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 入れ替わりで、ライナが一歩前に出る。すれ違った瞬間に感じた冷たい空気は、無視したくてもできないものだった。フルーは群青色の瞳をきつく細め、まるで初めてライナの存在に気がついたかのように、頭の天辺からつま先までをじろりとねめつけた。
 凝視と呼ぶに相応しいそれは好戦的だったが、ライナは表情一つ変えず、ただ静かに彼女を見下ろしていた。

「あーら、誰かと思ったら、王立学院神官課程を主席卒業のメイデンさん。あなた、こんなところにいらしたの? 驚きましたわ」

 わざとらしい口調にライナが一瞬顔を強張らせる。しかしそれは本当に一瞬で、エルクディアが立ったまま眠ろうとするシエラの肩を揺さぶったときにはもう、既に穏やかに微笑んでいた。
 眠たそうに目を擦ったシエラは、呂律の回らない口調でぼそりと呟く。

「あの二人、知り合いらしいな」
「そういや、そんなことも聞いたような……」

 ライナが王立学院の生徒だった頃、フルーは既にそこで働いていたはずだ。となると、学院時代彼女達になにかあったのだろうか。
 触らぬ神になんとやら――エルクディアとシエラはその場から一歩離れ、遠巻きに彼女達を傍観することに決めた。

「おかげさまで。先生は相変わらずお若いですね、身も心も」

 ――脳内も、と聞こえたような気がしたのは、気のせいだろうか。

「あらいやだ。メイデンさんこそ相変わらずお可愛らしいわ。それにとても逞しくて、わたくし憧れてしまいますもの」
「ご冗談を」
「冗談などではありませんわよ。メイデンさんったらお城に仕えたと思えば、このようにエルクディアさまともべったりでしょう? 羨ましいですわ。わたくしだったら、まだまだ力不足の神官ごときが国一の騎士さまとご一緒するなんてできませんもの! それに、神の後継者様の護衛の任だって辞退いたしますわ」

 恐れ多くて、と続けられた言葉に、ライナではなくシエラの表情が翳る。
 自分はシエラ・ディサイヤ以外の何者でもないと言った彼女の言葉を思い出し、エルクディアの胸につきんとした痛みが走った。本当は孤独が苦手なくせに、それを知らない彼女は、自分を消されそうになることに不安を覚えているのだろう。
 「神の後継者」に「シエラ・ディサイヤ」を消されるのではないかという、底知れない不安を。
 その不安がほんの少しでも分かってしまうからこそ、やるせなかった。ひとまず彼女達の舌戦を止めようと口を開いた瞬間、凄烈な空気がライナから発せられる。
 彼らの目に映ったのは、口元には笑みをたたえたまま、射ぬかんばかりの眼光を浴びせるライナの姿だった。

「これから先、枯れ果てるだけしか道のない先生と違って、わたしはこれでも将来有望の身ですから。恐れ多くとも、陛下直々に嘱された任ですので誇りを持って取り組んでいます。……ああ、それから」

 淀みなく紡がれた最初の台詞にフルーは盛大に眉をひそめた。

「あまり不用意な発言はなさらないようお願いしますね。もう一つ言わせていただきますが、折角綺麗に若作りなさっているのに、顔を近づけすぎると小皺がばれてしまいますよ?」
「なんですって!?」
「あら、難聴にはまだ早くありませんか? 小皺がばれてしまいますよ、と言ったんですよ」

 過去になにがあったのかは分からないが、どんどんと冷えていく両者の声音にエルクディアはぶるりと身震いした。シエラに「止めれるか?」と尋ねれば、彼女は間髪入れずに「無理だ」と返す。
 それはそうだろうと思いつつも、そろそろこの攻防を見ているのもつらくなってきた。普段のライナであれば、どれほど腹を立てようとここまで罵詈雑言を重ねることはしないだろう。
 今ここに、女性の扱いには手馴れているあの王が来てくれればいいものを――珍しくも青年王の登場を真剣に願っていた彼の耳に、かつんと響く軽やかな足音が聞こえた。
 青年王のものではないにしろ、この状況から抜け出せるのであれば誰でもいい。シエラも内心同じことを考えているらしく、廊下の先に視線を向けている。
 角からひょいと顔を出したのは、つい先日この城を騒がせたラヴァリル・ハーネットその人だった。

「おっはよー! えるくん、シエラーっ!」

 明るく響いてきたラヴァリルの声に、あからさまにエルクディアが脱力したのが分かった。ぶんぶんと手を振りながらピンヒールで駆けてくる魔導師は、蜂蜜色の髪をゆったりと編んで背中に流している。ワインレッドの制服も、彼女の髪の色と比べればかなり落ち着いた色に見えた。
 つい先日この城に大穴を開けた人物だとは思えないほど明朗な彼女は、シエラ達のもとへやってくるなり不思議そうに首をもたげる。それでも一触即発状態のライナとフルーの様子には気づかないのか、へらりと笑った。

「えーるくん、シーエラ、どしたの? ライナにそれから……フルー先生、だっけ?」

 突然現れたラヴァリルに、フルーの意識が持っていかれる。元々彼女の容貌は人目を引く。幼い顔立ちに反して豊かな胸と、すらりと伸びる長い手足。瞬きをするたびに音が鳴りそうなほど長い睫は、彼女の瞳を綺麗に飾っていた。

 黙っていればかわいいのだと思う。
 だが彼女は口を開けば息もつかせぬ語りを始め――しかもその大半がリース・シャイリーについての話だ――、理解できない内容をつらつらと述べ続ける。
 元来あまり喋る方ではないシエラにしてみれば、彼女は「よく喋る」という印象以外の何者でもない。
 この場の空気を一掃させるにはいささか不安な人物の登場に、エルクディアは浅く溜息をついた。

「ほんと、どしたの? あ、そうそう、さっきユーリさんがみんなのこと呼んでたよ? いつものところにいるから、だってさー」

 「いつものところってどこなのー?」などと笑いながら言うラヴァリルの言葉は、エルクディアが待ち望んでいたそのものの台詞だった。
 嬉々として「本当か?」と聞き返す彼を横目で見、シエラはどこが嬉しいのかと疑問に思う。
 あの喰えない国王からの呼び出しだ。あまりいいことではないような気がする――そんな直感が働いていた。
 


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