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 神炎のクロードなどと呼ばれ始めたのは、いつ頃からだったろう。神の炎を操る祓魔師――あまりにも仰々しい二つ名に、失笑する。この身に宿ったのは確かに神の力かもしれないが、実際に操っているのはそんな綺麗なものじゃない。
 現に、この手は人の命を奪うことすらためらわない。

「レティシア・フェル……。覚えておこうかな」
「シャマ、あの魔女とはかかわりたくねぇなー。あ、でもさでもさ、こっちでせーれーしょーしつかけた魔女いんだろ? あれも、シャマきらい。ベスティアの魔女とおんなじ匂いがするし、それに――」

 珍しく口籠ったかと思えば、シャマは甘えるように擦り寄ってきた。

「……こっちの魔女は、もっと、変な気がする」

 どういうことかと訊ねてみても、シャマはそれきり口を閉ざしてなにも言わなかった。首を小さく振るばかりで、なにも。
 無理に聞くほどのこともないので、クロードはシャマの小さな頭を抱いて、その背を軽く叩いてあやした。ベスティアの港まではしばらくある。体力を温存しておかなければならないだろう。
 ユーリはどうするだろうか。勝手に任務を離脱したクロードに、どのような制裁を加えるだろうか。疲労を隠しきれない青年王の姿を思い出すと、堪えきれない笑みが零れた。
 「そこ」がどんな場所かも知らないで、愚かにも上へ上へと目指すからこうなるのだ。彼がどうしてあの椅子を欲しがったのかは知らないが、手に入れた椅子の上で動けずにいる様を見ると、同情よりも先に嘲笑を向けそうになってしまう。彼はあの立派な椅子に縛られてまで、なにを守ろうとしているのだろう。
 本人は必死に背伸びをして大人ぶっているけれど、生き急ぎすぎたせいで、中身はまだまだ子供だ。肝心なところが隠しきれていない。クロードに向けられる、嫉妬と羨望の入り混じった青海色の瞳。一瞬でそれを胸の奥深くへと押し込めて、王として振る舞うその愚直さには感心する。
 大人には一歩足らず、かといって子供にはなりきれず、――なんと哀れな存在だろうか。

「自由はね、油断していると誰かに容易く奪われるものなんだよ」
「んー? なんか言ったぁ?」
「我儘言うのも大事だねぇって話だよ」
「ふーん?」

 目を閉じれば、笑顔が浮かぶ。
 この腕から逃げ出していった鳥を探すと決めたあの日から、クロードは鳥籠を拒絶した。
 目指すはベスティア。
 ――黒を代表する、獣の国へ。


+ + +



 波の音が近い。
 涼しい潮風に頬を撫でられ、シエラはその青さに心から安堵の息を吐いた。
 綺麗だ。穏やかな海は青く透き通り、浅瀬では海底に揺れる海藻や鮮やかな魚の姿が潜らずとも見て取れる。太陽の光を浴びて輝く海面が、丁寧に磨き上げられた宝石のように光を反射させていた。
 白い雲の浮かぶ青空に、海鳥が飛ぶ。甲高い声を上げ、海面に急降下して魚を捕らえる。港に並ぶ市場からは、人々の活気に満ちた声が零れてくる。
 ああ、そうだ。これがホーリーだ。これが、ディルートの町だ。
 長くいたわけではないけれど、それでも、この光景がシルディの誇る町なのだと痛感する。この国は、こんなにも美しい。

「お忘れ物はございませんか、後継者様」
「多分大丈夫だ。わざわざ見送ってくれて、ありがとう」
「いえ。気になさらないでください。私がお見送りしたかっただけですから。――ああそうそう、陛下から、皆様に道中お気をつけてとの言付けを頂戴しております。どうか皆様、そのように」
「ああ。気をつける」

