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 当たり前のように椅子の肘掛けに浅く座り、リオンはレンツォの頭の上に肘をついた。振り払うのも面倒だ。石鹸の甘く爽やかな香りが、ふわりと鼻腔をくすぐっていく。

「上司の執務室に挨拶なしに入るとは、随分と礼儀知らずですね」
「あら、したわよ。貴方が気づかなかっただけではなくて?」
「ああそうですか。それは失礼を」
「微塵も思っていないくせに」

 今度はレンツォの頭を抱えるように腕組みをして、そこに顎を置いたらしい。ぐっと近くなった体のせいで、頬に胸が押し当てられる。柔らかな感触は嫌いではないが、相手がリオンだと思うと複雑だ。ただの肉の塊にしか思えない。湯上がりの女の体からは得も言われぬ香りが漂っていたが、それにくらむほど飢えてはいなかった。
 「邪魔ですよ」冷たく告げれば、つまらなさそうにリオンの体が離れていく。

「なんの用ですか」
「ご報告。今回のことと、それからベスティアとプルーアスについて」

 ランプの明かりに照らされて、リオンの顔にはくっきりと陰影が刻まれていた。こうして見てみると、ホーリーの人間の顔立ちとは異なっていることがよく分かる。彼女の生まれがどこなのか、気にしたことがないと言えば嘘になる。だが、そんなものに意味がないのだから仕方がない。必要なのは能力だ。そして、あの馬鹿王子を裏切らない確証があれば、もうそれだけで十分だった。
 リオンの濡れた髪から雫が落ちる。レンツォの膝を濡らしたそれを指でなぞり、彼女はくすくすと笑った。どこか誘うような手つきのくせに、その気は皆無なのだから笑えない。

「ベスティアに大きな動きは特にないわね。けれど、プルーアスと第一王子が連絡を取っていたようよ。あちこち迂回していたからはっきり“誰と”とは言えないけれど、相手はプルーアスの人間で間違いなさそう。白湖の店でうちの硬貨が使われていたようだし、第一王子の取り巻きに宛てた手紙も、証拠として頂戴してきたわ」
「相変わらずあなたの情報収集能力は素晴らしいですね。そんなもの、どうやって仕入れてくるんですか?」
「あら、気になる? 『教えてください』って膝をついてお願いしていただけたら、いくらでもお話するのだけれど」
「結構です」

 頬に触れてきた手を払いのけ、レンツォはリオンの腕を掴んで引き倒し、そのまま机に放り投げた。素早く立ち上がり、両肩を封じるように上から抑え込む。机の上に乗っていた書類がくしゃりと悲鳴を上げ、ガラスペンが転がっていった。じりりとランプの炎が鳴いている。
 目をしばたたかせるリオンの胸元に手を伸ばして、服の合わせ目を乱暴に割り開く。一つ一つボタンを外す手間が惜しい。時間をかけてやるのも面倒だ。ブラウスのボタンが千切れ、机を転がって床へと落ちる。肌蹴られたブラウスの隙間から白い胸元が眼前に曝され、湯上がりの火照った肌が誘うように汗を浮かばせていた。

「あら、随分と乱暴ね」

 余裕たっぷりに微笑むリオンに、危機感はまったく見られない。冷たく見下ろしたまま胸を覆う下着へ手をかけたというのに、彼女は笑みを浮かべたままだ。それを了承と取って、レンツォは引きちぎる勢いで下着をずり下げた。暗がりの中、零れ落ちた白い乳房がふるりと揺れる。ためらいなくそこに手を伸ばし、柔らかな感触を堪能することもせず、下着に隠されていたものを指先でつまんだ。
 上体を押しつけるように重ねて、小さな耳元に唇を寄せる。そこで初めて、彼女が髪を下ろしていたことに気がついた。いつもは一つに結われていた黒髪が、今は机の上に波打っている。

「乱暴な方が、お好きでしょう?」

 強く耳朶を噛めば、下敷きにした体がびくりと跳ねる。額を重ねるように至近距離で見下ろした瞳が、ほんの僅かに悔しさを滲ませているのだから面白い。指先に感じるものを転がして戯れつつ、清められた肌に手を這わせてやれば、涼しげなリオンの顔が徐々に変化していく。
 肌に触れる吐息が熱い。誘うように熱を上げるその唇を、いっそ食らってしまおうか。そうすればこの生意気な女狐は、少しは大人しくなるのだろうか。――大人しいリオンなど、想像しただけで反吐が出るけれど。
 夜を閉じ込めた漆黒の双眸は、完全に閉じられることはない。僅かな隙間からレンツォを見上げ、言葉なくなにかを告げてくる。その瞳を見つめたまま、レンツォは噛みつくように口づけた。

「ねえレンツォ、今から神降ろしなんだけど、式典用の服でいいかなぁ――って、え、あ、え、……うっ、うわぁあああああああっ!!」

 唇が重なる直前でノックもなしに扉が開け放たれ、ひょっこりと顔を覗かせたシルディから瞬時に笑顔が消えた。思春期真っ盛りの青少年には、少々刺激が強すぎる光景だったのだろう。勢いよく扉が閉められた音と、遠ざかっていく悲鳴を聞きながら、レンツォは溜息交じりに体を起こした。
 机の上に寝そべっていたリオンの腕を掴んで乱暴に引き起こし、自分の上着を脱いで投げ渡す。乱れた衣服の上からレンツォの上着を羽織った彼女は、けらけらと楽しそうに笑って扉を指さした。

「いいの? とんだ誤解をされてしまったようだけれど」
「これでしばらく女性を意識しまくって、まな板小娘との間柄もぎくしゃくすれば面白いことになるので、放っておきましょう」
「悪魔」
「どっちが」

 リオンの下着に隠してあったもの――小さく折り畳まれた紙を広げ、レンツォは鼻で笑った。胸の谷間に大事な報告資料を挟んで持ってくるとは、この女らしいと言うかなんと言うか。胸が押し当てられたときに紙の鳴る音が聞こえていなければ、きっと気がつかなかった。なにもないのに、この女の服を剥きたいとは思えない。

「リオン」
「なにかしら」
「今から王子達はルタンシーン神殿へ向かうようです。さっさと着替えて送ってやりなさい」

 「それと」と、レンツォは紙面に目を通しながら付け足した。

「ここに書いてあることがすべて事実なら、早急に王都テティスへ連絡を」
「――了解いたしました、筆頭秘書官殿」


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