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 レンツォ・ウィズが過労で倒れた。
 あれほど忙しい毎日を送っていたのだから、それも無理はないだろう。シルディもレンツォに城を任せることができなくなり、執務室に籠もりきりになっている。倒れてから丸二日眠り続けているとの報告に、なぜかリオンが満足そうにしていたのが気になった。
 ともかく、シルディ抜きで呪詛の在処を探っていたシエラ達だったが、今日足を運んだ場所も異常はなかった。魔鳥が三羽ほど現れたがそつなく祓い、怪我もなく無事に城に戻ってきた。
 風呂に入って温まり、神父服とは違って動きやすい寝着に着替える。侍女達はしきりにひらひらとしたネグリジェを勧めてきたが、どうにも落ち着かないため、シエラが選んだのはゆったりとしたシャツとズボンだ。その上に分厚いガウンを羽織り、雨音の止まない窓の外をぼんやりと見つめていた。
 シエラ達に与えられた部屋には、浴室も用意されている。今はちょうどエルクディアが体を温めていることだろう。運ばれてきた紅茶を嗜んでいると、それが冷める前にエルクディアが上がってきた。濡れた髪を乱雑に拭いている姿は、日頃の凛とした雰囲気とはかけ離れている。

「今日も外れだったな。だが、ライナが以前よりも素早く祓えるようになったと言っていた。どうだ、私も少しは成長しただろう」

 見事に一撃で魔鳥を仕留めたシエラを、ライナは手を叩いて褒めそやした。だから得意げになってそう言ったのに、エルクディアはなにも答えない。ただこちらをじっと見ているだけだ。
 途端に恥ずかしくなって、シエラは頬を赤くさせながら彼を睨み上げた。

「なっ、なにか言え!」

 空になったカップを円卓に戻し、シエラは脇にあったクッションを棒立ちのままのエルクディアに投げつけた。アスラナでは優秀な騎士で通っている男のくせに、無様に顔面にそれを受けてぱちりと瞬いている。呆けていた新緑の瞳が、ふいに光を取り戻した。その変化に違和が生じる。彼はこんな、どこか遠くを見つめるような目をしていただろうか。
 エルクディアから投げ返されたクッションを受け取って、それを抱いたままシエラは言葉を探した。

「……あ、そういえば、この前、ライナと二人でなにを話していたんだ? ほら、ルチアが私の部屋で寝ていた日」
「あの日か。いろいろだよ。帰国の目安とか、いろいろ」
「ふうん……」

 誤魔化されているのは分かった。だが、これ以上の踏み込み方が分からない。

「お前は? あの子供となにを話していたんだ?」
「家族の、話を。ルチアの兄の話を聞いた。それから、私とレンツォが一緒だとも言っていたな」

 ファウストとレンツォの話題に、エルクディアが苦い顔をする。

「一緒って?」
「ルチアに対し、同じことを言ったそうだ。……なあ、エルク。ルチアのこと、すべてを許せとは言わない。だが、せめて嫌わないでいてやってくれないか。あれはまだ子供だ。善悪の区別もついていない。もちろん、エルクにやったことは私も許せないが、でも」
「……シエラは、それを望むのか?」
「え?」

 穏やかな声に、顔を上げた。
 いつの間にかすぐ近くに立っていたエルクディアが、痛みを押し隠すような微笑でそこにいる。望むのか。そう問われて、なんと返せばいいのか分からなくなった。
 シエラが望むから許すのではなく、自然とエルクディア自身がルチアを受け入れてほしい。兄を求めるルチアと自分を重ねていたことをたどたどしくも話すと、エルクディアは「そうか」と一言だけ言って、シエラの頭を撫でた。

「分かった。努力する。でも、約束はできない。安心しろ、殺気を向けるような大人げない真似はやめるよ。気を遣わせて悪かった」

 正直に言えば、ヴォーツ城でエルクディアがどんな目に遭わされたのか、シエラは知らない。ひどい目に遭ったのだろうことは想像がつくが、正確なところは分からない。
 彼が与えられた痛みも知らずに許せとは、なんと傲慢なことか。そうは思うけれど、あの小さな子供が憂いている姿を見るのは忍びなかった。

