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国王であるユーリはシエラのことを『蒼の姫君』などと呼ぶが、これではただの眠り姫だ。それも惰眠を貪るだけの。
すうすうと寝息を立て始めたシエラをなんとかして起こそうと躍起になり、エルクディアはできる限り上体を起こした。
下敷きにしている髪を押さえつけないよう必死で体をずらし、右腕の力を使って体を支え、左腕で彼女の肩をそっと掴む。彼女の手は未だ服を掴んで離さない。
そのため自然と引き寄せられる状態になってしまい、はたから見ればエルクディアが彼女を押し倒しているようにも見える。だがしかし、そんな状況になってしまっているとは微塵も理解していない彼は、そのまま彼女に呼びかけた。
「シーエーラー」
返事はない。
「シーエーラーさーーん」
またしても無言。
「起きろ、シエラっ!」
ん、と不機嫌そうな声が漏れただけで、シエラは起きる気配を見せない。ああもう、とぼやいてエルクディアは肩を掴んでいた手を上にずらし、白い頬をぎゅうとつまんだ。
やわらかい頬は指先に吸い付くようで、自分とはまったく異なる感触にやや目を丸くさせる。触れた肌はあたたかく、一見人形のようにさえ見える彼女に確かな生を感じさせた。
無意識の内に指先が輪郭を辿ろうとした途端、コンコンと扉を叩く音が聞こえ、この部屋共通の扉が開かれた。
シエラの言うようにこの部屋は「部屋の中に部屋がある」ので、誰が入ってきたのかはまだ分からない。なれど足音から判断するに、おそらくライナだろう。
エルクディアの寝室に向かって近づいてくる足音を聞き、彼はほっと一息ついた。
ようやくこの状況から解放されると安心し、気を緩める。安堵の息を漏らした彼に構うことなくシエラは寝返りを打ち、思い切り彼の服を引っ張った。
わっと驚くよりも先に体の均衡が崩れ、彼女に覆いかぶさるようにしてなんとか体を支える。ちょうどそのとき、寝室の扉が叩かれた。
「エルク、入ってもいいですか?」
「ああ。ライナ、ちょうどよかった。ちょっと助けてくれ」
「…………」
言葉途中で扉を開けたライナは、眼前に広がる光景を見て絶句した。エルクディアがどうしたと尋ねるよりも早く彼女はわなわなと体を震わせ、柳眉を吊り上げて彼を睨む。
「――なにを、やっているんですか」
「え?」
「なにをやっているんですかエルクディア! シエラが寝室にいないと思ったらこんなところに! 見損ないましたよ馬鹿エルクっ、主を襲うだなんて最低です!」
「おそ――って、ええ!? 違う、誤解だライナっ、落ち着け!」
瞳を潤ませて憤慨しているライナを見て、エルクディアはようやく己の状況に気がついた。新緑の目は困惑の色に染まり、口をついて出てくるのは疑わしいと取れる言い訳ばかりだ。
すぐに起き上がって無実を証明したくともそれができない状態に、彼は血の気が引いていく音を聞いた。
さっと青ざめていく顔はやましいことがあるからに違いないのだと、ライナに疑惑の確信を促すはめになる。肌で感じる彼女の怒気にエルクディアが身を震わせれば、腕の下にいたシエラがもぞもぞと動き出した。
視線を落とすと、彼女の金の双眸がうっすらと開かれる。
自分に覆い被さるようにして見下ろしてくるエルクディアを見て、彼女は小さく首を傾いだ。そして困ったように眉を寄せる彼に向かって、たった一言こう言った。
「なにか……したのか?」
――頼むから、シエラさん。そこはせめて「どうかしたのか」とか「なにかあったのか」と訊いて下さい。
エルクディアの心の叫びも虚しく、とどめの一撃となったシエラの一言に背後で苛烈な怒気が燃え上がったのを悟る。やっとシエラの手がエルクディアの服から離されたとき、既にライナは愛らしい顔立ちに怒りを満面に称えてすぐ後ろに立っていた。
事情を知らない者が見れば、彼女の笑顔は単純に愛らしいと思ったことだろう。しかしエルクディアには、もはや悪魔の微笑にしか見えない。
「エルク」
「は、はい?」
「覚悟はもちろん……できてますよね?」
死神の持つ大鎌が、首に当てられたような気さえした。
ひくっと口端を引きつらせたエルクディアに構わずライナはその歩を進める。
「誤解っ、――!」
爽やかなはずの朝に、小鳥が驚いて飛び立つほどの絶叫が城中に響き渡った。