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 警護のためについてきたリオンとは神殿に入ってすぐ別れたが、道中のシルディの様子と言えば、おかしいと言うより他になかった。リオンと目を合わせようともせず、そわそわと落ち着きのないその様子を訝ったライナが声をかけるも、彼は上擦った声で「なんでもない!」と言うのだから、余計におかしい。
 しかし構っている暇もなく、シエラ達はゴルドーによって至聖所(しせいじょ)へと案内された。今度はシエラだけでなく、エルクディアやライナの同行も許されている。どういう風の吹き回しだろうか。訊ねたところでゴルドーは答えず、静かに前を進むだけだった。
 一度通ったことのある道は、相変わらず光に乏しい。同じ道であるにも関わらず、前回とは空気が違った。静謐に満ちているとでも言えばいいのだろうか。この微妙な感覚を表現できるだけの語彙を、シエラは持たない。肌に触れる空気が違うことだけは、はっきりと分かる。ルタンシーンの神気が濃く、さらに水の精霊達が歓喜に沸いているのが感じられた。
 重たげな至聖所の扉が開かれると、部屋の中央には棺のような神台が、変わらずシエラ達を待ち受けていた。水音が反響する。あの中に、蓼の巫女は眠っているのだろう。聖水に身を横たえ、神をその身に降ろすために。
 息を呑んだのは、ライナか、それともシルディか。扉を閉め、恭しく膝をついたゴルドーはなにも言わない。すべてはシエラが知っていると言わんばかりだ。
 ライナが遠慮がちにシエラを呼んだが、そこから先の言葉はなかった。焼け付くような神気の濃さに、彼女も圧倒されているのだろう。肌が焼かれる。痛いくらいの清廉な空気。綺麗すぎて、きっとどんな生物もここでは生きていくことができないだろう。だってここでは、一切の穢れが許されない。穢れは罪だ。罪は裁かれる。
 シエラはライナ達を背に、台座へと近づいた。蓼の巫女の指先が聖水の中で蠢き、波紋を生む。
 刹那、射抜くような凄まじい神気と共に、蓼の巫女が――ルタンシーンが、その目を押し開いた。

「――姫神か」

 呼吸さえ奪いそうになる苛烈な神気を放ちながら、ルタンシーンが低く唸る。神台の上で片胡坐を掻いたルタンシーンは、濡れた髪を掻き上げて苛立たしげにシエラをねめつけてきた。見た目は蓼の巫女でしかないのに、誰が見てもそれは彼女ではないと分かる変化に、ライナ達も言葉を失っているようだ。
 神はシエラ以外には目もくれず、大仰に溜息を吐いた。

「言われた通り、呪詛は解いたぞ」
「そのようだな。して、蛇神はどうした。我が神器はどうなった。姫神よ、よもや忘れたとは言うまいな」
「それは……」
「答えろ! 穢れを祓うは、姫神であれば当然のこと! 言うたであろう、我が神器を傷つけた蛇神を引きずり出せと! さもなくば贄を寄越せと! 貴様の耳は飾りであったか!」

 びりびりと鼓膜を震わせる峻烈な叱責に、シエラの足が竦んだ。風もないのに、神気によって蓼の巫女の髪がふわふわと波打っている。ルタンシーンの怒りに触れ、シエラは唇を噛み締めて耐えるより他になかった。
 呪詛の解呪に夢中になって、途中から蛇神を探すことなどすっかり失念していた。戻って来るなりの呼び出しだったので、蛇神を探す暇もない。それを言ったところで、この神が納得してくれるとも思えない。
 沈黙を貫くシエラの後ろ首をぐっと引き寄せ、至近距離でルタンシーンは舌を打った。爬虫類のように割れた瞳が恐ろしい。触れられた個所には冷たすぎる氷を押し当てられているような、冷たいのか熱いのか、よく分からない痛みが走った。あまりの乱雑さに、エルクディアが声を上げた。すぐさまライナに制されていたが、そこでようやっと、ルタンシーンの注意がシエラ以外にも向けられた。
 気だるげな視線がエルクディアとライナを捉え、僅かに――おそらく吐息が触れ合う近さにいたシエラにしか分からないほど、ほんの僅かに――目を丸くさせていた。

「ルタンシーン……?」
「――ふん。蛇神の気配はもうすでに消えた。愚図め。世を渡り捕らえよと言いたいところだが、それも叶うまい。なれど俺の気は収まらん。誓約通り、贄を寄越せ」
「なっ……! ふざけるな、呪詛は解いただろう!」
「黙れ! 無礼な小娘が! 神にかような口を聞くか」

 ヒューの言葉がよみがえる。「どうして海神なんかに使われてるのさ」あの言い方では神の後継者の立場が上のように聞こえたが、実際はどうだ。ルタンシーンの怒気に委縮するばかりで、上手(うわて)に出られるはずもない。
 顎が疲れるほど強く奥歯を噛み締めていたシエラの鎖骨の辺りで、ふいに、ひんやりと心地よい冷たさが胸に沁みていった。青が脳裏に浮かぶ。エルクディアにもらった、ホーリーブルーのネックレスだ。その色を思い出した途端、なにかがすうっとほどけていくような気がした。
 乱暴に突き放されて乱れた髪を整えてから、シエラはルタンシーンを見上げた。

「私を人ではないと、そう言ったのはお前だ」

 背後でゴルドーとライナが息を呑む気配がしたが、シエラは強く胸元を握り締め、真っ向からルタンシーンと向き合った。

「なんだと?」
「私は人の子として生まれたが、だが、お前達神に言わせれば、“後継者”なんだろう!? お前は私を“姫神”と呼ぶ。なら、対等に口を聞いても許されるはずだ!」
「たわけがッ! ふざけたことを抜かすと――」
「なら!」

 ルタンシーンの言葉を遮り、シエラは強く言い放った。
 指先が震えている。恐怖に支配された体は疑いようもなく人のものなのに、どうして姫神などと呼ばれるのだろう。どうして、人にはない力を持っているのだろう。
 音が、聞こえる。
 どこか遠くで、水が凍りつくような小さな音が。


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