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「ちょっとちょっと! こんなにレベル高いって聞いてないんだけど!?」
「無駄口を叩く暇があるなら手を動かせ、ハーネット!」

 二頭を一度に相手取るのは骨が折れる。まずは手負いのマンティコアを浄化しようと駆け出したシエラの身体に、再び風の守護が纏わりついた。振り返らずとも分かる。ライナが授けてくれたものだ。
 新たなマンティコアに向かって放たれる銀の弾丸が、乾いた空気を割る。肌に感じる熱は、リースの魔術が引き起こす爆発だ。言葉にしなくても、彼らは自然と役割を割り振っていた。
 飛んでくる毒針はライナが瞬時に金剛壁を築いて阻み、万が一に備えて、その毒を無効化する新たな毒をルチアが生み出す。
 手負いの魔物が爛れた四肢を動かして跳躍し、シエラに襲いかかる。その鋭利な爪を阻んだのはバスィールだ。ルチアの手首ほどの太さの錫杖を構えてマンティコアの爪を受け止めた彼は、小さく何事かを呟いて勢いよく錫杖を薙ぎ払った。

 極彩色の僧衣が揺れる。割れた裾から覗いた足に浮いた筋肉が波打ち、裸足の甲が的確に魔物の顔面を捉えた。
 透けるような銀髪が扇状に広がったかと思えば、高く鳴り響く錫杖の澄んだ音が、濁った獣の唸りを叩き伏せる。
 その鮮やかな手並みに見惚れていたシエラを、紫銀の瞳が促すように射抜いてきた。どくりと跳ねた心臓に無視を決め込み、ロザリオを握る。
 水の凍る音が遠くに聞こえるが、それはすぐに静かな水音に呑まれて聞こえなくなった。こぽこぽと、深海から立ち上るような気泡の弾ける音が、身の内を満たす。

「<原始の源、海原の音に呑まれて沈め。マーレ・スオーノ!>」

 神言は頭で考えずとも、不思議と勝手に口を突いて出ていた。身体を神気が駆け抜ける。辺りに水気が満ち、水霊達が一声に歌を奏でた。どこからともなく生じた大波が、口を開けてマンティコアを飲み込む。
 耳に届く音は、どう聞いても海の音だった。平原の外れでは到底聞こえるはずもない潮騒が響く。
 波に呑まれた魔物に、シエラはなにかに導かれるようにして雷刃を放った。マンティコアの絶叫が木霊する。最後の足掻きとばかりに放たれた毒針は、一本残らずバスィールが叩き落とした。キィンと澄んだ音が響く。
 そして、後にはなにも残らない。爛れた臭気も、血の跡も、なに一つ。あるのは濡れた大地にきらめく聖灰だけだ。
 浄化できたのだと悟った瞬間、どっと身体が重くなった。だが、ここで休むわけにはいかない。
 背後を振り返り駆け出すシエラに、バスィールは声なく付き従った。

「シエラ、そっち終わったの!?」
「ああ! コイツも浄化して終わらせる!」

 魔導師達に任せていたもう一頭は、リースの短剣が左目に深々と突き刺さった状態で暴れ狂っていた。ライナの拘束術が効いているのか、満足に動けないところに銀の弾丸と魔術が注ぎ込まれる。
 大技の連続で、すでにシエラの体力は底が見えてきている。それでも、足が動いた。ロザリオが鳴き、それに応えるように神気が揺れる。ふらつく身体を支えてくれるのは、いつもの優しい手ではない。
 翼を折られ、四肢を縫い止められてもがくマンティコアを前に、リースと目が合った。その瞬間、二人の唇が同時に動き出す。

「ロイ・フ・トシグナ・ラウフ!」
「<神の炎に抱かれて眠れ、聖火葬送(セイクリッド・クリメイション)!>」

 重なる二つの術式に、異なる二つの炎が生じてマンティコアを飲み込んでいく。
 リースの放った炎の蛇が魔物の身体を絡め取り、生じた爆発で弾けた肉片までもをシエラの法術が捉え、余すことなく焼き尽くした。断末魔に重ねて小さな爆発が二度ほど起こり、そして辺りに静寂が訪れる。魔術で生じた炎を舐め取った神炎が、聖灰を散らして消えた。
 素早くライナが聖水を撒いてその場を清め、魔気をすべて祓って祓魔を終える。
 軽くなった空気を感じた途端、シエラはその場に崩れ落ちるようにして膝をついた。

「シエラ、大丈夫ですか!? どこか怪我を?」
「だいじょーぶ? お薬飲む?」
「いや、怪我はない。少し疲れただけだ……。悪いがライナ、少し手を――」

 「手を貸してくれないか」と言おうとしたシエラのすぐ目の前を、極彩色の波が塞いだ。すぐさま目の高さを合わせるように跪いたバスィールが、真剣な眼差しで言った。

「先ほどは許可なくその御身に手を触れ、誠に申し訳ございません。重ねて無礼を申し上げます。姫神様、今一度その御身に触れることをお許しいただけますでしょうか」
「は?」

 聞き間違いなのかと思った。
 「ジア?」と聞き返したシエラに、バスィールは一際美しく輝く星の瞳に真摯な色を浮かべ、心の奥底にまで染み込むような声音で懇願したのだ。


「姫神様。このバスィールに、貴女に触れる許可をお与えください」


+ + +



 ――貴女の声は、神の声。


+ + +



 窓から差し込んでくる光は十分にあるにもかかわらず、部屋はどこか薄暗いように感じた。
 青年王の私室は贅を尽くした造りになっていて、燭台一つとっても下々の者が三年は楽に暮らせるだろう代物だ。名の知れた職人が彫刻を施したテーブルにだらしなく突っ伏した友人に、ユーリは小さく笑った。軽く丸まった背中から、彼の疲労が透けて見える。

「お疲れ、エルク。よく耐えてくれたね」
「……別に。言われても当然のことだ。なにも返す言葉はなかった」

 つい今しがたまで官僚達の糾弾の中に晒されていた若き騎士長は、白亜のテーブルに頬をぴたりとつけて重い溜息を吐き出した。目元にかかる金髪が、どことなく艶を失くしたようにも見える。


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