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 剣を床に突き立てるように置き、手を組んで顎を乗せていたエルクディアはずきずきと鈍く痛む後ろ首にそっと手を当てた。
 途端に隣から申し訳なさそうな視線が向けられて、慌てて手を元の位置に戻す。
 それでももう遅く、ライナのしゅんと伏せられた瞳はどうしようもなかった。どうしようかと思ってついたため息を聞いて彼女はびくりと肩を震わせ、何度か口を開いて躊躇いがちに言う。

「エルク、その……」
「ん?」
「あの……すみませんでした。疑ってしまったあげく、あんな……」
「――ああ」

 「あの華麗なる延髄斬り」と、エルクディアは零した。
 深々と頭を下げるライナの頬がたちまち朱に染まっていく。自然と浮かんでくる笑みを浮かべながらぽんぽん、と彼女の頭を撫で、俯いた顔をそっと上げさせた。
 気まずそうに目を逸らす彼女は、こんなときだけはとても小さく見える。
 いつもは堂々として気品が漂っているから、年下だということをすっかり忘れてしまっていた。けれど彼女は確かに自分より二つほど年下で、少女と呼んでもおかしくはない年なのだ。
 年相応の表情で紅茶色の瞳を逸らす様が妙に愛らしく、エルクディアは目元を和ませた。

 誤解はきちんと解けた。あれはただ単に夜中に水を飲みに起きたシエラが、自分のベッドまで戻るのが面倒で、より近くにあったエルクディアのベッドに潜り込んできたのだ。
 途中、エルクディアが目を覚ましたらしいのだが、相手が自分の主君と確認するなりそのまま眠ってしまったらしい。朝になってみれば記憶は虚ろで、驚きの方が勝ってしまったという、どちらかといえばよくある話のように思えた。
 しっかり分かってもらえたからそれでもう十分なのだが、いかんせんこの生真面目な神官は、自分のしたことを気にしてなかなか眼を合わせようとしない。
 仕方ないな、と苦笑して後ろ首に手を当てた。

「まあ確かに結構衝撃だったけど、これでも鍛えてるから問題ないって。気にするな。な?」
「でも……」
「“でも”も“だって”もなし。俺が大丈夫だって言ってるんだから、間違いないよ」

 痛みがまったくないわけではないが、気にするほどでもないというのが真実だ。
 ライナのか細い足が首の後ろにめり込んだときは一瞬呼吸ができなくなったが、あとに残る痛みではない。背後を取られるのは――そしてなおかつ首に攻撃を受けるのは――戦場でも経験したことがないので、ある意味貴重な体験といえよう。
 むしろ戦場で経験していれば、確実に首は繋がっていない。
 そう感心したように言うと、ライナは白い肌をかっと赤く染め上げた。ばっと距離を開けた彼女の髪が揺れ、ふわりと優しい香りが漂う。
 シエラのものとは違うんだな、と、彼はなんとはなしにそう思った。

「……まるでわたしが怪力みたいな言い方ですね」
「え、違うのか?」
「違いますっ! 大体エルクがあんな紛らわしい体勢をしているからいけないんですよ。あんなところを見たら誰だって――!」
「はいはい、俺が悪かったよ」

 「まったくいつも通りだな」と呟いて、エルクディアは眼前の扉を眺め見た。古ぼけた扉は他の部屋よりも幾分か小さく感じる。くすんだ金の取っ手が年月の長さを物語っている。
 通称「学習室」であるその部屋は、アスラナ城に存在する資料室の中でも最も小さな部屋だった。小さいながらも基本的な資料はすべて揃っており、静かな環境は勉強には最適だ。

 そんな部屋の中で現在、シエラは王立学院において最高位の教師から聖職者の基礎、そしてこの国の歴史について学んでいる。
 集中力を欠かないために彼らはこうして外で待っているのだが、なんとなく嫌な予感というものを感じてエルクディアとライナは顔を見合わせた。

「ええと……エルク、騎士団の方の仕事は?」
「あー……うん。とりあえずいつも通りの鍛錬と――まあ、あとはオーグ師匠が代わりに指示出してくれてるはずだから、ここにいても構わないけど……」

 お互いに歯切れの悪いやり取りを交わし、胸の奥で立ち込める靄をさらに濃くさせる結果となってしまった。
 次の会話も思いつかず、エルクディアは握っている剣の柄に視線を滑らせる。すぐさま鍔のあたりに填め込まれた大ぶりの紅玉と目が合った。当然石に目などあるはずがないのだが、そう感じさせるほどの力がこの石にはある。
 この紅玉は彼が騎士団総隊長に就任した際、王直々に賜った。血のように赤いそれは幾度となく本物の血を吸い、人の骸を映してきたのだ。



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