19 [ 473/682 ]


「――今のお前は、俺達の上に立つ資格などない。剣を抜け、エルクディア・フェイルス。その座が身に余るというのなら、一塵の未練もないようそこから叩き落としてくれる」

 眠れる獅子が、牙を剥く。
 迷いなく抜かれた剣の鋭さに、見慣れたはずなのに一瞬足が竦みかけた。刃よりも、突き刺さる視線の方がずっと鋭かった。「どうした、抜け」冷たい声が投げられる。
 ――ああ、そうだ。どうして忘れていたのだろう。
 ただの生意気盛りの子どもだった時分に、王都騎士団長候補と言われたエルクディアを最も厳しい眼差しで検分していたのは誰だった。戦地で敵兵を斬り伏せるたび、戦績を上げるたび、「思い上がるな」と冷静に告げてきたのは誰だった。
 六番隊リーオウの隊長に就いたとき、「こんな子どもには任せられない」と誰よりも反対してきたのは誰だった。

「……オリヴィエ」
「俺が従うと決めたのは、竜と呼ばれるに相応しい男だ。ただのトカゲに用はない」

 空気が震える。柄に手をかけたのは反射だった。土埃が舞い上がったその一瞬で、目と鼻の先に研ぎ澄まされた刃がキィンと鳴いていた。あと一瞬でも反応が遅れていれば受け止めきれず、血が噴き出していたことは確実だ。血の代わりに、どっと汗が噴き出した。唇が渇く。
 間を開けず、一合、二合と剣を重ねるたびに、殺気と呼んでもおかしくない怒気が突き刺さる。正確無比な剣筋は、かつてエルクディアも憧れたものだ。
 お手本通りのような太刀筋なのに、そのどこにも隙がない。身を屈め、下から切り込めばすかさず間合いを取られて避けられる。体勢を立て直す一瞬で距離を詰められ、今度はこちらが飛び退るはめになった。
 意識が自然と切り替わる。眼前の獅子は、決して子猫などではない。油断すれば、その爪は容易く喉笛を切り裂くだろう。
 オリヴィエが繰り出した剣圧によって、髪がはらりと散った。剣を交えて踏みとどまるも、じりじりと力で押されてはこちらに不利だ。

 ――エルクディアの最大の武器にして最大の弱点が、身の軽さだった。
 もう昔ほど非力ではない。体重も筋肉も、闘う者としては必要なだけ得られた。だが、それでも彼らに比べればまだ“軽い”のだ。だからこそ、速さを生かした。身を守る甲冑すら着けず、最低限の防備だけで馬を駆った。
 神速を謳うこの剣は、長期戦には向いていない。オリヴィエはそれを知っている。だから彼はこうして間合いを詰めて、エルクディアに休む隙も飛びかかる隙も与えないようにしてくるのだ。

 エルクディアの師、オーギュスト・バレーヌは常に言っていた。どんな勝ち方でもいい、必ず生き残れと。その教えは騎士道を歩む者にしてはとても珍しく、異質だった。
 高潔な精神は確かに必要だが、死んでしまっては元も子もないのだと。地を這い、砂を噛んでも生き延びろ。その先にしか、未来がないのならば。
 オーギュストの言葉は、いつだって重くのしかかる。

 長い足で繰り出した蹴りを、間一髪のところでオリヴィエは身を捩って避けた。靴裏が僅かに肉の感触を捉え、再び地を踏み締める。よろめいた相手の腹部に一閃する。直前で阻まれた剣先は、そのままエルクディアの身体を引きずっていった。
 息が上がる。額に滲んだ汗を拭うこともできず、気を張り詰めて対峙する。
 色濃い琥珀色の双眸は、温かい色味とは裏腹に冷え切っていた。
 オリヴィエが体勢を低くし、一足飛びに距離を詰めてきた。腕が痺れる。重みのある一撃に、噛み締めた奥歯から呻き声のようなものが漏れ出ていった。
 押される――そう思った瞬間、視界の端に奇抜な色が飛び込んできた。

「はーい、ちょい待ち! ――なにしてんすか、オリヴィエたいちょ」

 場違いなほど明るい声が聞こえたかと思えば、それはすぐに真剣な響きに変わった。
 派手な紫に染めた髪をウニのように立たせた男――サイラスが、鞘に納めたままの剣でオリヴィエの剣を払ったのだと、そのときやっと気がついた。
 両者の間に立つ男は、激しい殺気をぶつけられてもけろりとしている。

「どけ。邪魔だ」
「だめっすよー。うちのたいちょーめーれーっすもん。あの人ひどいっすよね、俺に止めてこいって言うんっすよ。そーたいちょと六番隊たいちょのケンカなんて、俺に止められるかーって一応文句は言ったんすよ、いやこれマジで。アンタの兄貴なんだから、部下は労われってビシッと言ってきてください」

 軽い物言いのサイラスが指さす方向に、欠伸を噛み殺すフェリクスが見えた。エルクディアが剣を下ろしたのを見届けるなり、熊のような男はあっさりと背を向けてしまったけれど。
 オリヴィエの鋭い舌打ちが響く。彼は乱れた髪を掻き上げると、フェリクスとは反対の方向へ踵を返した。なにも言わない。苛立ちが透けて見える足取りが、言葉よりも雄弁にエルクディアを責め立てる。

「あーびっくりした。そーたいちょ、なに言ったらあの人をあんなに怒らせられるんすか? ……今のアンタが隊長格と揉めるのがどんだけマズイか、分からないわけでもないでしょーに。しかもよりにもよって、オリヴィエたいちょって」

 大げさに胸を撫で下ろしたサイラスが剣を腰の帯に差し、エルクディアを覗き込んでくる。
 今なにを言われたのか、自分がなにをしたのか、疲労とともにその実感が襲いかかってきた。

「……分かってる」
「ほんとに?」

 分かっているつもりだ。そのはずだった。そうでなければならない。
 王都騎士団総隊長エルクディア・フェイルスは、国王ユーリ・アスラナの友人であり、その臣下だ。王の名のもとに剣を捧げ、誓った。彼の望む道を開き、国に尽くすのが役目だ。


[*prev] [next#]
しおりを挟む


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -