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「あいやぁ。どこから入り込みはったんか知りませんですけんど、あなたがわしらのルタンシーンさまにこないな酷いことしはったんですー? ほいたら、お仕置きですねー」
「……なにあんた。なぁんか嫌な気がする」

 シエラの指を潰す勢いで足を踏み下ろして蓋を閉めたヒューは、蓼の巫女を見て舌を打つと、ボールで遊ぶかのように箱を蹴り上げて脇に抱えた。強い魔気に触れ、呪詛が強さを増していく。
 すぐさまエルクディアがシエラの前に立ち、ヒューに切っ先を向けた。すでにほとんどの魔物は地に臥している。死滅したわけではないが、俊敏に動けない魔物は脅威ではないだろう。シエラでも浄化が容易い状態だ。
 じりじりと後退し、シエラ達はライナが張り巡らせた結界の中へと戻った。魔気に興奮していた心臓が、清浄な気を吸って痛みを散らしていく。
 呼吸を整えながらシエラは思う。
 ここは本来、ルタンシーンの神域の心臓部であった。小さな穢れが神へと直結する場。呪詛を置くにはもってこいの場所だ。なぜ気がつかなかったのか。場所柄だけの問題ではない。確かに、まさかここがという思いが、ディルートの神職に就く者にはあったのかもしれない。
 それはなぜか。――本来、ルタンシーンの気が立ち込めていたところだからだ。強すぎる神気によって、邪気が隠されていたのではないか。
 もしこの憶測が正しければ、「強すぎる神気」を持つ自分は、なにを隠すことになるのだろうか。

「<聖鎖、聖縛、神速をもって彼の者を追い捕らえよ!>」

 光の帯が一直線に走ってヒューの手首を戒める。少し驚いた風に目を丸くさせ、少年は口端を吊り上げた。

「おねーさん成長してるじゃん! ちょっとは早くなってるよね!」
「<神の炎に抱かれて眠れ、聖火葬送(セイクリッド・クリメイション)!>」

 ゴォッと凄まじい音を立てて炎が走り、ヒューの全身を包み込んだ。捕らえたと思ったが、炎が掻き消えた瞬間に少年の姿は跡形もなく消え去っていた。
 探そうとしたところで、ぐじゅりと嫌な音を立てて半分顔の削げ落ちた人魚の死骸が神聖結界に叩きつけられる。ライナが短い悲鳴を上げた。魔気に呑まれた人魚の遺骸は結界の中へと入ってくることはなかったが、そのせいで半球状の結界に沿ってどす黒い血が紗幕(カーテン)のように宙を流れていく。こびりついた爛れた皮膚、剥がれ落ちた鱗。眼球を失った眼窩が、苦痛を訴えるようにこちらを伺っていた。
 テュールが低く唸り、氷の吐息(ブレス)を吐きながら結界を飛び出した。
 洞窟内に笑声が響く。

「ほらほら、本気出しなよおねーさん。神の後継者ってさ、こんなものじゃないよね?」

 ヒューの手のひらの上には、赤黒い歪な球のようなものが握られていた。
 シエラの目が、今しがた結界に叩きつけられた人魚だったものの胸を射る。
 ――そこからは、向こう側がはっきりと見えていた。


+ + +



 なにもかも吸い込んでしまいそうなほどの青さに、ソランジュはうっそりと目を細めて空を見上げていた。自身が纏っている白衣よりもよほど白い雲が流れ、ぴゅうと吹き抜けた冷たい風に身震いする。慌てて上着の前を掻き合わせたが、アスラナの冬の厳しさはその程度では防げそうにもない。
 それでも、王都の寒さは随分と穏やかな方だ。精霊が集まるせいか、王都は年中花が咲き乱れ、雪害で家が潰れる心配もない。平原の果ては白に染まっているが、王都の空には小花のような雪がちらつく程度だ。先日まで鈍色の雲が空を覆って青空を隠していたのだが、冬のこの時期には珍しく空は晴れ渡っていた。
 敷布の洗濯にはうってつけだ。そう思いながら、ソランジュはフェリクスの後を追いかけた。
 フェリクスが遠征から戻って来て、数日の間で様々な話を聞いた。神の後継者達は、ホーリーのディルートで大変な目に遭っているのだという。かくいうフェリクスだって大変だったろうに、怪我の心配一つさせてくれないのでソランジュはいじけて唇を尖らせるより他なかった。

