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 貼りつく蓼の巫女を剥がせぬまま、シエラはなんとも言えない表情でエルクディアを見た。あのとき、どうやって加護を受けたかは誰にも話していない。ただ、ルタンシーンから加護を受けたと、それだけを言った。切り裂かれた神父服に一同不思議そうにしていたものの、それはどうにかして誤魔化せた――とシエラは思っている。
 きょとんとするエルクディアの視線を受けて、言葉にできない溜息が漏れた。
 あの神に気に入られたとは到底思えない。浴びせられるのはいつも罵倒で、理不尽な怒りそのものだ。だのに蓼の巫女は嬉しそうに笑う。どうしたらそんな考えに至るのかと眉を寄せると同時、蓼の巫女のか細い指先が神父服の襟を勢いよく寛げた。

「なっ!」
「ちょっと!!」

 エルクディアが蓼の巫女を引き剥がす直前、彼女はするりとシエラの鎖骨の下を撫でていった。

「まっこときれーな御印にございますですー。ここに宿るは、ルタンシーンさまの水気。水と雷(いかずち)の加護。シエラさま、お忘れなきよう。水は凍てつく空気の前には氷と成り果て、砕けることもございましょう。けんど水は、劫火を治めるものともなる。水はすべての命を繋ぐもの。あなたさまの御身に、幸福が降り注ぎますよう、お祈り申し上げます」

 シャン。束になった鈴が鳴る。蓼の巫女が優雅に膝をつき、鈴を振るたびに辺りに花びらが舞った。風に乗り、濃淡様々な色合いの花びらがシエラ達を優しく包み込む。潮の香りに、ほのかに甘い花の香りが重なった。
 不思議な光景だ。
 ディルートは、花びら舞う水の町。――確か、レンツォがそう言っていた。

「綺麗だな……。感謝する、蓼巫女」
「どういたしましてですー。それとシエラさま、ルタンシーンさまよりご神託を預かっておりますですー」
「ルタンシーンから?」
「はいな。『竜の加護を得よ』とのことにございますですー。ルタンシーンさまも竜神さまに属する神ではございますが、おそらくは竜神ではなく、“竜”そのもののことかと」
「竜そのもの……? 竜族のことでしょうか」
「ええ、ええ、おそらくは。エルクディアさま、姫神様をお頼みしましたですよってー」

 けらけら笑う蓼の巫女が「姫神」と言ったのは、わざとだったのだろうか。真意は汲み取れない。「ええ、もちろんです」と返すエルクディアの横顔から読み取れるものはなにもなく、シエラはルチアの頭の上に寝そべるテュールを見つめた。
 ――竜か。自分は本当に、竜と縁があるな。
 テュールにしろ、ルタンシーンにしろ、――エルクディアにしろ。
 ふいにルチアと目が合ったが、慌てて逸らされてしまって、首を傾げる。どうしたのだろう。そういえば、今日は朝から喋っていない。

「シエラ! 準備ができたそうです。そろそろ船に乗りましょう」
「あ、ああ。分かった。――ではまた」
「はいな。お気をつけて」

 笑顔で頭を下げた蓼の巫女に背を向け、シエラは船へと続く階段を目指した。シルディが微笑む。優しい笑みだ。

「シエラちゃん、本当にありがとう。君達のおかげで、このホーリーは救われた。何度お礼を言っても足りないくらいだよ。困ったことがあったら、できる限り協力する。……これからどんなことがあっても、忘れないで。つらいことがあったら、思い出して。このホーリーを。この、ディルートの海を。綺麗でしょう? あんなことがあったあとでも、みんな笑ってる。ここは、そんな国なんだ」
「……本当に、すごいな」
「でしょう? またいつでも遊びに来てね。ホーリーは、優しい友を歓迎します」

