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 永久に、共に。
 人の子は、容易く嘘を吐く。
 罪深き唇から、甘やかな毒を吐く。

 ゆえに、沈めた。

 永久に、共に。
 嘘を吐いた唇が、そう望んだままに。


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 ――その町は、一夜にして海の底に消えた。
 我らは、神と共に眠る。

 古代アビシュメリナの町並みをその目で見た者は、誰一人としていない。もう人々の記憶に残らぬほど昔に海の底に消え去った町は、それはそれは大きな町だったと言い伝えられている。
 口伝に口伝を重ねて語り継がれてきた、幻の都。
 アビシュメリナは今でこそ「町」と言われているが、かつては一つの国であったとも言われている。
 真偽は定かではない。アビシュメリナについて書かれた歴史書は少なく、少ない中にも諸説は様々だ。日夜研究者達が古代語の解読を試みているが、国であったのか、町であったのか、そんな基本的なことすら分かっていない。
 謎と共に沈んだアビシュメリナ。
 アビシュメリナを治めていた者を王と呼ぶのが、学者の間では主流になっている。
 古の王は、沈みゆく都に身をゆだねて、なにを思っていたのだろう。

「アビシュメリナは、ルタンシーンさまのお膝元にございます」

 アビシュメリナを守護するルタンシーンは、深い海の底で人々の祈りを聞いていた。時たま気まぐれのままに雨を降らせてやったり、川の氾濫を治めてやったりとしながら、人と神の境界を保ってきた。
 海沿いに建てられた巨大な神殿は、ディルートに建てられているルタンシーン神殿よりもさらに立派な造りだと言われている。白い石壁、透き通ったガラス窓。あまりに荘厳な造りに、人々は目を奪われていたのだとか。
 そんなアビシュメリナでは、生まれが限られた者にのみ、神に仕えることが許された。
 ある清らかな血を引いた者だけが、巫女になる使命を与えられる。 

「気高き王家の血と、神が愛した獣、すなわち幻獣の血。その合いの子が、巫女に選ばれた。――言い換えれば、巫女は、魔女でなければならなかった」

 幻獣――とりわけ人魚の血を引いた魔女にのみ与えられた、崇高な使命。
 神に尽くすことが、絶対の世であった。
 神に仕えることが、至上の世であった。
 神の声を聞くために、王の血を引く男達は、巫女を生むべく、人魚と交わった。

「幻獣の血を交えた、清らかな乙女。それがこの地の巫女の始まり。神に近しき者、神に愛される者。そう信じられて、魔女は巫女となりました」

 人間と幻獣の間に生まれた子がなぜ「魔女」と呼ばれるか、知っているだろうか。
 その間には、女しか生まれない。それが世の理であった。
 男は生まれない。万が一にも男が生まれた場合、それは忌み子だ。闇を呼び、厄を落とす。悪しき存在だ。
 忌み子は、神を裏切った絶対の禁忌。

「当時、王の妻となったのは、美しい人魚であったそうです」

 たっぷりと波打つ豊かな金茶の髪に、透き通った青い瞳。抜けるような白い肌に浮かぶ薄碧の鱗の痕が、老若男女問わず心を惹きつける、傾国の美姫であったと。
 あまりにも美しい人魚の姿に、王は彼女を妻として召し抱えた。海から離され、彼女は女として、陸上の生活を強いられた。それを是としていたのか、抗っていたのか、そこは定かではない。
 だが、海を奪われて代わりに足を得た彼女は、やがて腹に子を宿した。
 人魚が生んだ王の子は、神に仕える巫女となるはずだった。

「もうお分かりにございましょう。――人魚が生んだ王の子は、男児にございました」

 忌み子。
 呪われた子。災厄を呼ぶ子。
 王は嘆いた。愛する女の生んだ、愛しい子供。それは神に愛される子になるはずだった。それなのに、女の抱いた赤子は厄を纏っている。男であってはならなかった。女でなければならなかった。
 濡れて張りつく薄い髪に、まだ開かぬ目。ただの赤子だ。
 けれど、その肌は決定的に人とは異なっていた。

「赤子の足には鱗が生え、肌は常にしっとりと湿っておったそうにございます」

 忌むべき子。
 それでも王は、愛した女が生んだ子を、殺すことなどできなかった。
 赤子はすぐに地下牢へと幽閉され、ひそやかに育てられた。手足を鎖で繋がれ、第一王位継承者であるはずの子供は、生まれながらの罪人として捕らえられたのだ。
 ――初めから、いないものとして。

