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「あの子の実力は知っているでしょう。……だから、私達ではなく、あの子が選ばれたのよ」
「……まぁなー。わかってっけどよ。でもアイツ、魔術はからっきしダメだし」
「でも、私達より遥かに強いわ」
「それに、悔しいけどシャイリーもいるしな。大丈夫か」

 ラヴァリルの実力は、近くにいた自分達がよく知っている。短銃を片手にくるくると舞うように跳ね回り、獲物を仕留めるその姿は圧巻だった。重さを感じさせない軽やかな身のこなしも、接近戦を得意とするサリアですら目を瞠るものがある。
 あの子はきっと、この学園の誰よりも強い。確かにそう思うけれども。

「そういやミューラ、アンタの男って聖職者なんだろ? そっちはいいのか?」
「いいのかって、なにが?」
「だから、その……」
「ふふ、冗談よ。分かってる。――確かに、もしかしたら私達は敵同士になるかもしれないけれど、その辺りはお互い承知の上で付き合っているわ。『邪魔だと思ったら殺しちゃうからね』とも言ってあるし」

 サリアは一度しか見たことがないが、ミューラの隣に立つ男は鮮やかな銀の髪を持っていた。聖職者と魔導師。その関係がけしていいものではないことくらい、誰もが知っている。それでも好きあった二人は、今の状況をどう見ているのだろうか。
 あっさりと恋人を殺すと言ったミューラの本心は分からない。彼女ならば、本当にやってのけそうだ。
 珍しく、聞いてもいないのにミューラが語り始めた。「彼ね、祓魔師なのよ」水面を撫でるように手を滑らせて、うっすらと微笑む。

「初めて会ったのは、魔物退治のとき。私がハーピーに苦戦してたら、後ろからあっさり奪われちゃって。ムカついたから鞭で太腿抉ってやったの」
「……それでよく付き合ったな。相手、そーゆーシュミか」
「まさか。むしろ逆だったわ。叩いた瞬間、にーっこり笑ってね。サリアの言うとおり、そっちの趣味なのかしらと思ってもう一度叩いてやろうとしたら、素手で鞭を掴んで引きずり倒されたのよ。そのまま笑顔で首を絞められて、殺されるかと思ったもの」
「もう一回言うけど、それでよく付き合ったな」

 確か、ミューラの愛用する鞭には無数の棘がついていたはずだ。それを生身の人間が受けて――彼女ははっきりと「抉った」と言った――、無事でいられるとは思えない。しかもそれを素手で掴んだという。どんなバケモノかと、自然と口の端が引き攣った。
 全身が温まり、息苦しさを感じてきた。湯から上がろうと腰を浮かせれば、ミューラが一足先に上がっていく。冷たい水で顔を洗えば、気分がすっとした。

「私達、多分殺し合いがしたいのよ」
「はぁ?」
「肉を抉って、骨を砕いて。最後の血の一滴まで飲み干して、自分の物にしてしまいたいの。それができないから、代わりに肌を合わせるのよ。素敵でしょう?」
「アタシにゃ分かんねーわ、それ」

 恋愛観など人それぞれだ。サリアがどうこう口出しできるものではないのだから、否定する気はない。だが、それにしたって物騒な恋人同士だと思う。殺し合いたいという感覚は理解できそうにないが、それだけ誰かに思い入れることができることには、純粋に感心した。
 濡れた髪を絞るミューラの脇を抜けて脱衣場へ向かおうとしたところで、目の前の扉が勢いよく開かれた。制服を着たままの後輩が、サリアと目が合うなり倒れ込むように膝を着き、息を切らせながらなにかを言った。

「え、なんて? わり、聞こえなかった」

 裸のまま座り込み、耳を近づける。ミューラもどうしたのかと不思議そうに見下ろしている。

「ラ、ラヴァリルさんと、リースさんが帰ってきました……!!」 

 息を切らしつつ叫ばれた言葉に、一瞬すべての音が消え去った。すぐさまミューラと視線がかち合う。肩を叩いて礼を告げ、体を拭くのもそこそこに、二人は大浴場を飛び出した。
 赤が走る。
 すべては、その始まりのために。


+ + +



 雨が止まない。ぬかるんだ山道は非常に歩きにくく、ファウストの怪我がなかなか癒えないのも、この雨のせいだった。
 突然出会ったヒナナという少女は、ひどく変わっていた。槍を向けられても逃げないどころか治療すると言い出し、傷が癒えるまでは面倒を見ると言って聞かない。
 見た目は自分とそう変わらない年に見えるが、あまりの落ち着きぶりに、自分のことは棚に上げて一体いくつなのかと聞いてみた。彼女はあっさりと「二十六です」と答えた。からかうなと再び槍先を向けたのだが、彼女は落ち着き払った様子で強く「二十六です」と言い放った。

