17 [ 471/682 ]

 泣きそうな顔で笑わないでほしい。苦しんでいることが、傷ついていることがありありと分かるその顔で、こちらを見つめないでほしい。
 伸ばした手の先の無力さを思い知らされる。この手は、この声は、目の前の友人すら救えないのだと。

「……リースは逆らえない。あの子は昔、理事長に命を救われた。絶対の恩義があるの。罪禍の聖人だって分かっても、理事長はリースを受け入れた。そりゃそうだよ。あの人は、リースの血が利用できるって分かってた」
「利用できるって、そんなことが……」
「満月の夜に、罪禍の聖人は血が目覚める。知ってるよね? ……その罪禍の聖人の血に魔物の血を混ぜればどうなるかも、知ってる?」

 古びた鉄扉のようにぎこちなく頷いたシエラを、ラヴァリルは見ようとはしなかった。闇に浮かぶ月を見上げて、忌々しげにねめつけている。満ちるなと言いたげな視線に、そこから推測できる意味に、心臓が急いた。

「威力は落ちる。意のままに操ることはできない。でも、利用はできる。……そんな魔導具が、あるんだよ」

 息が詰まった。こんな状況でなければ、「なにを馬鹿なことを」と一蹴したい内容だった。乾いた唇はぴたりと上下貼り合わさり、言葉を紡ぐことを放棄する。仮に口を開けたところで、ろくな言葉は生まれてこなかっただろう。
 そんな折、凍りつくシエラの脳裏に浮かんだのは、巨大な鳥籠だった。
 醜悪な巨大鳥の魔物。毒々しい魔気と腐臭を放ち、人を狂わせたあの存在。高位の聖職者もいないミクスィーア城で、ホーテン・ラティエはどうやってあの魔物を閉じ込めていたのだろう。
 人を傷つけることのできる銃弾。“飼われていた”魔物。
 ――ホーリー出身の魔導師。

「特殊金属の出所は知らない。バスィールさんの前で断言してもいい。あたしはただ、理事長に『使え』って言われて渡されただけなの。嘘じゃない。……でもね、あの魔導具のことなら少しは知ってる。……もう、いくつか他国にも売ったことがあるって言ってた」
「お前っ、それがどういうことか分かっているのか!?」
「分かってる! 分かってるから話してるんだよ!! ……ねえ、シエラ、不思議に思わなかった? 強固な結界が施されたクラウディオ平原で魔物が現れるだなんて。おかしいと思わなかった? “どうして王都に三度も魔物が現れたのか”って」
「三度も? ――待て、ラヴァリル、それって!」

 王都クラウディオを襲った大きな魔物の被害の一つを、シエラは身をもって知っている。

「あの人狼騒ぎは、お前達の仕業だったとでも言うのか!?」
「魔導師の協力も必要だって思わせるためには、ああするしかなかったの!」
「ふざけるな! 何人の人間が死んでっ……、どれだけの人間が苦しんだと思っている!?」

 双子の人狼の襲撃によって、ライナまでもが命を脅かされた。
 そんなことがあってはならない。あんな恐ろしい真似を誰かが故意に引き起こすだなんてことは、絶対に許されていいはずがない。
 それが二度目、そして今回の件が三度目だとするなら、一度目は。そこまで考えて、脳裏をよぎった記憶に歯噛みした。
 シエラが王都入りする前日に、低級の魔物の群れが王都上空を埋め尽くした話は聞いている。幸い被害は少なかったが、聖職者を総動員して祓魔に当たっていたと。ゆえに、シエラの護衛には聖職者が少なかったのだと。
 あれがもし、彼らの仕業だとするのなら――……。

「お前達のやっていることは、許されることじゃない!」
「じゃあ、ユーリさんは誰も苦しめてないって言うの? 今まで魔導師は“悪”に分類されてきた! 聖職者が頂点にいる限り、それはずっと続くの。同じように魔物を倒して人を助けても、聖職者が『魔導師のやり方はよくない』って一言言うだけであたし達は責められるの。あたし達がどんなに命懸けで戦っても! ねえ、罪禍の聖人がそんなに悪い? 転化する危険があるのは誰だって一緒でしょ? なのに、一生消えない罪を背負わせるの? そんなに魔導師がいけない!? そんなに“聖職者”が素晴らしいの!?」
「それとこれとは話が別だろう! お前達がやったことは、」
「分かってるってば!! 分かってるんだよ……。理事長のやってることがおかしいことくらい、分かってる。最初は、分からなかった。魔導師と聖職者、どちらも平等な世の中をっていうのが理事長のお考えだった。そのために少しくらい魔物を使って魔導師の地位を向上させるのも、別になんてことないって思ってた」

 手摺りを掴むラヴァリルの手が、雪よりもなお白く変わっていた。俯く目元を雫が濡らす。
 大きくしゃくりあげ、彼女はその場に崩れ落ちた。

「魔導師が優位に立つためにわざと魔物を呼んで討伐しろって言われて、なにか変だなって、思ったけど……。でも、もう分かんないの。なにがなんだか分かんない。だって、理事長のお役に立つことが、あたしの生きがいだってずっと思ってたんだもん。あの人はいつだって正しかった、今だってどこかで正しいんじゃないかって思ってる! お城を抜け出したのだって、正しいと思ってやったことだもの。でも……、ごめん。あたし、今の自分がなにをしてるか、どうしたらいいのか、全然分かんないの」

 血を吐くようにラヴァリルは言い、両手で顔を覆った。
 もうすぐ、月が満ちる。あと数日で、あの月は大きな円となるだろう。


[*prev] [next#]
しおりを挟む


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -