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「あと二年で、シエラがいなくなる……?」
「どうでしょう。もう少し、早いのかもしれませんね。アビシュメリナに、高位の魔族が現れた。彼らを――魔王を倒すとき、シエラは神になるのかもしれません。……倒さなければ、世界もろとも、あの子はいなくなる」

 どちらにせよ、同じ季節が廻ることが許されているのは、あと二回だ。それまでに、シエラは上手く力を使いこなし、魔王を祓えるだけの能力を身につけなければならない。だが、それは到底不可能なことのように思えた。
 ユーリも、青褪めたライナに小さく首を振っていた。「あの子の様子じゃ、間に合いそうにもないね」シエラには基本がない。どうして幼い頃から聖職者として育てなかったのか。そんな言葉は、音になる直前で呑み込んだ。
 いまさらユーリを責めたところでどうしようもない。焦ったところでシエラを追いつめるだけだ。今はただ、あの子の成長を見守るしかなかった。――それが、ただの現実逃避でしかないのだとしても。
 本当に、いまさらだ。分かっていたはずのことだ。それなのに、こんなにも苦しいだなんて。
 エルクディアには、別の痛みとなって深く突き刺さっているのだろう。ユーリにあれだけ恋情を抱くなと言われていても、それでも彼らは惹かれあった。その分の痛みは、ライナにはまだ理解できない痛みなのかもしれない。

「フラジーレ・フトゥーロ」
「……え?」
「神の後継者が守る世界のことを指すそうです。古代語で、“壊れやすく、儚い未来”を意味するのだとか」

 だとすればなぜ、神は後継に人の子を選んだのだろう。


+ + +



「眠れないの。一緒に寝てもいーい?」

 しつこく扉を叩く音で起こされて、目を擦りながら迎えた先にいたのは枕を抱えたルチアだった。下着の上に透ける布を羽織っただけの少女を、訳も分からないままとりあえず迎え入れてやる。ふわりと甘い香りが滑り込んできて、そこでようやく目が覚めてきた。
 先ほどまでシエラが横になっていた寝台に迷いなく腰かけて、ルチアはシエラが使っていた枕の横に自分のそれを置いた。どうやら本当に一緒に寝るつもりらしい。

「エルクはいないの?」
「ん? あ、ああ。――そうみたいだな。ライナも部屋にいる気配がないから、二人でどこかへ行ったんじゃないか」
「そっかぁ」

 ぼすんと横になったルチアは、あっさりと毛布に潜り込んでしまった。
 どうしたものかと思いながらも、シエラもその隣に寝転がる。甘えるように擦り寄ってきた小さな体に、ほんの少し肩が跳ねた。誰かと添い寝をするだなんて、幼い頃に姉として以来記憶にない。

「ルチアは、なんで私のところへ来たんだ? レンツォやシルディの方が、いいだろうに」
「レンツォは忙しそうにしてたから、だめなの。シルディもお仕事。みんなバタバタしてるから、ルチアつまんなーい」

 ぷっくりと膨れた頬も、つんと尖った小さな唇も、どちらもとても愛らしい。幼い子供だ。けれど、そんな彼女の唇がシエラやエルクディアに触れたことを思い出すと、複雑な気持ちになった。
 この唇は毒をそそぐ。無邪気に、死をもたらす。

「……シエラは、ルチアのこと嫌い?」

 そんなシエラの空気を感じ取ったのか、ルチアはシエラの胸元に額を押しつけて小さく問うてきた。

「嫌いではない。だが、なんというか……」
「怒ってる?」
「……すべてを許せるわけではない。そうは言っても、お前自身のことが嫌いなわけじゃない」

 上手く説明できないのがもどかしい。見上げてくる大きな瞳は、何度か瞬いたあとで、安心したように細められた。
 そのまま腹に腕が回されて、やんわりと抱き着かれる。べたべたと甘えられて、引き剥がそうにも、どうすればいいか分からず身動きが取れない。両手をどこに置いたらいいのかも分からず、シエラはただただ困惑した。