 王族専用の港に停泊している立派な客船を見上げ、リオンは眩しそうに目を細めた。
 やっと決まった、アスラナへの帰国当日。
 空は晴れ渡り、波は穏やかで、船を出すには申し分ない天候だった。これからまた数日かけてアスラナへと戻る。ディルートは年中温暖な気候だからとすっかり忘れていたけれど、暦の上ではもう冬だ。寒さの厳しいアスラナでは、雪が降っていることだろう。
 港まで見送りに来てくれたのはシルディとリオン、それからルチアだ。マルセル王は政務が忙しく、レンツォもまた、仕事を優先したらしい。あの秘書官は最後まで無遠慮だった。昨夜、別れを惜しむ晩餐会が開かれたのだが、その席でも彼は散々ライナをからかい、シエラにもあの意地の悪い眼差しを向け、シルディに叱りつけられていた。
 賑やかな夜だった。誰もが笑って、誰もが騒いで。うるさいのは嫌いだったはずなのに、とても楽しかった。

「ほんとにほんとに、気をつけて帰ってね。あっ、手紙! 手紙書くから! だから、その、」
「分かりましたから少し落ち着いてください! まったくもう、今生の別れじゃあるまいし」

 ぴしゃりとした声に視線を巡らせれば、眉を下げたシルディと、呆れた様子のライナがなにやら話しているようだった。シルディはいつもの簡素な服装と違って、王子らしい式典用の衣服に身を包んでいた。腰に佩いた細身の剣は飾りだろう。彼があれを振り回している姿は想像ができない。
 シルディが胸元からなにかを取り出し、それをライナに差し出した。なんだろうか。じっと見ていると、後ろから伸びてきた手によって体を反転させられる。

「なんだ、エルク」
「いいから。――それより、晴れてよかったな」

 空を見上げたエルクディアにつられて、シエラも同じように空を仰ぐ。眩しくて目が少し痛くなったけれど、それでもずっと見ていたいと思えるほどの鮮やかな空だった。
 晴れてよかった。最後に見るのがこの青で、本当によかった。

「アスラナに帰っても、この青はすぐに思い出せるな」
「そんなに気に入ったのか?」
「ああ。それに、ほら。――これがあるだろう」

 神父服の襟を寛げ、細い鎖を手繰って小さな青い珠を取り出して見せた。あの夜、エルクディアにもらったホーリーブルーのネックレスだ。この石は、ホーリーの青を閉じ込めている。

「……気に入ってくれたか?」
「ああ。今までこういったものを持ったことがなかったから、新鮮だな。悪くない」
「それはよかった。失くさないように気をつけろよ」
「分かっている。そうだ、帰ったらユーリにもう少し頑丈な鎖を――」

 言いかけたシエラの言葉を、鼻先に触れた花びらが奪っていった。
 美しい青空に、花びらが舞う。雲が千切れて落ちてきたかのようなそれは、徐々に数を増していった。驚く間もなく、鈴の音が響く。

「シエラさっまー! わしもお見送りさせてくださいですますー!」

 シャンシャンと鈴の束を鳴らしながら、蓼の巫女が高い段差をものともせずに塀の上から飛び降りてくる。ふわりと舞い上がった半透明の帯が、風を孕んで羽のように棚引いた。
 息を切らせて走ってきた蓼の巫女は、驚いて固まるシエラに勢いを殺さぬまま抱き着いてきた。どんっとぶつかられ、衝撃と息苦しさにたたらを踏む。「おっと!」エルクディアの支える腕がなければ、その場に尻餅をついていただろう。

「お前、もう体は大丈夫なのか?」
「はいな! 見てのとーりこのとーり! ぴんぴんしとりますですー。はー! シエラさまがお帰りあそばすやなんて、さみしゅうございますですー。ルタンシーンさまもきっと今頃、海の底で残念がっておられることかと」
「……それはないだろう」
「いえいえ、だってシエラさま、ルタンシーンさまよりご加護をいただきましたんですやろー? ルタンシーンさまは、シエラさまのことを大層お気に召されたご様子。むふん、よきかなよきかなー」


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