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 見上げた先から、星の光のような眼差しが降ってくる。男の瞳を表現するのに適切な表現かは分からないが、紫銀のそれはあまりに美しく、清らかだった。磨き上げられた水晶よりもずっと透明感があり、尊いもののように感じる。それがただまっすぐに自分を見つめているという事実が、この上なく心を落ち着かなくさせた。
 夜風に頬を叩かれ、はっとしてシエラは歩みを再開させた。いくらバスィールが見目良い男だろうと、見惚れている場合ではない。なんとか気を取り直して頭を切り替えたシエラの脇から、跳ねるようにルチアが飛び出した。
 小さな身体がバスィールに飛びつこうとしたが、紳士的な振る舞いの彼にしては意外にも、触れ合いを拒絶するかのように避けてみせた。当然、ルチアが不満そうに唇を尖らせる。

「なんでぇ?」
「申し訳ない。だが、戒律により、異性に触れることはできるだけ避けるべしとされている」
「かいりつ?」
「決まり事のことですよ。バスィールさんの国では大切な約束事なんです。ですから、あまり我儘を言って困らせてはいけませんよ、ルチア。――あの、“できるだけ”ということは、絶対ではないんですよね?」
「ああ。触れることを禁ずる戒律ではない」

 道理で挨拶の口づけ一つなかったわけだ。内心納得していると、「それに、」とバスィールはやや重たげに口を開いた。

「……我らオリヴィニスの高僧は、触れたものの意思を汲み取ることができる。それすなわち、人であれば心の内を読むということ。内を見通させぬ者もおられるが、そのような方は稀だ。内を覗かれているかもしれないと思いながら触れ合うのは、気持ちの良いものでもあるまい」
「えっ、バスィールはなに考えてるか分かるの!? すっごーい! じゃあねじゃあね、ルチアの考え当ててみて! ねえ、ぎゅってしていい?」
「申し訳ないが、触れ合いは控えさせていただきたい。我らオリヴィニスの僧は、淫欲に耽るべからずという絶対の戒律がある。触れ合わずとも嬢の魅力は十二分に伝わってくるゆえ、ご容赦願いたい」
「いんよくってなぁに?」
「色情を指す。男女間の肉体的な欲望のことだ」

 さらりと答えたバスィールに、ライナがぎょっとして頬を赤らめた。未だ飲み込めていないルチアが再度「それってなぁに?」と訊ねると、彼は真面目な顔で「衝動のままに動き、性行為に耽ることとでも言えばご理解いただけるか」と返す。この時点でライナは耳まで真っ赤にしていたが、ルチアは「気持ちイイことだね!」と無邪気に笑っていた。
 多少の気まずさに星を見上げたシエラの隣で、ライナが小さく唸る。

「バスィールさん。その、子どもにそういった話は、あの……少し、言葉を選んでいただけると……」
「申し訳ない。我らオリヴィニスの僧は、戒律により偽りを述べることが禁じられている。問いに対し、嘘や誤魔化しを言うことは許されないのだ。不適切な内容であれば、今ここに謝罪する」

 立ち止まって深々と頭を下げたバスィールに悪気がなかったことは明白だが、年頃の女としては複雑な気分なのだろう。
 ライナは曖昧に頷いて、赤らんだ頬を手袋を填めた手でぱたぱたと扇いでいた。

「じゃあバスィールは、気持ちのイイコトが好きじゃないの?」
「好きや嫌いの次元ではないのだ、嬢よ。この身は神に捧げたものゆえ、色に溺れるわけにはいかぬ」
「それって、神様と結婚するってこと? あのね、ルチア聞いたことあるよ! 聖女さまがね、『私は神と結婚した身です』ってゆってたの! 神に身をささげるってそーゆーイミ?」
「あまりに恐れ多いことではあるが、一般的に言えばそうなのかもしれない」

 ユーリやライナのような“聖職者”には、このような厳しい戒律はほとんどない。
 罪禍の聖人に堕ちることを防ぐため、いかなる類の愛であっても魔に対してそれを言葉にしてはならないという決まりはあるものの、シエラがきつく言い聞かされたのはそれくらいなものだ。男女のことに関しても、青年王を見ていればそんな戒律がないことは火を見るよりも明らかだ。
 しかしオリヴィニスの僧侶には、厳しい戒律がいくつも課せられているらしい。戒律を破れば自らを律し直す義務が課せられ、その中でも色に関する戒律を破った場合は特に厳しく、二十日間の断食を行う定めになっているとのことだった。酷い場合はそのまま還俗させられ、僧籍を剥奪されるのだという。
 あまり階位の高くない僧侶達は、自らの意思で還俗することはそう珍しいことではないらしい。だが、高僧ともなればそうはいかない。身体に刻む刺青(しせい)は神に身を捧げる意思の表れらしく、生涯清らかな身で神に仕えることを意味しているのだとバスィールは言った。
 細かく砕いた宝石を散りばめたような満点の星空の下で、ルチアが半透明のショールを靡かせる。月明かりに照らし出された少女の姿は、まるで妖精のようだった。

「じゃあバスィールは、シエラと結婚したらいいのに」
「は?」
「だって、神さまと結婚するんでしょう? てことは、シエラと結婚しちゃえばいいんだよぅ。そしたらバスィールは気持ちイイコトもできるし、約束破ったことにもならないでしょう? だって、シエラは神さまになるんだもん!」

 思わず聞き返したシエラに、ルチアは当たり前だと言わんばかりに笑みを作ってそんなことを言い放った。突拍子もない発言だと呆れて同意を求めようとしたら、バスィールとライナがそれぞれ種類の違う難しい顔をしていた。
 ――子どもの戯言に、そこまで過剰に反応することもないだろうに。
 バスィールが錫杖を持つ右手を左胸に当て、静かに首を振る。


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