「レンツォといっしょだねぇ」
「え?」
「レンツォもね、ルチアに言ったんだよぅ。ルチアのしたことが全部許されるわけじゃないけど、それでもレンツォはルチアのことが好きなんだって。嫌いにはならないって、言ってたの。だから、シエラとレンツォはいっしょだねぇ」

 少し意味合いが違うような気もしたが、嬉しそうに微笑むルチアに水を差す気にもなれなかった。
 頭を摺り寄せてくるルチアに、置き場に迷っていた手を添えてみた。赤紫色の髪をそっと撫でてみる。柔らかい髪が指の間を擦り抜け、そのたびに少女は甘く喉を鳴らした。

「ぜんぶ許されなくってもね、嫌われないなら、それでいーの」

 嫌われるのは怖いから。
 猫のように喉を晒したルチアが、そんなことを言った。それはいったい誰に向けられた言葉なのだろう。シエラか、それともエルクディアか。彼は未だにルチアを許してはいない。少女が強い怒気に怯えているのは、目に見えて分かった。
 エルクディアのことかと問えば、ルチアは曖昧に首を振った。肯定とも否定とも取れるそれに、シエラが首を傾ぐ。

「……にーさま、怒ってるかなぁ」

 どくり。跳ねた心臓を、ルチアは感じ取っただろうか。
 ファウスト・カンパネラは、今や国に追われる身だ。第二王子を殺害し、王の暗殺を企てた反逆罪で国中に手配されている。見つかれば処刑は免れない。シエラにとっても、忌むべき相手だ。幼い子供の身でありながら、恐ろしいほど速く、そして残酷に、命を狩り取っていく死神のような少年だった。
 シエラの胸元をぎゅっと掴んで、ルチアは震える声で言った。

「ルチアね、ホーテンさまのことも、ベラリオさまのことも、大好きだったんだよ? でもね、ルチアの一番は、レンツォだったの。にーさまはね、一番とかそーゆーんじゃなくって、んー……、一番より、もっと、ずぅっと一番だったの」
「ずっと、一番?」
「そう。だからね、ルチアがレンツォのとこに来ても、にーさまも来てくれるんじゃないかなぁって、思ってたの。でもね、にーさまの一番はホーテンさまだったから。……あんなに怒るなんて、思わなかったの」

 発狂したファウストの姿を思い出す。
 女神のようにさえ見えた美しい顔を歪ませて、少年はルチアを「裏切り者」と詰った。そこには明確な殺意さえ見えた。
 しがみついてくる小さな体を、恐る恐る抱き締めてみる。より一層強くしがみつかれて、シエラはなにかを思い出した。

「……ホーテンさま、死んじゃった」

 なんと返したらいいか分からず、シエラは答えることができなかった。
 つきりと胸の奥が痛む。

「ルチアにはレンツォがいたけど、にーさまにはホーテンさまだけだったんだねぇ。ルチアね、にーさまとやくそくしたんだよ。ずっといっしょにいようねって。でもね、やくそく、やぶっちゃった」
「……そうか」
「ホーテンさまがいなくなったら、にーさまにはルチアしかいないのに。……にーさま、ひとりぼっちになっちゃったよぅ」

 小さな体を震わせて、ルチアは大粒の涙を零して泣いた。押し殺そうともしない泣き声が、シエラの胸元に吸い込まれていく。離すまいとしがみつかれて、甲高い大きな泣き声に飲まれて、シエラは思い出す痛みに眉を顰めながら、その体を抱き締めた。
 強く抱いて、頭を、背を、ゆっくりと撫でる。耳元で何度も「大丈夫だ」と囁けば、そのたびに泣き声が大きくなった。「にーさまに会いたい」嗚咽交じりに吐き出された言葉に、思わず「私も」と返しそうになって、息を呑んだ。


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