「お前、魔女か」
「いいえ。ですが、少々歳を取りにくいようではあるようです」

 自分よりも遥かに年上の女性は、包帯を変えながらほっと息を吐いた。

「ああ、少し良くなってきていますね。お薬が効いているようです。もう少しで走れるようになりますよ」

 元は医官のような仕事をしていたと言うだけあって、ヒナナの処置は適切だった。少ない持ち物の中身は、ほとんどが薬や包帯なのだという。
 岩陰や小さな洞窟で雨を凌いで夜を明かし、数日が過ぎた。ヒナナは湯を沸かし、傷口を治療し、薬を煎じ、携帯食と野草と煮込んで食事まで作った。膿んだ傷が原因で発熱して眠れないファウストに、額の汗を拭いながら異国の言葉で穏やかな歌を歌って聞かせた。どうして刃を向けた他人にここまでするのか、到底理解できない。理解できないけれど、次第に癒えていく傷口を見ながら、ファウストは波打つ金茶の髪を思い出した。
 ホーテンも、傷ついたファウストを拾って手当てしてくれた。「どうしたの、痛そうだねぇ」のんびりとした声が耳の奥でよみがえる。まだ赤子だったルチアを抱いていたファウストを見下ろして、彼は馬車の中から声をかけてきたのだ。

『ねぇ、この子、洗ったら綺麗になるだろうから拾っておいてよ』
『ホーテン様!? いったいなにを、』
『綺麗になったらぼくのところへおいで。そうしたら、かわいがってあげるから』

 犬や猫と同じ扱いだというのは分かっていた。それでも、あのとき差し伸べられた手は、ファウストにとって光だった。
 昔を思い出していることが通じたのだろうか。そんなはずもないだろうに、ヒナナは黙り込んだファウストを見て、ふんわりと笑った。子供の顔でしかないのに、浮かんだ表情は大人びている。それがひどく不思議だった。

「今日は、私の村の話でもいたしましょうか」

 ヒナナは、口数の少ないファウストの代わりにいろいろな話をした。ファウストにとってはさして興味のない話ばかりだったので、今まで彼女がどんな話をしていたのか覚えていない。どうせ傷が癒えるまでの付き合いだ。今回も聞き流そうと思ったのだが、まっすぐに見つめてきた目と目が合ってしまい、意識が奪われた。
 穏やかに、まるで歌のように紡がれていく言葉に、ファウストは自然と聞き入っていた。洞窟の外では、変わらず雨が降り続いている。
 ホーリーは水に恵まれた国ではあるが、長雨が続くことは珍しい。これはルタンシーン神の怒りを買ったのだともっぱらの噂だが、真実がどうかファウストには分からないし、どうでもいいことだった。ただ、こうも雨が続くと船が出ないので鬱陶しい。

「私の住んでいた村には、蛇神様がおられます。ある日、蛇神様は社(やしろ)に籠もられたきり、お姿をお見せして下さらなくなりました。私の村は、蛇神様の恩恵によって守られております。蛇神様がおられないと、田は荒れ、山は枯れ、川は氾濫してしまう。ですから、誰もが皆、蛇神様の気を引こうと必死でした」

 沸いた湯で茶を淹れ、ヒナナは微笑んだ。

「蛇神様は、我らを信じておられない。愛されもせず、ただ利用されるだけでは嫌だと、そう仰るのです。我らは皆、蛇神様を愛しておりますのに」

 洞窟の岩壁に頭を預け、ファウストは顔を背けた。やはり興味のない話だ。それでも染み込んでくる声に、耳を塞ぎたくなる。穏やかで優しい声は、あの人を思い出させる。頭を撫でる指先の感覚は、もう一生味わうことができないのに。
 赤紫の髪を梳いて、「きれいだねぇ」と笑ってくれる人は、もういないのに。

「まるで、あなたのようでらっしゃいます」
「――は?」

 唐突に向けられた言葉の意味が理解できない。

「とても美しく、そしてどこか近寄りがたい。人を寄せ付けないのに、どこかでそれを強く求めておられる。あなたは、我らが蛇神様とよく似ておられます」
「知った口をきくな!」

 かっと怒りが駆け廻り、脇に抱えていた槍でヒナナが持っていたカップを弾き飛ばした。ガシャンと音がしたから、割れて粉々になったのだろう。首筋にぴたりと刃を添えても、ヒナナは怯えた様子を見せなかった。ファウストと似て非なる漆黒の双眸が静かに見つめてくる。

「これがあなたの望みなら、どうぞそうなさい。蛇神様と同じ道を歩まれるがいい。なにも見ず、なにも聞かず、なにも信じず。心を閉ざし、孤独に浸り、すべてから逃げ出して、そうして愛を求めて嘆きなさい」
「訳の分からないことをごちゃごちゃと……っ! 黙れ、この世に神などいるかっ! そんなもの、いてたまるか!」
「いいえ、おられます。神々は、いつも我らの傍に」
「だったら!! ――だったらなぜ、神はぼくの世界を壊す!」

 蒼い髪の神の後継者は、ファウストが抱いていた世界を叩き壊した。
 神などいない。いてたまるか。
 震える声で叫んだファウストを見上げ、ヒナナは手でそっと槍先をどかせて立ち上がった。牽制など無視して前に立った女に、しゃがむと同時に視界を奪われる。
 抱き締められたのだと気づいたそのとき、ファウストは言葉にしようのない焦りを感じて、その体を突き放そうと両手を突っ張った。しかし、小さな手のひらに頭を撫でられ、全身から力が抜けていく。
 ぎゅっと頭を抱え込まれて、耳元にはあたたかい呼気が落ちてきた。



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