15 [ 393/682 ]


「とても、お優しいお兄様でしたでしょう」
「うんっ! それも占いで分かるの?」
「いいえ。この世でも、か弱き赤子が親から捨てられるのは、そう珍しくないとお聞きします。運よく拾われた赤子でも、己の生まれた日を知る者などほとんどいない」

 ライナとエルクディアが、はっとしたようにルチアを見た。シエラの胸がざわつく。――ああ、そうか。確かに、そうだ。
 きょとんとするルチアの頬を撫で、ヒナナは切なげに微笑んだ。

「あなたのお兄様は、あなたの生まれた日を覚え、きちんと伝えてくださったのですね。あなたが生まれたことを、誰かに祝ってもらえるように」

 笑顔のまま、ルチアが固まっている。どういうことか、よく分からないのだろう。
 ルチアとファウストがどのような扱いを受けてきたのか、シエラは知らない。どうして捨てられたのかも分からない。親に捨てられるということは、誕生を否定されたようなものだろう。
 捨てられた子供にとって、誕生日が祝われる日だとすんなり認識できる者はそういない。けれどルチアは、誕生日を問われて、迷うことなく「お祝いしてくれるの?」と訊ねることができた。
 誕生日は、祝いの日。そう当たり前のように思っていられることがどれほど幸せなことなのか、シエラは今この瞬間まで気づけずにいた。

「だってにーさまは、とってもやさしーもん。それで、ねぇ、ヒナナ。ルチア、にーさまに会える? にーさま、すぐに見つかる?」
「……そう、遠くはない未来に」
「やったぁ! シエラ、ルチア会えるって! 楽しみだねぇ!」

 無邪気に笑って飛びついてくる小さな体が、やけに重たく感じた。
 どこか苦しそうに眉を寄せたヒナナが、翡翠の珠を握って唇を舐める。彼女はおもむろに自分の頭から鈴のついた飾り紐をほどくと、袂からもう一つ鈴を取り出し、紐に通してルチアの手首にそっと巻きつけた。チリン。愛らしい音が鳴る。

「一つ、言わせていただくのならば」
「なぁに?」
「――あまり、夢は見ませぬよう。でなければきっと、どちらも苦しむことになりましょう。占いには、胸を突かれるような痛みを感じるとあります。……あくまでも、占いですが」
「ん〜? でも、にーさまには会えるんだよね。じゃあきっとだいじょーぶだよぅ。ヒナナ、ありがとー」

 ヒナナは胸元に珠を仕舞うと深く一礼し、今度こそ振り返らずに宿を出ていった。はっとして追ってみたが、宿の外にはもう誰の姿も見えない。夜の闇に消えただけなのか、それとも、彼女の言うように巫女としての不思議な力があるのか。
 シエラ達も用意された部屋に戻り、床についた。
 睡魔に意識を絡め取られ、しがみつくルチアを抱いて眠りにつく直前、エルクディアとライナの緊張した話し声が聞こえたような気がした。彼らはいったい、なにを話しているのだろう。
 
 小さな鐘の鳴る音が、シエラの意識をまどろみの中へと誘っていった。


+ + +



 翌朝、イコルザの村を散策してみたが、呪詛らしきものは見つからなかった。ドミロテの山からもなにも変わった気配はない。念のため山からの湧水に浄化を施したが、それでなにかが変わった様子は見られない。
 やはりここも外れだったのか。大人しくロルケイト城へ戻ろうとしたシエラ達をルチアは「遊んで行こうよぅ」と駄々を言って困らせたが、ライナが窘めて帰路へとついた。
 ルチアが乗ってきたという青毛の軍馬はとても足が強く、ぬかるんだ道もものともしない逞しい馬だった。聞けば、シルディの馬だという。

「戦場に出ても存分に活躍できる馬だな。水路を渡るのにも慣れてそうだし。……少し、もったいない気もするな」

 なにがもったいないのかと聞いてみたが、雨音に掻き消されたのか、エルクディアはなにも答えなかった。雨脚は緩まらない。半日近くが経ち、ざあざあと音を立てて体を叩く雨粒にいい加減辟易してきた頃、ロルケイト城の城門が見えてきた。



「おかえり、クレメンティア。どうだった?」
「これといって収穫はなにも。ただ――……、あ、いえ、これはあとでお話します。それよりシルディ、お仕事の方は大丈夫ですか?」
「うん。レンツォの具合も良くなったみたいだし、神官さんや歴史の専門家とも話し合って、いろいろ目星をつけてたところなんだ。それで、クレメンティア達が帰ってきたら教えなきゃと思って」

 案内されたシルディの執務室には書類の山が増えていたが、そこに控えていたレンツォの顔色は数日前よりも随分と良くなっていた。体調を慮って声をかけると、本人はどこか不服そうにしていたが。
 焦げ茶の執務机の奥の壁に貼ってあった海図には、破れた痕があった。あの裏には、ロルケイト城からの脱出通路があるのだ。シエラ達はそこを通って、この城から抜け出した。
 そんな回想を読み取ったのか、レンツォがすかさず「あの道は塞ぎましたよ」と言ってきた。それもそうかとは思うものの、小馬鹿にしたような物言いに腹が立つ。

「レンツォ、もう起きてだいじょーぶなの?」
「ええ。二日も眠らされていれば良くなりますよ。それより、今から大事な話しますから少し静かにしていなさい」

 長椅子を勧められ、シエラ達は横並びに座った。低い長机を挟んだ向かい側に、シルディとレンツォが座る。広げられた地図には、たくさんの走り書きと共に大きな丸が記されていた。

「時間が惜しいから結論から言うね。総合して考えると、ここが一番怪しいと思う。ディルート南東、エルトルリアにある水中洞窟。鍾乳洞になってる。ここね、昔は祭事のために設けられた祭壇とかがあったんだって」
「また水中か……?」
「大丈夫だよ。確かに入り口は海中にあるし、しばらくそれが続くけど、先に進めば空気のある洞窟になってる。岸壁の上の方に穴が開いててね、そこが空気の通り道になってるみたい。潮の満ち引きでも大分変わるけどね。僕も何度か行ったことがあるくらいだから。――途中までだけど」

 洞窟の見取り図を描いていたシルディが、突如その手を止めた。

「途中までって、どういう意味なんですか?」
「潮の満ち引きで変わるって言ったでしょ? 水の入り込む場所と、そうでない場所。それが時間によって変化するんだ。中は迷路みたいに入り組んでるし、毎回ルートが変わるから、正確な地図が描けないんだ。帰りのことも考えたら、途中までしか行けない。特に今はこの雨だから、船で近づくのも難しいと思う。……でも、着いてしまえば、クレメンティアとテュールがいるなら問題はないかなあ」
「地図なしの水中洞窟で探索か。いい思い出はありませんね」

 エルクディアが苦く笑ったが、シルディは真顔のまま机の上に腕を組んだ。金茶のふわふわとした前髪が、彼の目元に影を落とす。そうしていると、まごうことなき城主の姿に見えた。
 シルディの丸く整えられた爪先が、ゆっくりと地図をなぞった。


[*prev] [next#]
しおりを挟む


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -