3 [ 42/682 ]
「お前だって男いねぇだろ!」
「そんなことないですー。私はかっこいーい騎士様がお城から迎えにきてくれるんだもーん!」
「はっ、お前みたいにチビで乱暴な町娘、だぁれも相手になんざしてくれねぇよ」
「なによそれ! ルーンのバカ!」
馬鹿で結構、と犬猫でも追い払うかのように手を払いながらルーンは言うと、その場に斧を置いてセルラーシャの頭をぐしゃぐしゃと掻き回してきた。当然髪はぼさぼさで見るも無残な姿にさせられ、彼女は烈火のごとく怒ろうと口を大きく開けた。
が、彼の鍛え上げられた腕が傍らに置いてあった水桶に伸ばされたのを見て、思わず口をつぐんだ。――ああもう。素直に言葉が出てこず、唇だけがつんと尖る。
ひょいと取り上げられた水桶を追うように立ち上がれば、彼は悪戯っぽく笑いながらセルラーシャの額を指弾した。
「俺がやってやるよ。お前に任せておいたら、グローランス家の朝飯が昼飯になっちまうからな」
「ちょっとそれどういう意味よっ、ルーン! 失礼なんだから!」
怒鳴りつつも、どこか楽しい。セルラーシャにつられて、ルーンも快活な笑顔を見せた。
井戸を囲んで起こったいつもの光景に、周りの住人達は「あの二人は本当に仲がいいなぁ」などと零しながら、朝食や商売の準備に勤しんでいた。活気に溢れる城下町は普段と変わりを見せない。
ぽしゃんと井戸に水桶を投げ落としたルーンは、隣で鼻歌を口ずさむセルラーシャにちらと目を向ける。きらきらと光る赤毛が愛しいなどと口にすることができるはずもなく、彼は黙って一杯に水を溜めて重くなった桶を引き上げた。
腕にかかる負荷は大したものではないが、まだ少女であるセルラーシャにしてみれば大変な重労働なのだろう。
そういえば、と唐突に彼女が言う。
「ねえ、ルーン。昨日の晩、魔物を見たってホント? どーせ嘘だよね?」
「あー……魔物? まあ、うん。あれが魔物ってんなら、見たぜ」
「え、やだ……ちょっと、冗談キツイって。だってここ、王都だよ? クラウディオには魔物なんて出るはず……」
「んなわけねぇだろ。王都だろうがなんだろうが、今の時代魔物はどこにだって出るんだよ。出にくいってだけだろ? それに、実際あいつらなんもしてこなかったし……。これって上に届けた方がいいのかねぇ」
よっと言いながら水桶を肩に担ぎ、ルーンは井戸に背を向けた。暢気な呟きにセルラーシャが怒りを露わにするが、それは不安が九割以上含まれているものだとすぐに分かった。
それにしても、一体誰が話を広めたのだろう。ルーンは噂好きの友人を一人思い浮かべ、やれやれと息をつく。
「届けた方がいいに決まってるでしょ! だって、だって魔物だよ!? 襲われたら大変なんだからっ」
「うわ、めんどくせぇな――あ、セル、そこの斧持ってきてくれ――まあでも、確かに危ないっちゃ危ないか」
ルーンの指示通り、地面に置かれた斧を抱きかかえるようにして運ぶセルラーシャが、眉間に深いしわを刻む。彼女はそびえ立つアスラナ城に視線を向けると、ぽつりと独り言のように呟いた。
「……お城だけ絶対安全だなんて、そんなのずるいよ…………」
+ + + 最年少で王都騎士団総隊長の座を手に入れた国内きっての天才騎士は、現在最大の難敵と立ち向かっていた。
騎士団を纏め上げるのに必要なのは武力だけではない。知力も欠かせない。彼はそれをしっかり手にしていたはずだったのだが、現状においてはまったくと言っていいほど機能してはくれなかった。
いつも通りの朝のはずだった。――目を開けるまでは。
シエラの護衛を終え、夜の鍛錬を済まし、部下に指示を出して会議に臨む。それらをすべて片付けてから床に就き、早朝の鍛錬に向けてすっきり目覚めた。
諸事情により――ほとんど王の横暴である――自室は移動となったが、体内時計に狂いはいない。
そしてなにより、自分は人の気配に敏感だ。だからこそ今の状況がよく理解できなかったのだろう。
エルクディアは寝台の上に扇状に広がる蒼い髪を見て、呆然とした。
寝間着から覗く白い喉元は上下し、彼女の細い指が強く掴んでいるのは枕でもかけ布でもなく、エルクディアの衣服の裾だ。しわが幾本も入って繊維が伸びきっているのを見る限り、相当の力で引っ張られていたのだと分かる。
とりあえずなにを口にすればいいのか分からず、彼はそっと彼女の肩に手を掛けた。
「おい、シエラ」
控え目に肩を揺さぶれば、思いの外華奢な体が手のひらに収まった。そこから伝わるぬくもりに僅かな違和感を覚えつつ、エルクディアはゆさゆさとシエラを揺する。
しばらくそれを繰り返していると、彼女の長い睫がふるふると震えだし、金の瞳が顔を出した。
鋭く細められた双眸はまるで猫のようで、エルクディアの服を掴んで離さない様はとても子供じみている。
「…………」
「こら。なんでお前がここで寝てるんだ?」
「………………」
「だーかーらっ、いい加減に起きろ!」
再び蓋をされたシエラの瞳に文句を言えども、彼女は起きる気配を見せやしない。服を掴まれたままではエルクディアとて起き上がることもできず、なおかつ彼女の長い髪を下敷きにしているせいもあって、下手に動けない状況下に置かれていた。
身動き一つ取れないというのはまさにこのことで、どうしたものかと考える。