「そして、忌み子は十六年もの間、牢での暮らしを続けておりました」

 十六年間、アビシュメリナでは毎年欠かさず贄を出した。それがしきたりであった。
 清らかな乙女、少年、はたまた美しい青年。
 神が喜びそうな者を、贄として海に捧げた。

「しかしながら、その十六年。欠かさず贄を捧げていたにも関わらず、災厄は収まるところを知らなかった。少年が成人を迎えるその年、海は荒れ、空は怒り、田畑は死んだ。波が家を飲み、人を喰らい、希望を奪った。――これらがすべて、王が隠した忌み子のせいであると騒ぎ立てられるのは、時間の問題でしたのでしょう」

 真実を知る誰かが漏らした。
 民衆は口々に王を詰った。忌み子のせいで国が死ぬ。ルタンシーン様のお怒りに触れているのだ。許されぬ子がいるせいで、この国は死んでいく。
 王は、人の親であった。
 しかし、王は、悲しいほどに王であった。

「民意と親の情に挟まれ、膝をついて泣き濡れる王の手を取って、少年はこう述べたのだそうです。『私が神のお心を鎮めることができるのならば、喜んで海に帰りましょう』と」

 この身は人魚の血を引いている。海に沈んだところで、死ぬのではない。神のもとまで泳ぐのだ、と。海に帰るだけなのだ、と。
 王は少年の優しさに深く感謝し、愛をもって強く抱き締めた。

「そして儀式の日。王は、心優しい息子を自らの手で鉄籠に入れ、ルタンシーンさまへと捧げるべく、海に送ったのでございます」

 ぶくぶくと、あぶくが昇る。
 深く、青く澄んだ海。誰もが愛するその海に、ゆらゆらと昇ってきては弾ける泡が消えた頃、海の底からは歌が響き始めた。それは幾重にも重なって、やがて謳になった。
 王は、悲しいほどに王であった。
 涙一つ見せぬ王に、人々はその心の強さに心を打たれた。王が王たるべき在り方に、誰もが尊崇した。

「なれど。王は、人の親でもありました」

 その夜、アビシュメリナは海底に消えた。
 ルタンシーンの怒りに触れて。
 真実は海の底に消え、残された人々には想像することしか許されない。けれど、王は身代わりを立てたのだろう。誰もがそう考えた。
 愛する女が生んだ、愛する我が子。たとえそれが忌み子でも、災厄を呼ぶ子であっても、贄にすることはできなかったのであろう。人の、親としての情が、悲劇を生んだ。
 神の前に偽りを立ててはならなかった。
 王は禁忌を犯してしまった。ゆえに海神の怒りに触れ、――アビシュメリナの時間は、そこで止まったのだ。

 海の底から歌が聞こえる。
 幾重にも重なるそれは、やがて一つの謳となる。
 そこに、青があった。

「これが、アビシュメリナにございます」

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 海の底で、人魚が歌う。


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「……と、いうわけでございます。――あいやっ! 申し訳ありませんですー。わし、ついつい夢中になってしまって……。途中から共通語やなかったですよねー? ちゃんと伝わりましたですやろか?」
「大丈夫よ。私が通訳しておいたから」
「おおお、それはそれはリオンさま! ありがとうございますです」

 けらけらと笑う蓼の巫女を背負って進みつつ、エルクディアは隣を歩くシエラの顔を盗み見た。随分と難しい表情をしている。
 リオンの通訳で聞いた古代アビシュメリナの伝説は、聞く者によって印象が変わるだろう話だった。美談と取るか、醜聞と取るか。エルクディアには、醜聞にしか聞こえなかった。王は王たるべきであった。愚かな行いが招いた悲劇だ。
 シエラはどう思ったのだろうか。靴音の響く洞窟内は暗く、ランプの橙色の明かりだけでは顔色まではよく分からない。

「ルタンシーンさまにとって、人の子というものは――、」
「そんなの、勝手だ」
「え?」

 語りかけた蓼の巫女の言葉を遮って、シエラはぼそりと零した。

「気に入らなければ壊すだなんて、子供の癇癪と変わらない。そんなものはただの我儘だ」

 これは、正しいのだろうか。
 エルクディアは真剣な眼差しのシエラを見つめた。シエラはやがて、神になる。それを彼女が望もうが、望むまいが、確実に。定められた運命であって、抗いようのない事実だった。
 神が絶対だとは思わない。だが、批判しようとも思わない。存在すべてを肯定しているのではなく、それは――、やがて彼女が進む道だからなのかもしれない。


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