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 なぜルタンシーンにそんなことをしようとしたのか、はっきりと思い出せない。ただ、そうすべきだと思った。それが望みのように感じたからだ。
 考えれば考えるほど分からなくなってくるので、シエラは一度思考を止めた。ルタンシーンは相変わらず不機嫌なままではあったが、先ほどまでの、抑えきれないほどの憤りは見られない。今はただ、情報を集めることに集中すべきだと状況が物語っていた。
 ルタンシーンはライナが差し出した珠の欠片を一瞥し、神台に腰かけた。

「魔魂だな」
「マコン? なんだ、それは」

 すっかり元通りになってしまったシエラの口調にルタンシーンは渋面を作ったが、その口から再び暴言が吐かれることはなかった。今はもう瞳の色も、本来蓼の巫女が持っている青灰色に戻っている。

「魔物の魂だ。高位の魔族のみが持つ、魂を封じた石。魔族はこれに真名を刻み、封じる。竜玉にも似ているな」
「竜玉……。つまりこの魔魂が、魔族の心臓とも言えるものなのでしょうか」
「ああ。たとえ首を刎ねられようと、心臓を抉り出されようと、魔魂が無事であれば消滅することはない。――俺も、実際に見たのはこれが初めてだ」

 長い時を生きる神でさえ、それを目にすることはあまりないのだという。
 真名が刻まれた魔族の魂。破壊することができるのは神に通ずる者――すなわち聖職者だと、ルタンシーンは言った。
 一度口を開きかけ、神は考え込むように唇を引き結んだ。ちらと向けられた視線は、なにを物語っていたのだろう。直情的な神にしては慎重に言葉を選びながら、溜息を吐くように零した。

「まさか、俺が語ることになるとはな……」

 言うなり、ルタンシーンの手から水の珠がいくつも零れ落ち、床を跳ねた。その行為に特に意味はなかったのだろう。シエラ達はただ静かに、彼の言葉を待った。

「俺の知る限り、魔魂を持つ魔族はそう多くない。奴らは最も深き影から生まれた、生粋の闇の者。魔の王の傍らには、いつも五体のしもべがいた。それらはすべて魔魂を持つ。その一つが、これだろう」
「つまりヒューは、魔王の側近の一人ということか……」
「そうなるな。魔魂が壊れぬ限り、それは変わらぬ。すでに魔の王は目覚めているぞ。――姫神よ、貴様が死ねばこの世は終わる。覚悟せよ。貴様の為すべきことは、その魂に刻まれている」

 覚悟。覚悟とは、なんだ。
 隣でライナが唇を噛んでいた。シエラよりも遥かに悲痛な面持ちで、今にも泣き出してしまいそうだ。エルクディアの表情も暗い。
 シエラは己の胸に手を重ね、鼓動を手のひらに感じながら目を閉じた。動揺はない。それとも、動揺の上に平常心を被せて、見て見ぬふりをしているだけなのだろうか。とくりとくりと拍動する心臓は、確かにこの奥にある。
 為すべきことは魂に刻まれている。その意味は、よく、分からないけれど。

「魔魂を持つ魔族と魔王を倒せばいいんだな。魔王にも魔魂はあるのか」
「……あるにはあるだろうが、真名はない。真名を持たぬゆえに、創世神が魔の王に名をやった。――レフィクルと、そのように、創世神は奴を呼んでいた」
「それが、魔王の名……」
「俺が話せるのはこの程度だ。あとは聞くな。己が魂に聞け」

 真名のない相手をどう倒せばいいのだろう。訊ねたところでルタンシーンは答えない。不機嫌を露わに腕を組み、シエラから視線を逸らして黙り込んでしまった。
 これ以上この神から話を聞くのは難しそうだ。蓼の巫女の体も、そろそろ限界が近いのだろう。ゴルドーに心配げな色が浮かんでいる。
 この辺りで引き上げようかとも思ったが、どうしても気になったことがあった。
 海に沈んだ、あの街が。

「……アビシュメリナを、なぜ沈めたんだ?」
「シエラ!」

 口にした途端に爆発したルタンシーンの神気に、ライナが慌ててシエラを窘めるが、もう遅い。一度吐き出した言葉を取り消すことはできない。息の詰まる神気の強さに、エルクディアでさえ額に冷や汗を浮かべている。
 金色に変わったルタンシーンの双眸が、強くシエラを射抜いた。

「――それを問うか、姫神よ」
「申し訳ございません。ですが、わたくしもお言葉を承りたく存じます」
「貴様……」

 今まで隅でじっとしていたシルディが、滑るような身のこなしで前に出てきて膝をついた。式典用の礼服を纏った彼は、まごうことなき「王子様」だ。深々と頭を下げていたシルディが、許しを与えられて面を上げる。
 その刹那、ルタンシーンの瞳が苦しげに細められたことに、シエラは気がついた。まっすぐに見上げるシルディを見つめ、神は唇を噛む。どうしたのだろう。まるで胸を衝かれたかのような様子に、自然と辺りは静まり返った。

「……これだから、人の子は嫌いだ」
「どうか、お聞かせいただけませんでしょうか。人の身で過ぎた願いとは存じております。ですが、」
「黙れ! ――貴様、ラティエの血脈を持つ者であろう。王の血を引く小僧。肝に銘じておけ。俺は、貴様らのためにディルートの海を守っているのではない。よいか。この街も沈められたくなくば、もう二度と、聞くな。神とはな、傲慢で、理不尽な生き物だ。しかと覚えておれ!」

 強く握った拳が白く変色している。ルタンシーンはそうまでして、なにに耐えているのだろうか。
 アビシュメリナの記憶は、それほどまでに彼に痛みを残しているのだろうか。神に刻まれた痛みとは、どれほどのものなのだろう。

「――姫神よ。次に月が満ちた夜、再びこれへ来い。供はいらぬ。ただ一人で。違えるな」
「えっ、あ、おいっ!」
「蓼巫女様!」

 急に体がふっと軽くなり、目の前にあった蓼の巫女の体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちてきた。ゴルドーの悲痛な叫びに応えるように、真正面にいたシルディが倒れてきた体を受け止めたが、濡れた巫女服が想像以上に重たかったのだろう。蓼の巫女を抱えたまま後ろに倒れ込み、どしりと尻餅をついて痛みに顔を歪めていた。
 あれほど肌を刺していた神気が和らいでいる。至聖所から出る間際、シルディに変わって蓼の巫女を抱えたエルクディアに次の満月はいつかと訊ねると、およそ二週間後だとゴルドーが教えてくれた。


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