を浮かべて。

「……ふふ、あははははっ! 後継者様は実に面白い。お美しいばかりではないらしい。分かりました。これでは少々私どもに分が悪い。アスラナ城までお送りしましょう」
「忘れるな。こちらの要求は三つだ、ロータル・バーナー」
「後継者様。貴女も一つ勘違いをなさっておられるらしい。貴女は確かに神の後継者であらせられるが、この国の王ではございますまい。陛下直々のご命令とあらば、我々も従いましょう」

 なおも食い下がろうとしたシエラを、ライナがそっと手を握って引き止めた。どうやらここが引き際らしい。だが、ラヴァリルとリースはどうなる。このまま放っておけば、ロータルが彼らになにをするか分かったものではない。
 シエラの懸念を感じ取ったのか、ライナが安心させるように目元だけで笑った。しかし、それは一瞬で切り替わる。

「では、わたくしが命じます。ロータル・バーナー。そこの二人は、無傷でアスラナ王のもとに引き渡すと誓いなさい。リース・シャイリーに傷一つでもあれば、その血を利用したと判断します。ラヴァリル・ハーネットにいたっても同じことです。力づくで口止めする必要があった――そう捉えます。分かったら返事をなさい」

 しゃんと伸ばされた背筋、無機質な声はそれでいて気高さを滲ませ、本物の高貴さを持っていた。付け焼刃のシエラでは醸し出せない凛とした雰囲気に、その場の空気が色を変える。
 これが公爵家の血筋が持つ力か。
 高らかに嗤ったロータルが、低く唸った。

「お約束いたしましょう、クレメンティア姫。ああそうだ、その誓いの代わりに、お見送りはこの二人にさせましょう。目が届いた方がご安心なさるでしょうからな。――行け、シャイリー、ハーネット。丁重にお送りして差し上げろ」

 震える声が了解を告げる。
 その傍らで、紫水晶の瞳が月を睨んでいた。


+ + +



 どうして、貴女、くちづけないの。
 どうして、どうして。

 祝福を。
 愛しい子らに、祝福を。

 貴女、どうして、くちづけないの。
 どうして、どうして。

 くちづけを。
 愛しいのなら、求めるのなら、くちづけを。

 眠らせて、閉じ込めて、凍らせて。
 どうかくちづけて。

 ――さあ、神の祝福を。


+ + +



 アスラナ城までの道中、手綱を握ったのはリースだった。
 ロータルが指示したように、彼らの他には誰もいない。あのやりとりのすぐ後に出発したので、外は夜の帳が下りていた。
 馬車に乗り込んだラヴァリルは通夜のような沈痛な面持ちで俯き、膝を睨んでいる。その姿にどう声を賭けたらよいのか分からず、シエラは何度も口を開きかけては言葉を飲み込んだ。
 一世一代の大芝居は、どうやら及第点には到達していたらしい。ひとまず、自分達がこのまま無傷でアスラナ城まで帰還できれば合格だ。

 ――だが、ラヴァリルとリースは。
 悩んでいる間にも、馬車はクラウディオ平原を進んでいく。ライナの膝の上ですうすうと寝息を立てるルチアの寝顔だけが、とても穏やかだった。
 松明を燃やす城門が闇の向こうに見えてきた。そう遠くはないところに馬車を停めたリースが、ランタンを片手に降りろと促してくる。状況が状況なだけに、城門のすぐ前に停めることはできなかったのだろう。馬車を降りた途端、ひやりとした風が頬を撫でた。
 まだ夜は深い。数多の星の明かりに照らされて、リースの横顔がぼんやりと薄闇に浮かび上がっている。浮かぶ月は、明日には満ちるだろう。


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