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 見捨てることはできなかった。守らなければいけないと思った。それはきっと、ルチアに自分を重ねていたせいだ。
 シエラとて、叶うことならもう一度、リアラに――姉に、会いたい。腕の中の少女のように声を上げて泣くことはもうできなくなってしまったけれど、できることなら、こうして駄々を捏ねてみたかった。
 溢れそうになるものを必死で堪えながら、シエラはルチアを抱き締め続けた。
 妹がいたら、こんな気持ちになっていたのだろうか。



 しばらくしてルチアが泣き止むと、少女はけろりとした顔で「シエラはいいにおいがするねぇ」などと言ってきた。真っ赤に充血した目と鼻の頭が滑稽だったが、泣いてすっきりしたのだろう。すっかりいつもの調子に戻っている。
 相変わらずシエラの胸に体をぴたりとつけて、ルチアは少し眠たそうに欠伸をした。

「ねぇ、シエラは、きょーだいいる?」
「……姉が、一人」
「そっかぁ。仲いーの?」
「よかったと、思う。……もういない。随分前に死んだから」
「なんで死んじゃったの?」

 遠慮のない物言いは、子供だからなのだろう。変に気を遣わない問だったからこそ、シエラはすんなりと答えることができた。

「村を出て、魔物に殺された。神の後継者の神気に触れた者は、狙われやすいそうだ」
「……じゃあ、ルチアも?」
「怖いか?」
「ううん。へーきだよ。だって、ルチアの毒は魔物にだって効くもん」
「そうだな。でも、心配ない。今は神気を抑えることができている。誰かに影響を与えることはない」

 もう、自分のせいで誰かが襲われるのを見たくはない。
 どうしてあのとき、この力を持っていなかったんだろう。神気を抑えるすべを知っていれば、リアラは襲われることもなかったかもしれないのに。
 ぐっと唇を噛み締めたシエラを腕の中から見上げて、ルチアは「そっかぁ」と呟いた。

「さみしかったねぇ、シエラ」

 小さな手が伸びてきて、よしよしとシエラの頭を撫でていく。さみしかったねぇ。つらかったよねぇ。慰める言葉に、それ以上の他意はない。思わずなにかが込み上げてきそうになって、シエラはそれをルチアを抱き締めることで誤魔化した。
 「くるしいよぅ」途端に抗議の声が上がるが、今は離すことができない。頭を掻き抱いて、唇を噛む。何度も不恰好な呼吸を繰り返しているうちに、ルチアが「ルチアもう寝るからね」とふてくされた声を出した。
 ああ。それだけ返して、ほんの少しだけ力を緩める。シエラの胸元で、少女は幸せそうに笑った。

「シエラ、おやすみぃ」

 ――おやすみ、シエラ。また明日。
 優しい声が聞こえたような気がした。


+ + +



「ひっどい顔」

 城に戻るなりそう言われて、レンツォは無意識に舌を打った。振り向けば案の定、リオンが書類を片手に壁にもたれている。
 無茶を言ったシルディは無事に帰ってきたので、レンツォは城を開け、この一週間の間にディルート中を駆けずり回っていた。この雨の中、馬車など事故の元でしかないから、移動手段はすべて徒歩だ。もはや体力は底を尽きかけている。
 仕事は山のようにある。リオンに構う体力もなく、寝椅子(ソファ)に仰向けに倒れ込んだレンツォを見て、彼女は心底意外そうな顔をした。

「ちゃんと寝ているの?」
「死なない程度には」
「……そう、寝てないのね」

 足音が遠ざかったと思うと、しばらくして食器の触れ合う音と共にリオンが戻ってきた。香りからしてハーブティーだろう。どうやら気を遣われたらしい。だからこの大雨か。
 眠っている暇などない。ただでさえもばたついているホーリーで、呪詛なんぞが仕掛けられた。その辺りはまったくの専門外だ。レンツォではどうしようもない。神官や歴史家達に任せたのはいいが、その機関を動かすためには予算がいるし、その分の書類も増える。まったくもって、神は自分を殺しにかかっているとしか思えない。
 飲めば眠ってしまいそうだから、リオンが淹れたハーブティーは断った。寝ている暇などない。無論、レンツォがすべての仕事を任されているわけではないが、筆頭秘書官として他の文官よりも仕事量が多いのは避けられない。

「王都の様子は聞いてる?」
「さあ。この海ですからね。ポポ水軍だろうと無理には出られません。現在、ディルートは完全に孤立した状態です。そろそろ城の備蓄がどれだけあるのか、数の正確な確認をさせなければなりません。……王都と連絡は取れていませんが、おそらく、タルネットはバーニ大公が、ツウィはミシェル様が治めることになるかと」
「まあ、それは妥当ね。……けれど、バーニ大公はシルディ王子が国を継ぐことを、不安視していたような気がするけど」
「どうしたんですか? この頃、えらく言葉が優しいですね。不安どころか、不満でしょう」

 エドモンド・バーニは、今回の騒動にはまったく噛んでいなかった。ホーテンも、彼を懐柔することは難しいと考えたのだろう。
 バーニ大公は、ホーリーの第一王女殿下――数年前までは一の姫と呼ばれていた――、ラファエラ・ラティエの夫である。ラファエラはマルセル王の第一子でもあった。そして、年こそ離れているが、母を同じくするシルディの実姉でもある。つまり、バーニ大公はシルディにとって義理の兄にあたる。
 彼自身が王位を欲しがっているような様子は見られない。だが、シルディが王位を継ぐことは疑問視しているようだった。頼りない王子が王となるのなら、代わりに自分が――。そんなことも言い出しかねないだろう。真面目すぎる男は、時に面倒だ。
 この国の動乱が治まったわけではない。むしろ、始まったばかりだ。

「ねえレンツォ、これからどうするの?」
「どうすると言われても。この国のために、なすべきことをなすまでですよ」
「――この国の、ため?」

 リオンの声質が若干変化した。言外に「本当に?」と訊ねられ、苛立ちが募る。

「なにか?」
「あの人のために、生きているくせに」

 「えらく言葉が優しい」? 前言撤回だ。この女の言葉が優しいはずもない。
 苛立ちを隠さないまま睨みつけたところで、リオンが怯む様子はない。それもそうだ。彼女は元傭兵で、戦場を駆けていた女なのだ。レンツォよりも遥かに間近で生死を見つめてきた女が、疲れ切った文官の眼光程度に怯むはずがない。
 レンツォの腰のあたりに浅く座って見下ろしてくるリオンを寝転がったまま睨み、レンツォは唇を引き結んだ。まめの潰れた痕が残る指が伸びてきて、眼鏡を外される。

「少し寝なさい。くまがひどいわ」
「寝ている暇なんてないんですよ、私には。分かったらそれを返しなさい」

 言葉の途中で首を掴まれ、息を呑む。――しまった、油断した。抵抗しようと細い腕を掴んだが、悔しいことにびくともしなかった。空気を貪ろうとして大きく口を開けるが、まったくなにも入ってこない。
 じわりと生理的な涙が浮かんだところで、レンツォの意識は闇に呑まれた。



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