 シルディの手が、握手を求めて伸ばされた。自然とその手を取り、しっかりと握り締める。
 途端に綻んだ笑顔に、どこか懐かしささえ覚えた。

「世話になった。……また必ず、遊びに来る」
「うんっ! 約束だよ。僕達は、ずっと待ってるから。それじゃあ、またね!」
「ああ、また」

 固く握手を交わし、手をほどく。それではと踵を返しかけたそのとき、シルディの背に隠れていたルチアが「待って!」と突然強く叫んだ。誰もが驚いて視線を投げる。踊り子のような衣装はそのままに、しっかりと半透明のショールを巻きつけたルチアが、「あ……」と目を泳がせ、助けを求めるようにシルディを見上げた。
 けれどシルディは笑顔で首を振るばかりで、なにも言わない。その代わりにそっとルチアの背を押して、自分の前へといざなった。

「ルチア? どうした?」
「あ、あの……、あのね、その……」

 胸の前でぎゅっと手を握り締め、小さな少女は必死になにかを言おうとしている。言葉の続きを待っていると、やがて彼女は決心したように顔を上げ、まっすぐにシエラを見つめてきた。

「あのねっ、ルチアも、ルチアも行っていい!?」
「は? 行くってどこに」
「アスラナ! ルチアね、にーさまのこと、探したい。にーさまはきっと、アスラナに行くって、ヒナナが言ってた。だからね、ルチア、シエラ達といっしょに、アスラナに行きたい! シエラ達と、いっしょに、いたい」
「でも、お前、レンツォが……」
「レンツォはいいって言ってくれた! ルチアの人生だから、ルチアの好きなようにしたらいいって。だからっ、だからね、ルチアもいっしょに行きたいの! ねぇ、いいよねぇ? だって、だってシエラ、……ルチアのこと、役に立ったって、言ったから」

 ――誰かの役に立ちたいの。
 消え入りそうな声で呟かれたそれは、エルクディアやライナの耳にも届いたのだろうか。

「ルチアも行っちゃ、だめ?」

 恐る恐る見上げてくる大きな瞳に、どう答えるか迷わなかったと言えば嘘になる。シエラだけで決められるものでもない。ライナも困ったようにしているし、エルクディアは冷ややかな顔で首を横に振っていた。
 
「僕からもお願いする。どうしても難しいなら、断ってくれていい。でも、もし、その気が少しでもあるのなら。……この子に世界を見せてあげてほしいんだ」
「ですが、シルディ……」
「無茶を言っているのは分かってる。ルチアがもしも問題を起こしたのなら、それはホーリーの責任だ。第三王子として、僕が責任を取る。書類はすぐにでも作るよ。だから、この子を、留学という形で正式に迎え入れてはもらえないかな」

 兄を探したい。誰かの役に立ちたい。
 天真爛漫に、無邪気に、好き放題に振る舞ってきたルチアが、見たこともないほど緊張した面持ちでまっすぐにシエラを見つめてくる。それは国を離れる不安からか。それとも、拒絶される不安からか。
 どちらかは分からないけれど、でも、その目を見ているうちに答えはもう決まってしまった。

「――来い、ルチア」

 握手を求めたシルディと同じように、シエラは手を伸ばした。エルクディアが目を瞠る。それには気づかないふりをして、きょとんとするルチアにもう一度、同じ台詞を投げた。

「来い、ルチア。行くぞ」
「いっ、いいの!? ほんとにほんとに、ルチアも行っていいの!?」
「いいだろう? ライナ、エルク」
「まったくもう。今さら駄目と言ったところで、聞く耳を持たないくせに。シエラったら、変なところで押しが強いんですから」
「……俺は、賛成はしない。けど、シエラが望むなら、そうすればいいんじゃないかな」

 リオンは苦笑していたが、シルディは満面の笑みを浮かべてルチアの頭を撫でた。嬉しそうに破顔したルチアが、妖精が跳ねるようにしてシエラに飛びついてくる。
 差し出された手は無視された。その代わり思い切りしがみつかれて、仕方なしに抱き締めてやる。直接体に響いて伝わる笑声が愛おしい。


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