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 人を斬るたびに赤い輝きが濃くなるような気がして、実は少し気味が悪い。――そのようなことが口にできるはずもないのだけれど。
 剣の重みはきっと命よりも軽い。それなのに振るうたびに重みが増していく気がするのは、一体なぜなのだろうか。まるで、騎士になりたての者のようなことを考えているなと自嘲して、エルクディアはそっと息をつく。

 ――ガタンッ、とやけに大きな椅子を引く音が扉の向こうから聞こえた。
 頭を抱えたくなる衝動をなんとかして耐え、ちらとライナに視線を送る。彼女は耐え切れなかったらしく、深い溜息と共に額に手を当てていた。
 予定よりも早すぎる終了の理由は、容易に想像できる。ああけれど、もう少し粘ってくれてもいいだろうに。
 そんな願いも虚しく、怒ったように足音は近づいてくる。「諦め」という言葉を学んだエルクディアは、勢いよく開かれた扉の向こう側から一目散に駆けてきた人物を見て、憐憫の眼差しを向けた。

「エルクディアさまぁっ、わたくしもう無理です限界ですやってられません! このお仕事、やめさせていただきますわっ!」
「フルー先生、一体どうなさいました」

 どうなさいましたもなにもないと心中では思っていても、一度は尋ねなければならない。

「聞いてくださいますかエルクディアさま! シエラさまったらわたくしの話はこれっぽっちも聞いてくださらないのですよ! いつの間にか寝てらっしゃいますし、わたくしが説明しても『だからなんだ、だからどうした』の一点張り! あげく『いつになれば終わるんだ?』ですよ!」

 王立学院でも優れた教師の一人、セリカ・フルーはエルクディアの胸にしがみつくようにして声を荒げる。
 瞳を潤ませ、彼女はさらに続けた。

「わたくしの、この、セリカ・フルーの講義を! 面倒だの一言で片付けられるだなんて信じられません、ええ、信じませんとも!」

 矜持を傷つけられたフルーはいきり立ち、群青色の瞳をこれでもかというくらいに涙で濡らして鼻をすんと鳴らした。
 おさげ頭の彼女はどう見たところで二十代にしか見えないのだが、これでも三十路は軽く越えている妙齢の女性らしい。
 精神的にも能力的にもシエラの教育係にぴったりかと思われていたのだが、どうやら読みが甘かったようだ。フルーが繊細すぎたというよりは、シエラの態度が想像の範囲を超えすぎていたのだろう。
 とはいえ王立学院とて暇ではない。ここで彼女に辞められてしまっては、いささか困るというものだ。シエラは今まで、高水準の教育を受けてはいない。基本的な読み書きはリーディング村の教会で学んでいたようだが、聖職者に関することはもちろん、アスラナの歴史に至るまで、彼女の中にはこれっぽっちも詰め込まれていなかった。

 年上には見えない若々しさ――むしろこの場では荒々しさだ――に圧倒されつつ、エルクディアはしがみついてくるフルーを、とりあえず引き剥がそうとした。が、肩に手を置いた瞬間に、彼女はさらに強く腕を回してくる。
 助けを求める視線をライナへと向けたのだが、可憐な神官は呆れたような目で彼女を見るだけで手を貸してくれる様子はない。それどころか無言で立ち上がり、シエラの残っている部屋の中へと消えていってしまった。
 取り残されたエルクディアの額に、冷や汗が伝うのを感じた。ええと、と、再び口ごもって打開策を考える。

「フルー先生、お願いがあるのですが……」
「なんですの?」
「ええと、少し……その、離れていただけないでしょうか?」
「まあひどい! エルクディアさまったら、わたくしに触れるのも嫌と言うのですね? そんなっ、あんまりですわ!」
「そうではなく、この体勢ですとお話を聞きにくいものですから、ね?」

 しぶしぶといった様子ではあったが、フルーがエルクディアから身を離す。それでもぴたりと寄りそうように長椅子に腰掛けて、彼女は小さな子供のように服の袖で目元を拭った。

「エルクディアさま、あの方をどうにかしてくださいませ」

 ――近い。
 必要以上に顔を近づけてくる彼女に若干の悪寒を感じつつ、エルクディアは頬を引きつらせた。
 それをどうにかするのがあなたの仕事でしょう、という言葉をすんでのところで嚥下する。

「それをどうにかするのがあなたの仕事でしょう、フルー先生」

 ――あれ、俺喋ったっけ。
 心中をそのまま代弁した台詞に、エルクディアは目を瞠った。前を向けば眠たそうなシエラの手を引いたライナが、穏やかな微笑を浮かべて立っている。
 その背後に黒い靄が見えそうな気もしたが、彼はあえて気づかないふりをした。さり気なく席を立ってシエラの傍らに移動する。



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