「……いや。ありがとう。――明日は、ルタンシーン神殿へ行くんだったか。蓼巫女との面会だな。そろそろ寝る。朝になったらまた起こしてくれ」
「あ、ちょっと待ってくれ、シエラ。渡したいものがあるんだ」

 寝室へ向かおうとしていたシエラを引き止め、エルクディアはなにかを取りに行った。戻ってきた彼の手には、手のひらよりも小さな紙袋が握られていた。
 そのまま渡されて、袋を開けるように促される。チャリ。手のひらの上に逆さにして中身を出せば、袋の中からは、音を立てて細い鎖が滑り落ちてきた。その中に埋もれるように、小さな丸い珠が輝きを放っている。

「……これは」
「前に街で見かけて、どうしてもシエラにあげたくて。ロザリオがあるから、邪魔かとも思ったんだけど、つい」

 細い鎖を摘み上げ、シエラは珠を蝋燭の炎にかざした。これでは色がよく分からない。「<風霊、火霊、白い光を頼む>」口から零れ落ちたただの願いに、精霊達がからかうように頬を撫でたのが分かる。『仕方ないなぁ』軽やかな笑声がシエラの耳にだけ届き、蝋燭の炎が赤から白へと変わり、まるで昼間のような明るさが室内を満たした。
 改めて見ると、小さな石の珠は深い海のような青色をしていた。石の中になにかを含んでいるのか、ところどころ、澄んだ淡い青になっており、まるで深海に差し込む光のように見える。珠と鎖を繋ぐ上部には、植物の葉を模した装飾が施され、珠に沿って蔦が絡んでいるようになっていた。
 さらに、小指の爪の先ほどの大きさの石が三つ、青い珠に寄り添うように取り付けられていた。一つは、澄んだ淡い紫の石。これは紫水晶だろうか。もう一つは、不透明の、黒にも見える深藍の石。そしてもう一つが、丸ではなく、尖った形のまま揺れる新緑の緑を思わせる石だ。
 角度によって色の濃淡を変える青い石は、海をそのまま閉じ込めたのかと思うほど綺麗だ。最も色が薄く、透き通った部分の青は、シエラの髪に少しだけ似ているような気がした。

「ホーリーブルーって言うんだってさ、その石」

 あまりの美しさに魅入っていたシエラの意識を、エルクディアの声が引き戻す。
 彼の目はシエラと同じように珠を見つめていたが、その瞳の優しさに、自分が見られているわけでもないのに頬が熱くなった。

「青を閉じ込めた、特別な石なんだって」
「これが、ホーリーブルー……」

 シルディが自慢げに言っていたことを思い出す。特別な青にしかつけられることを許されない、ホーリーを代表とする色。ホーリーブルーを名乗ることのできる青は、人々を幸福に導く色なのだとか。
 なるほど、これは彼が自慢したがるのも納得がいく。こんなにも美しい色ならば、国の誇りとなるだろう。
 石をじっと見つめていたシエラの手から、突然首飾りが奪われた。エルクディアが取り上げたのだ。

「受け取ってくれるか?」
「え、あ、ああ、もちろん」
「――よかった。じゃあつけてやるから、後ろ向け。髪も前にやって。……そう、ありがとう」

 言われるがままにエルクディアに背を向け、髪を片側に纏めて前に流す。目の前に両手が頭の上から降ってきたかと思えば、露わになった首筋に指先が触れ、むず痒かった。首のすぐ後ろで熱を感じる。喉元に浮いていた石がすとんと落ちて、鎖骨のすぐ下で揺れた。
 金具はもう留め終わっただろうに、うなじに感じる熱が離れない。
 不思議に思って振り返ろうとした瞬間、首の後ろから両腕を回されて、驚くほど強く抱き締められた。剥き出しの首筋に吐息が触れる。辺りは一瞬でふっと暗くなり、蝋燭の小さな炎がぼんやりと赤く室内を照らすのみだ。
 抱き締められているというよりは、後ろからしがみつかれ、縋られているような気さえした。深藍の軍服ではなく、白いシャツの袖が、胸の上で交差している。
 濡れた金髪が触れたところが、ひんやりとしていた。それなのに、とても熱い。このまま溶けだしてしまいそうなほどに。


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