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「いた! 北東、森林の方角、強い反応あり! シエラ、見える!?」
「視える。あれは……獅子か?」

 深呼吸してから目を凝らせば、金の双眸は迷うことなくそれを捉えた。
 遠くの森林の手前、そこに赤い毛皮の獅子が蠢いている。
 だが、それは獅子とは明らかに異なっていた。背には大きな蝙蝠羽があり、尾の先端には無数の針がついている。ちらりとこちらを向いたその顔は、獣ではなく人間のそれに酷似していた。
 ライナ達には赤い点にしか見えていないだろうその魔物が、鋭い爪でなにかを引き裂くのがシエラにははっきりと見えた。哀れな羊が、赤く染まる。

「姫神様!」
「<金剛壁(ダイヤモンド・シェル)!>」

 バスィールとライナが叫ぶのはほぼ同時だった。
 赤い魔物が跳躍するなり、尾の針を吹き矢のように射出してきたのだ。ライナの結界が生じるよりも先に辿り着いた針は、シエラに突き刺さる寸前でバスィールの錫杖が叩き落す。無数に放たれるそれを、今度は結界が阻んでいった。
 一瞬で距離が詰まる。すぐそこに降り立った魔物は、鋭い牙を覗かせてにたりと笑んだ。人面であるからこそ、余計におぞましい。口の端から肉片を零し、爪に鮮血を滴らせて魔物が咆哮する。

「マンティコアかー。結構な大物じゃない? リース、大丈夫?」
「――誰に言っている?」

 止める間もなく、二人の魔導師が結界の外へと飛び出した。翼を広げ、赤い魔物――マンティコアが嘲笑する。

「<神の御許に誓い奉る。盟約者は聖血を授かりしライナ・メイデン! この世に宿る精に乞う、優しき風の導きにて我が望む者を守りたまえ!>」

 清廉な風が吹き抜け、身体を包む。ラヴァリルとリースの二人にも風の守りが施されたのか、彼らの髪は絶えずふわふわと浮き上がっていた。
 バスィールに弾き落とされた細長い針を拾い上げたルチアが、その先端に小さな舌を這わせる。瞠目するシエラをよそに、彼女は軽く顔を顰めただけでその針を懐に仕舞った。

「ラヴァリルー! その針ね、すっごい強い毒だから気をつけてねー!」
「分かった、ありがとー!」

 そのやりとりに驚いたのはバスィールだった。

「嬢は、毒が分かるのか」
「うん! ルチアに毒は効かないの。あの魔物の針に刺されたってへーきだよ? だからあの子、ルチアがなんとかしてあげよっかぁ?」
「毒針の影響は免れたとしても、嬢の身体ではあの爪には敵うまい。ここにおられよ」

 駄々を捏ねるかと思ったが、ルチアは不思議とバスィールには大人しく従った。
 加勢しようとロザリオを握ったシエラの眼前を、激しい熱が駆けていく。そこにマンティコアの咆哮が重なり、辺り一面を灼熱の炎が飲み込んだ。

「ヴェル・デ・ツェルステュート!」
「グギャ、アァアあアッ!」
「はいはーい、それじゃもういっちょ!」
「ハーネット! 翼を!」
「りょーかいっとー! お任せあれ!」

 リースの魔術が爆発を生み、炎に焼かれるマンティコアが逃げ出そうとした瞬間、ラヴァリルが高く飛び上がって翼に銃弾を撃ち込む。翼を傷つけられて飛べなくなったマンティコアに、リースのさらなる魔術が炸裂した。
 それでも相手は手強く、無数の毒針を飛ばして魔導師達を遠ざける。いくら風の守りがあるとはいえ、まっすぐに飛んできたそれを弾き出すだけの力が風にはない。一度距離を取った彼らに代わるように、シエラがロザリオを強く握り締めた。
 獅子の気高さなど微塵も見受けられない、赤い醜悪な魔物。強烈な血の臭いを漂わせるそれは、美しさからはほど遠い。
 ロザリオに填め込んだブルーダイヤが震えるように輝く。
 指先に走る痺れは、かの海神の雷か。

「<――我望む。この身に宿りし神の雷よ! 花舞うが如く、聖なる雷刃となれ!>」

 空は一切の陰りを見せていないにもかかわらず、雷鳴が轟いた。
 数多に生じた蒼白い刃が、言葉通り花吹雪のように舞い踊る。四方からマンティコアに突き刺さり強い衝撃を与えていくそれは、確実に以前よりも威力を増していた。
 指先に走った小さな痛みに目をやれば、糸のように細い雷が揺れていた。振り払うように手を薙げば、揺れていたそれは針のように形状を変え、一直線にマンティコアへと駆けていく。

「オァアアアアアア!」
「エクス・プロディレン・シィ!」

 もんどりうつマンティコアを、リースの起こした爆発がさらに巻き込んだ。血が噴き上がる。皮膚が焼け爛れ、顔の半分が削げ落ちてもなお、魔物は鋭い目でシエラ達を見た。人間の肉を好んで食べると言われているマンティコアにとっては、この状況は願ってもない高級料亭だったに違いない。

「ヴォオオオオオッ!!」

 屈辱を叫ぶような唸りが天高く響き、漂う空気に重さが増した。シエラのうなじを、なにかがちりりと舐めていく。
 はっとしたときには、振り落ちる巨大な影がシエラ達を呑み、ルチアの悲鳴と金剛結界の砕ける音が鼓膜を貫いていた。
 血臭とともに魔気が濃さを増す。叫んだのは誰か。悲鳴を上げたのは、檄を飛ばしたのは、誰か。

「ご無事ですか、姫神様」

 気がつけばバスィールに抱えられるようにしてその場を離れていたシエラは、その腕の逞しさに半ば呆然としながらも頷いた。――ライナとルチアは。ひやりとして彼女らを探し、二人がそれぞれリースとラヴァリルに庇われていたことを知って安堵する。
 手負いのマンティコアが、濁った声で高く笑った。それに応えるように、もう一頭のマンティコアが雄叫する。


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