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「最悪、帰りは迎えを呼べばいい話ですから。船はあそこです。行きましょう」
「行きましょうって……、あの、リオン殿はここまでのはずでは」
「リオンで結構ですよ、エルクディア様。――それにしても、はて。あの男がそのようなことを言っていましたか? だとしても、今ここにあれはいません。今でこそ文官の身ですが、元は傭兵。殿(しんがり)はお任せください」

 高い位置で束ねた黒髪を馬の尻尾のように大きく揺らし、リオンは悪戯に笑って腰を折った。よく見れば、雨避けの外套(マント)の中で、腰に佩いた剣がちらちらと顔を覗かせている。
 どうやら、ホーリーの女性は気が強い傾向があるらしい。自信に満ち溢れた笑顔は、拒否を許してはいない。リオンの同行を喜ぶルチアに手を引かれ、シエラ達は複雑な心境のまま船に乗った。
 荒波が船を揉む。転覆するのではないかという不安の中、ルチアの指示で船は進んだ。左手に町を見ながら進み、先ほど抜けてきた森が遥か高くに見える切り立った岸壁沿いに進む。時折木の根が外に飛び出しているそこは、それ以外にもいくつか穴が開いているのが分かった。
 海面に突き出した岩肌にぶつからないように慎重に進め、地形から、やや波の穏やかになっている窪みに船を止めた。

「ルチア、ここか?」
「んーん。あそこなんだけど、見える? あのぽこって飛び出した岩があるでしょ? この崖の方の、あのあたり。そこの下にね、洞窟の入り口があるの。前にレンツォと来たときは、もうちょっと手前の崖のところにあったんだけど、そこだと船が近づけないってゆーから」

 ルチアの指す場所はそう離れてはいない。泳ぐのもさほど苦労しなさそうな距離ではあったが、それはこの悪天候でなければの話だ。大荒れに荒れた波の状態では、あっさり流されて岩肌に叩きつけられかねない。
 不安そうに見上げてきたルチアの頭に、小さく鳴いたテュールが飛び乗った。ルチアの頭に当てないように尾を振ってクラスターを光らせる姿は、「任せて!」とでも言いたげだ。

「海の中の方が、比較的穏やかでしょうね。ここからテュールの気泡に入って、向こうまで渡りましょう。リオンさんはどうなさいますか?」
「無論、ご同行させていただきます、クレメンティア様。竜の気泡に包まれて海中散歩だなんて、なかなかできる体験じゃないもの」

 後ろでエルクディアが頭を抱えるのが分かった。シルディもいない今、男は彼と船長だけだ。慰められたのか、はたまた励まされたのか、太く逞しい腕に背を叩かれ、エルクディアは仕方がないといった風体でリオンの同行を受け入れた。




 海の中はホーリーの海とは思えないほど濁っていたが、海面の荒々しさに比べれば穏やかだった。流されそうになる中、ゆっくりと目的地まで進んでいく。あぎとを開けた獣のように待ち構えていた入り口は、突然目の前に現れた。地獄の入り口かと思うほどに先は暗く、なにも見えない。
 火霊を集めたランプを灯せば、ぼんやりと鍾乳洞の中が浮かび上がった。天井からは乳白色の鍾乳石が氷柱のように垂れ下がっていて、まるで獣の牙のように見えた。斜め上へと洞窟は続いている。進むうちに、空気が急に重たくなった。

「変な場所ですね。神気のようなものを感じるのに、とても重苦しい……。これが呪詛でしょうか」
「シエラも感じるのか?」
「ああ。嫌な感じだ。魔気とは違うが……、それよりも気持ちが悪い」

 頭痛も胸痛もないが、胸がつかえたような妙な違和感があって息苦しい。シエラは、詰襟の下に潜ませた首飾りを服の上からぎゅっと握った。ひんやりとした石の感触が肌に触れて、少しだけ気分が軽くなる。これをくれたエルクディアはといえば、静かに辺りを警戒している様子で、シエラの方を見ようともしていなかった。
 魔気はない。なにかが動いた気がして目を凝らしていると、ドレスを身に纏ったかのような魚が目の前を横切った。あれはアビシュメリナでシルディに教えられた、肺呼吸をする魚だ。そのままついていくと、シルディの言った通り、空気に満たされた場所が現れた。天候の影響か、腰のあたりまで水かさはあるが、波はないので動きに問題はない。
 力を蓄えるためにもテュールの気泡から出ると、幼竜は泳ぐルチアの頭の上にぺたりと腹這いになった。毒を喰らったせいか一時期はルチアをひどく警戒していたテュールだったが、ルチアがシエラに懐いているのを見て以来、こうして少女にも甘えるようになった。愛らしい少女と小さな竜の交流は、なんとも微笑ましい光景だ。