「もう怪我はいいのか」
「はい。怪我というほどの怪我でもなかったですし。銃弾の解析は、アルオン家の研究機関が動いています。兄達が、近々お城に報告に上がると手紙をくれました」

 アルオン家は優秀な医者や研究者を輩出する家系として有名だ。唯一の例外がソランジュ自身であることが負い目だが、それでも順調に医官見習いにまでこぎつけた。
 冬仕様でふっくらとした小鳥に目をやってから、フェリクスは「そーか」とそっけなく相槌を打った。なにを考えているのかは分からない。武人ならではの危惧があるのだろう。ソランジュに医官としての危惧があるのと同じで。
 白い石畳の敷かれた小道を抜けると、鍛錬場と隣り合った騎士館がある。道中が小さな森のようになっているのは、山林の中での模擬戦闘ができるようにとの配慮らしい。植えてあるのは薬草だから、ソランジュを含む医官達の役にも立っている。
 騎士館に辿り着くと、フェリクスは建物の中には入ろうとせず、陽のあたるところへどかっと腰を落ち着けた。どうしたものかと迷ったあげく、尻をつけないように腰を浮かせた状態で隣に屈んだ。見上げた先にあるフェリクスの双眸が、呆れたように降ってくる。

「嬢ちゃん、仕事は」
「午前中の分は終わらせました。だから今は休憩です」
「貴重なきゅーけー時間をオッサンに費やすのはどうかと思うんだがなァ」
「貴重な休憩時間だからこそ、先生と一緒にいたいんです」
「…………ああ、そう」

 フェリクスはがしがしと頭を掻き毟ったが、照れた様子一つ見せてはくれない。ドキドキしているのも、一緒にいて幸せなのも自分だけなのかと思うと胸が詰まりそうなほど苦しいが、今はそれだけでよかった。
 傍に彼がいて、会話をすることができる。――それだけで。

「――あ、そういえば。さっき、不思議なものを見たんです」
「不思議? なんだそりゃ。サイラスの頭か」
「違いますよ、もう。先ほど、陛下のお部屋に女の人が入っていったんですけどね」
「そりゃ嬢ちゃん、不思議でもなんでもねーよ。いつものことじゃねーか」

 喉を鳴らしてフェリクスが笑う。
 痺れてきた足を動かしながら、ソランジュはあのとき見た光景を思い出して首を振った。確かに美麗の青年王が女性を部屋に迎え入れるのは日常茶飯事だが、今回のそれとは訳が違う。

「その人、窓から入っていったんです」
「は? 窓ォ?」
「はい。窓。翼の生えた大きな猫みたいなものに跨っていて、ふわっとバルコニーに降り立って。怪しい人かと思ったんですけど、すぐに陛下が見えて手招いてらしたので、お知り合いなんだと思います」
「なんだそりゃ」

 翼の生えた大きな猫。飼い慣らされた様子からして、幻獣の類だろう。するとあの女性は魔女なのだろうか。青年王は、魔女とまで交流を持っているのか。
 ただただ感心するしかないソランジュの傍らで、フェリクスは苦く「わっかんねェ」とぼやいていた。彼の弟であるオリヴィエ・ブラント隊長ならば、青年王の考えに少しは近づくことができるのだろうか。フェリクス自身、己には学がないと言うが、彼がそれを引け目に思っていることはなさそうだった。彼には他の部分に絶対の自信があるのだ。
 ――だから、惹かれる。



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