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 見上げた空には雪雲が広がり、今のアスラナ城内の様子を映すかのように重苦しく曇っていた。
 騎士館内の空気もどこか固く、細い糸を極限まで張りつめたような緊張感がある。サイラスが籍を置く十番隊アスクレピオスの隊長及び副隊長は、ともに軍議に参加していて不在だ。隊員達は事前に与えられた訓練に勤しんでいる。
 剣術はもちろん、弓術にも精通しているサイラスは、額に滲んだ汗を拭いながら矢筒を下ろした。先ほど放った矢はほぼ中心を射抜き、遠くで的を揺らしている。「きゅーけーきゅーけー」と歌うように独り言を零してその場に胡坐を掻き、剣を打ち鳴らす仲間達の姿をぼんやりと眺めた。
 吐いた溜息が白く濁る。意味もなく頭を掻き乱して汗を払えば、冷えた風によって少しばかり頭の中がすっとしたような気がする。それともそれは錯覚か。
 もう何度目か分からぬ溜息は、自分のものではないようにすら感じた。

 朝を迎えたアスラナ城は、それはもうあちこちに火がついたような混乱ぶりだった。
 そこかしこで兵士が眠りこけ、警備がなんの意味もなさなくなっていた。その時点ですでに大問題だというのに、血相を変えたエルクディアがシエラの眠る部屋に駆け戻ったとき、そこは侍女達がすやすやと床で寝息を立てる以外に誰もいなかった。
 徹夜で軍議を行っていたエルクディアは、より一層顔色を悪くさせてライナの部屋に駆けつけ、そこで信じがたいものを目にしたのだという。
 綺麗な紙に綺麗な字で綴られていた「少し魔導師学園まで行ってきます」の書置きに、官僚達は阿鼻叫喚となった。そのときのエルクディアは死人かと見まごうほど青褪めており、その場で倒れなかったのが不思議なほどだった。
 あの可憐な神官は書置きにクレメンティア・ライナ・ファイエルジンガーの名を記し、ルチアとバスィールも同行する旨を書き残していた。
 ――いくらなんでもこれはない。
 絶句するだとか二の句が継げないだとかは、こういうときに使う言葉なのだろうと、話を聞いたサイラスは思った。公爵家の名とオリヴィニスの高僧を持ち出したあたり、彼女は確信犯だ。大きな混乱を招くと知った上で行動に出ている。

 明け方に一度解散していた一同は再び集められ、緊急会議が行われている。警備体制の甘さに厳しい糾弾がなされているのは言うまでもなく、また、同室でありながら――そのとき彼はまさに軍議の席にいたのだが――みすみす神の後継者を手放したエルクディアに、官僚達の非難が集中していた。
 魔導師側に対する対応を決めかねていたユーリに対しても、責任を問う声が上がっている。
 シエラ達が魔導師学園にいるということは、迂闊に手出しができなくなったも同然だ。アスラナにとって、最も重要な駒を人質に取られたと言っても過言ではない。
 神の後継者を傷つけるような真似はしないと思いたいが、事実、魔導師達はシエラに向かって剣を構え、銃を向けた。絶対にないとは言い切れない。万が一ここで神の後継者を失うようなことになれば、アスラナは全世界を敵に回したも同然だ。
 たとえシエラが傷つけられずとも、あちらの手にはオリヴィニスの高僧とエルガートの公爵令嬢がいる。加えて、ホーリー王家が直々に留学措置をとったルチアもだ。
 上等すぎる人質達を前に、こちらはどう動くかの結論を出しあぐねている。

「サイラス」
「あ、ヴィシャムさん。――と、フォルトも。どうしたんすか?」

 一人難しい顔をしていたサイラスの意識を現実に引き戻したヴィシャムは、傍らに不機嫌そのもののフォルクハルトを連れてにっこりと微笑んだ。
 ヴィシャムの綺麗に整えられた銀髪といい、長身の引き締まった身体といい、女性に人気が出そうな出で立ちだ。ユーリやクロードとはまた違った雰囲気で、どちらかといえば野性味のある風体をしていた。藍色の双眸は、胸に提げられたロザリオについている法石と同じ色をしている。
 対するフォルクハルトは、野性味を通り越して野生そのものだった。成人男性にしては小柄で、身体の厚みもあまりない。確かに肉付きは薄い方ではあるが、猫背気味の背中は呼吸するたびに筋肉の畝が動き、ただ薄いだけでないことが伺えた。夕焼け色の瞳は鋭く細い。今にも牙を剥いて飛びかかってきそうな雰囲気が、ヴィシャムいわく“野犬”だそうだ。
 長身のヴィシャムと小柄なフォルクハルトが並んでいると、よりその身長差が際立って見える。

「上が色々と報告しろとうるさいからな。今後、俺達もそちらに協力して動くことになりそうだ。だから挨拶にと思って」
「今のクラウディオ平原にゃ、どういうワケか魔物が出るからな。お前らが進軍するとき、魔物で全滅なんてことにもなりかねねぇ。だから兵士並に戦える俺らに、白羽の矢が立ったんだよ。めんどくせぇ」

 近くに立てかけていた弓を取ったフォルクハルトが、それまでの粗雑な動作が嘘のような丁寧さで弓を引き、矢を放った。一直線に的をめがけたそれが、鮮やかに中心を射抜く。
 見事な腕前だ。純粋に感心していると、ヴィシャムが「よくそんなもの扱えるな」と肩を竦めていた。どうやら彼の方は弓が苦手らしい。

「つーかよ、お前らの総隊長、大丈夫なのか? こっちでもかなり叩かれてんぞ」
「あー……、やっぱり?」

 「こっち」というのは聖職者達のことだろう。予想はついていたことなのでさほど驚かないが、原因など考えたくもない焦燥感が込み上げてくる。
 ヴィシャムが苦笑した。そんな姿ですら様になる。


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