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「ま、特に変わりはないし、でぇじょーぶさ。今頃は港町で宿取ってんじゃねぇかな。ただ、まあ……えらい別嬪さんと一緒だったけども」
「女性かい?」
「うんにゃ。パッと見はおねーちゃんに見えっけど、ありゃ男だ。前にも言ったろ、島で姫さんの傍で暮らしてんのがいるって」

 握り締めた拳に力が籠もる。その変化に気づいたのか、リシャールが呆れたように肩を竦めた。

「心配すんな、きょーだいみてぇなもんだろ」

 空が、落ちる。
 そんな白昼夢を見た気がした。冷えた空気が肺に刺さり、体を芯から冷やしていく。リシャールの慰めの言葉は、それでいて本来の役目を果たしてはくれなかった。

「リシャール、君とフェリクスは本当によく似ているね」
「あん?」
「君達は、一言も二言も多い」

 できる限り柔らかく言ったつもりだったのに、放った声はガラスのように硬質で、砥がれた鋼のように鋭かった。おそらく綺麗に笑えていなかったのだろう。リシャールの顔が歪む。幼い頃、兄と慕った男は頭を掻いて、昔と変わらず首を回した。なにか困っているときにそうするのが彼の癖だった。
 爪の間にインクを染み込ませた手が頭から離れた頃、それまでとは打って変わって真剣な眼差しでユーリを見つめた。

「ユーリ、お前、大丈夫か。お前は昔っから、どっかしら危なっかしくてかなわねぇ」
「ははっ、この私が? 面白いことを言うね。こんなにも“完璧”なのに、危なっかしいだなんて」

 若くして最高祓魔師となり、国王として国を動かす才にも恵まれている。物腰は穏やかで、臣下への情も厚い。新たな聖職者の養成のために力を入れ、貧困層への政策も欠かさない。大きな戦はなく、治世に問題があるようには思えない。それに加えて、目を瞠る美貌すら持っている。見目麗しい国王は、それだけで民の人気を集める。
 これを完璧と言わずして、どうするのだろう。
 強くて、賢くて、優しくて、綺麗な王様。理想の王ではないか。
 なぜ王になったのかなど、聞かれても上手く答えられる自信はない。無論、誰もが望むような綺麗な答えは、いくらでも出てくるけれど。
 野心はあった。上へ上へと、ただそれだけを考えていた。脇目も振らずに前へ進んでいくうちに、ここまで来ていたのだ。そんなことを言えば、また誰かに嫌味だと言われてしまうだろうか。

「あのな、ユーリ。俺は心配して――」
「クロードはどうしたんだい」
「へ? クロード神父なら途中でどっか行っちまっ、ってオイ、ユーリ!」
「そこ(ベッド)が気に入ったのなら、しばらく休んでいくといい。私は仕事をしてくるから」

 クロードがディルートへ赴いたことはフェリクスから聞いて知っていたから、特に聞きたかったわけではない。逃げるように扉を擦り抜けて、背中に声を聞きながらユーリは長い廊下を進んだ。
 冷たい石造りの壁は、冬になれば余計に寒々しい。纏わりつく精霊の気を感じて、たまらず苦笑が漏れた。どうやら今の自分は、人前に出られる状態ではないらしい。

「エルクがいないと、すぐに気を抜いてしまうからいけないね」

 いついかなるときでも、自分は王であらねばならぬのに。


+ + +



「二週間って、案外長いものですね……」
「待ってるだけだもんね。でも、そっか。クレメンティア達がホーリーに来て、もう一月以上経ってるんだねー。なんだか不思議な感じ。いろいろありすぎて、あっという間だった気がする」

 海の底のアビシュメリナ。ホーテンやベラリオとの問題。そして、ルタンシーンのこと。
 ホーリーに来てから、確かにいろいろなことがありすぎた。
 ライナは一つかぶりを振って、隣に佇むシルディの横顔をそうっと盗み見た。ふわふわとした金茶の髪が潮風に靡き、黒い双眸がまっすぐに海を見つめている。その色は闇と同じ色でもあるのに、昏さは微塵も感じられないのだから不思議だ。夜の海を連想してしまうのは、彼がこの国の王子だからだろうか。瞳に浮かぶ輝きは、夜の海面を照らす月明かりのようで。光を失うことのない瞳に、この国の未来が見えた気がした。
 あの人とは違う。今も思い出すたびに胸を苦しい靄で覆い隠す、あの恐ろしい人とは。
 ディルートの復興作業は日々行われ、町は徐々に以前の活気を取り戻し始めている。元が明るい町だ。民も晴れ渡った空に満面の笑みを浮かべ、せっせと泥を掻き出していた。

「あ、ルチアだ。おーいっ、どこ行くのー?」

 バルコニーの手すりから乗り出して手を振るシルディは、とてもじゃないが「王子様」には見えない。毒を宿す不思議な少女はこちらを見上げ、快活な笑みを浮かべて「妖精の森!」と叫んだ。ロルケイト城から少し離れたところに、小さな森がある。そこのことだろうか。ルチアはこのところ、毎日どこかへ出かけているようだった。――あんな風に、無邪気に過ごせていたら。走り去っていく背中に揺れる半透明の肩掛け(ショール)が、妖精の羽に見えた。
 あの少女とももうすぐお別れた。月が満ちてシエラがルタンシーンを訪れたら、その翌日にでもアスラナへの帰国を予定している。長く国を空けすぎた。ライナは国政に携わるような仕事はしていないが、それでもここまで長く離れていると不安が残る。ユーリはちゃんと仕事をしているのだろうか。先に帰国した魔導師の様子は。
 考えなければならないことは、山ほどある。
 魔王レフィクルはすでに目覚めていると、ルタンシーンも言っていた。その臣下を倒さないことには、おそらく魔王を倒すことなどできないのだろう。砕けた魔魂の欠片はライナが預かっている。美しい珠の欠片は、一見すればただの宝石にしか見えない。
 潮風を浴びながら考えることは、たくさんある。星の瞬く夜に眠れないときは、いつもこの考えで頭がいっぱいだった。
 あの子は――シエラは、どうなるのだろう。

「クレメンティア?」
「ひゃっ!」

 滔々とそんなことを考えていたら、ふいに顔を覗き込まれて、大げさなまでに仰け反った。驚いて心臓が早鐘を打っているというのに、シルディはなんでもなかったかのような顔でほけほけと笑っている。


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