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「今後は、できるだけ理由を説明してから無茶を言って下さい。シエラもシエラです。わたしの結界を勝手に解除するだなんて、もう」
「わ、悪かった。まさか本当にできるとは思っていなかったんだ」
「わたしも、そんなことが可能だなんて思ってませんでしたけれど……。でも、確かに理論上では可能なんですよね。シエラの方が神気が強いわけですし、精霊はより強い術者に従いますし」

 「なるほどな」とエルクディアが頷く。その傍らで、ルチアが愛らしく首を傾げた。

「じゃあ、でーっかい魔物と戦ってるせーしょくしゃの結界を勝手にといて、ジャマしちゃえるんだねぇ。たのしそーお」
「ルチア!」
「ひゃうっ! そんなに怖い顔してどぉしたの、クレメンティア。どーせルチアにはできないもん、怒んないでよぅ」

 ぷうっと頬を膨らませる姿は子供のそれでしかないのに、言葉の内容はぞっとするほどおぞましいものだった。
 まさかそんなことをするような聖職者がいるとは思いたくないが、だが、聖職者のすべてが善人ではない。中には高額な依頼料をふんだくり、払わなければ魔物をけしかけると脅しをかける者もいると聞く。
 ルチアの言ったことは、今まで聖職者があえて目を背けてきたことなのかもしれなかった。

「とりあえず、城に戻って秘書官に報告だな。シエラ、お前は風呂に入ってゆっくり休め。王子、ご多忙とは存じますが、呪詛の場所に心当たりがございましたら後程教えていただけますか」
「もちろん。水脈、地脈と縁が深い場所でいくつか候補を上げてみるよ。……レンツォのお説教が長引いたら夜中になっちゃうかもだけど、大丈夫?」
「ええ、何時でもかまいません。王子のお手すきの際にお願いいたします。遣いを下されば、すぐさま参上いたしますので」
「うん、分かった。――どうしたの、ルチア。そんな顔して」

 拗ねた表情のルチアに、シルディが困ったように眉を下げる。

「……なんで怒られるのか、わかんない」
「んーと。あのね、人を傷つけるのはいけないことなんだよ。だから、冗談でもそういうことは言っちゃいけないんだ」
「なんでぇ?」
「だって、悲しいでしょう? ルチアも、レンツォが怪我したら悲しいよね。人を悲しませるのはよくないから」
「でも、ベラリオさまは“いけないこと”が楽しいって言ってたよ? ホーテンさまだってそーだもん。なんであの二人はよくって、ルチアはだめなの?」

 ライナが苦しげに眉を寄せ、シルディが言葉を失った。
 許されなかったから死んだ。そう告げて理解できる年頃でもないだろう。ルチアはまだ子供だったのだ。良くも悪くも、純粋な。
 シエラは小さな頭に手を伸ばし、くしゃくしゃと掻き回した。子育てなどしたことはないし、妹もいない。小さな子供の扱いなど知らない。どうすればこの子供が倫理観を分かってくれるかなど、分かるはずもない。そもそも、自分の持っている倫理観が正しいのかも分からないのだから。
 だから、シエラはひたすらに小さな頭を撫で続けた。ルチアが痛いと言ってむくれるまで、ずっと。
 エルクディアも、ライナも、シルディも、誰もそれを止めようとはしなかった。


+ + +



 魔導師が集まるリヴァース学園は、アスラナ城の城下を抜け、外門を抜けた先に広がる草原をしばらく進んだ先に唐突に現れる。周りにはなにもない。結界用の杭や塔が遠くない位置に建てられているだけで、王都と呼べるかも怪しい場所に建てられた建物は、高い外壁に覆われていて中の様子を探ることは難しい。
 閉鎖的と言ってしまえばそれまでだが、敷地はそれなりに広さがある。森を模した訓練場もあるせいか、中に入れば息苦しさは微塵も感じない。
 出入りする際に、その高い壁の存在を感じる。まるでこちらとあちらを隔絶するかのようなそれは、自分達の在り方そのもののようにさえ思えた。

「あー、くっそ! 痛いと思ったら腫れてきやがった! あのクソ野郎!」
「口が悪いわよ、サリア。それに、貴女の自業自得じゃない。読みが甘いから背後を突かれるのよ」
「……アタシはアンタみたいにバケモノじみてないんでな」

 肩に食らった一撃は、そのまま熱を持って腫れ始めている。
 サリアは隣で汗を流すミューラの上体を盗み見て、思わず溜息を吐いた。相変わらず傷のない綺麗な肌だ。象牙色の肌を滑る水滴は、男が見ればすぐさま飛びつきたくなるだろう。薄茶色の波打つ髪が、ふっくらとした胸に張り付いている。

「なぁに。あんまり見られると恥ずかしいのだけれど。……もしかしてサリア、その気が……!?」
「ねぇよ! あれだけの数を相手に大立ち回りやっといて、綺麗なモンだなと思っただけだ」

 くすりと笑って、ミューラが大きな湯船に身を沈めた。学園内の大浴場には、サリア達と同じように、訓練後の汗を流しに来ている者がちらほらといる。リヴァース学園の女子の制服は暗い深紅が特徴的だ。皆それを脱ぎ捨て、肌を晒している光景はどうにも落ち着かない。
 サリアもミューラを追うように湯に浸かると、あちこちに作った小さな傷がしくしくと痛み始めた。涼しい顔で湯を掬う友人が恨めしい。

「犬型の魔物相手だと、まず脚を使えなくして動きを封じるのが常識でしょう。斬るなり折るなりしないと。拳で語り合う肉弾戦って、貴女、野蛮人じゃないんだから」
「野蛮人で悪かったな! つか、さり気にえぐいこと言うなよ」
「でも事実でしょう? まあでも、確かに速さはあるから、腹部を一気に真っ二つがいいのかもしれないわね」

 あちこちから骨を飛び出させ、歪んだ牙の隙間から赤黒い血を零していた魔物を思い出し、サリアは胃のむかつきを覚えた。洗い流したとはえ、浴びた体液の温かさはなかなか消えてくれるものではない。

「ワンコロの速さについていける奴なんざ、なかなかいないっての。普通、魔術で縛って動きとめて、そっからぶっ殺すだろ」
「でも、まどろっこしいじゃない」
「そんな真似ができんのは、アタシらん中じゃアンタかリルくらいしかいないっつーの! シャイリーですらそんな無茶せんわ!」

 叩きつけた拳が湯を跳ね上げ、ミューラにかかった。

「まったくもう。絶対にその方が早いのに」
「バケモノかっつの。あー……、それにしても、リルの奴大丈夫なのかね」
「どうかしら。つい先日も王都騎士団の人間が視察に来ていたようだし、そろそろ潮時なのかもしれないわね。理事長はなにも仰ってなかったけれど。まあ、貴女と違うから大丈夫でしょう」
「あァ!?」

 思わず吠えたサリアの顔にタオルを叩きつけ、ミューラはにっこりと笑った。鞭を使用武器としている彼女に持たせれば、濡れたタオルですら凶器になりかねない。これのどこが女神なんだか。学園内で美の女神だなんだともてはやされている友人は、女神どころかその対極にいそうな存在だ。
 タオルを取り上げて言葉を待てば、見惚れるような上品な仕草でミューラは髪を掻き上げた。


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