「リオン、大丈夫なのか? 足が悪いんだろう?」
「大丈夫ですよ、後継者様。少々不恰好ですが、走ることもできますから。これくらいではなんとも。いざとなれば、泳げますし」
「ルチアは?」
「ルチアもへーきだよぅ。ありがと、シエラ〜」

 とはいえ、シエラの腰のあたりまで水位があるとなれば、ルチアはずっと泳ぎっぱなしということになる。リオンが支えているからさほど疲れることはないだろうが、それでも疲労は溜まる一方だろう。
 シルディの書き記した地図とルチアの記憶を頼りに――とはいっても、ほぼ一本道だったが――進んでいくと、さらに水位が低くなってきた。膝のあたりまでになり、ルチアも泳ぐのをやめて水を掻き分けるように進んでいる。
 どれくらいの時間が経ったろうか。冷えた体を抱えて身震いした頃、ライナがなにかを見つけてあっと声を上げた。

「どうした」
「エルク、あれ。見えますか? あそこに通路があります。向こうでなにかが光っているみたいなんですが……」

 ライナの示す場所まで行くと、確かにそこには細い通路のような隙間があった。人が一人通れるかも怪しい狭さだ。一度明かりを消すと、確かに向こう側からぼんやりと光が漏れてくる。妙な気は、この向こうから流れてきていた。
 どこか他から回り込めないかと散策してみるが、進んだ先はいくつも枝分かれしていてどれが正しい道か分からない。隙間まで戻ってくると、まず最初にテュールがするりと向こう側に抜けていった。

「テュール!」
「あ、ルチアも行く〜!」

 体を斜めにして難なく隙間を通り抜けたルチアの笑顔を、テュールの尾の明かりが照らし出す。

「まったくもう……。一応、試してみますか」

 まっすぐではない隙間に合わせて体を反らしつつ、ライナは横歩きで隙間を抜けていった。「おお」と思わず歓声を上げたシエラとエルクディアに、向こう側から声がかけられる。その遠さから、結構な距離があるらしいことが推し量れた。
 ライナが行けたのだ。身長こそあれ、そう体型は変わらないシエラが同じように体を横にして歩を進めたのだが、途中で無理だと悟って引き返す。

「あれ、シエラは無理だったのか? ……まあ行けたとしても、戻ってこさせるつもりだったけど」
「私も行けると思ったんだが……。――ライナ、すまない! 胸がつかえて行けそうにない!」

 真実のみを述べた言葉に、エルクディアが「げっ」と言い、リオンが勢いよく噴き出した。それを疑問に思う間もなく、洞窟内にわんと響く大きさで声が返ってくる。

「わっ、わたしだって、ギリギリだったんですから!! ――っ、シエラのばか! 少しそこで待っていてください! わたしは軽く様子を見てきます!」
「……エルク、なんでライナは怒っているんだ?」
「いや、まあ、うん。――おーい、ライナ! なにがあるか分からないんだ、軽く見たらすぐに戻ってこいよ!」
「分かってます! 行きますよ、ルチア、テュール!」


+ + +



「クレメンティアのおっぱいって、確かにルチアとあんまり変わんないねぇ」
「変わりますっ!!」

 噛みつくように怒鳴り返してから、ライナは恥ずかしくなって顔を背けた。あの場にはエルクディアもいたのに、こんな話題に反応するだなんて。無邪気にはしゃいで隣を歩く少女を見ていると、どうにも調子が狂う。
 ランプで足元を照らして一歩一歩慎重に進んでいくライナとは違って、ルチアは軽々と歩を進めてく。濡れた地面は滑りやすく歩きにくいはずなのに、この身軽さはどうしたことだろう。溜息交じりに進んでいくと、曲がり角が見えた。先ほど外から見えた明かりは、どうやらこの角を曲がったところから漏れているらしい。

「ルチア、下がって。わたしが確かめます」
「え〜? でも、ルチアも見たーい!」
「安全だと分かれば、ついて来ていいですから。ここで待っていてください」
「……はぁい」

 ルチアにランプを手渡し、テュールを連れてライナは恐る恐る壁に張り付いた。音は聞こえない。魔気もない。呼吸するように明滅を繰り返す明かりに、心臓の音が大きくなっていく。大きく息を吐き、勢いよく飛び出した瞬間――ライナの体は、薄緑の光に包まれた。


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