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「なるほどね。そろそろ子離れするにはちょうどいいんじゃなくて?」
「あんな馬鹿の親になった覚えはありませんね。死んでもごめんです」
「あら、陛下にケンカ売ってるの、それ?」

 「それにしたって、あの椅子って確か結構高いんじゃなかったかしら」レンツォが蹴り倒してきた椅子の値段を揶揄して、リオンは長机に腰かけた。文官のくせに膝まで覆う軍靴を履き、その足を優雅に持ち上げて、レンツォの肩に置いた。上司に対する態度とは到底思えないそれに、何度目か分からない舌打ちが空気を振動させる。
 シルディが神の後継者達と海に出ると聞いて、どうしてこの女はこうも嬉しそうにしているのか。考えるのも億劫だ。無駄な言葉遊びはしたくない。

「シルディ王子も、随分と我を通すようになられたのね」
「“なられた”? ハッ、あれは昔からそうですよ」
「あら、そうなの? 穏やかで大人しい王子様だと聞いていたけれど」
「穏やかで大人しくて聞き分けがよくて従順で、気が弱くて判断力がないから傀儡とするには最も適している。あれほど御しやすい王族もそういない。――そういう噂ですか?」

 左肩に乗ったリオンの足を払おうともせず、レンツォは吐き捨てるように言った。
 そんな話は腐るほど耳にしてきた。レンツォがシルディの傍にいるのは「そういう理由」だろうと言ってくる者など、珍しいものでもなかった。
 操りやすい、思い通りにしやすい王子様。中央の、老いた高官ほど、そう言って彼を嗤う。

「ええ、まあ。そういう噂ね」
「どこが。あれならまだ、第一王子の方がかわいげがありますよ」
「……あんなことがあったあとで、よくホーテン王子の方がかわいいって言えるわね」
「かわいいでしょう。あれも第二王子も散々駄々を捏ねてくれやがりましたが、どちらとも引き際と折れどころは理解していましたよ。それになにより、自分の不利になることは徹底的に避けてくださった」
「今回のシルディ王子の我儘は、彼にとっての不利にしかならないのかしら」
「下手をすれば死にます。行ったところでなんの役にも立ちません」

 リオンの爪先が、レンツォの側頭部を撫でるように動いた。

「陛下は、とんだ馬鹿息子共を育て上げてくださいました」
「呆れた。陛下にそんなことを言えるのはあなただけよ、レンツォ」
「だからなんだと言うんです。三人が三人、揃いも揃って大馬鹿者ばかり。“まったく似ていない三兄弟”? どこを見てる腑抜け共が。どいつもこいつも我儘で自分勝手、人の言うことなんざ聞きやしない。そっくりにもほどがある」

 ホーテン・ラティエは己の欲望のために、国そのものを利用しようとした。それを動かせるだけの頭と実力を持っていた。
 ベラリオ・ラティエが利用したのは武力だ。国が変わるためにはそれが必要だと考えたのだろう。そして、武力で変わった国を牛耳ろうとしていた。
 そして、最後はシルディ・ラティエだ。大人しい? ――笑わせる。確かに気性は穏やかだ。ホーテンのように笑顔で人を斬り捨てることもしなければ、ベラリオのように圧倒的な暴力で押さえつけることもない。だが、頑なで、強引で、こうと決めたら絶対に譲らない。いっそ愚かしいほどに。
 似ていないと言われている三兄弟に共通する我儘さは、王子という肩書が生んだだけのものではないだろう。
 すべては、マルセル・ラティエに通じている。

「かわいいかわいい王子様の我儘に振り回されて、優秀な秘書官さんは大変ね」

 足が肩から降りたかと思えば、靴の先で顎を持ち上げられた。普段は見下ろしているリオンの瞳が、高い位置から見下ろしてくる。足を浮かせた状態ではしんどそうなものだが、今でも鍛錬を怠らない彼女にとってはなんともないのか。つらそうな表情一つ見せず、ホーリーの民とは異なる顔立ちに笑みを滲ませ、彼女は首を傾けた。

「――それに、とっても嬉しそう」

 顎を持ち上げる足首を掴み、思い切り引き寄せる。長机から尻が落ち、背中を机の側面で削られることになったリオンが、思い切り顔を顰めた。レンツォの膝の上に乗り、肩を机に残したような体勢にされた彼女は、ホーリー語でも共通語でもない言葉でなにかを吐き捨て、レンツォを強く睨み上げてくる。レンツォには分からない言葉だ。昔、たまに聞くそれに、どこの国の言葉かと問うたことがあったが、彼女は心底困ったように「分からない」と答えた。嘘ではないのだろう。出自不明の彼女の記憶はあやふやだ。
 ――安っぽい正義感を振りかざす愚かな王子。これっぽっちも思い通りになりやしない。人の忠告は聞かないし、説得できないと思ったら迷いなく権力を行使する。あまりに陳腐なやり方だ。

「嬉しそう? 私が?」
「ええ、とっても。愛しくって仕方がないって顔してるわ。身内には甘いものね、あなた」

 掴んでいた足と支えていた腰から手を離せば、リオンの体はずるずると滑り落ちて床に尻もちをついた。擦った腰を痛そうにさすりながら、彼女は乱れた髪を整える。

「かわいいかわいい王子様が相手ですからね」
「そのかわいい王子様が怪我でもしないように、私が見張っていましょうか?」

 リオンの腕前は知っている。だが、レンツォは静かに首を振った。

「結構です。舞台は海の上ですから。船の揺れも相当でしょう。あなたの足では大した戦力になりません。それに、アスラナの騎士長が同行しています」
「あら、信用してるのね」

 レンツォはゆっくりと足を組み替え、その爪先で床に座り込むリオンの顎を掬った。

「私のかわいい王子様に怪我などさせようものなら、食い殺してやりますがね」


+ + +



 数日の間、城中の家臣達の誰もがシルディに考え直すよう説得を試みたが、彼は頑として譲らなかった。「城主代行をレンツォに命じた」と告げると、彼らは皆一様にして肩を落として、無事を祈る言葉を投げるだけにとどまったのだ。
 ぽえぽえ王子などと呼ばれている彼がこうも強引に自分の我を通すことに、シエラは驚きを隠せなかった。危険しかないはずなのに、どうしてそうまでして同行したがるのだろう。それも、あの男を怒らせてまで。
 船に乗り込む直前、船長に最後の説得されていたが、それすらも笑顔で跳ねのけて彼は船に乗り込んだ。荒れ狂う海の上で、ホーリーの次代を担う王子が、叩きつける雨に目を細めている。

「シルディ王子って、案外気が強いんだな」
「あの人はいつもそうです。普段はぽえぽえしているくせに、たまに強引で、強情で、……昔から、振り回されてばかり。本当に困った人ですよ」
「それくらいじゃなきゃ、王子なんてやっていけないのかもな」

 苦笑を漏らすエルクディアの言葉に、ライナは呆れたように目を細めてシルディを見つめていた。
 縁に立つシルディとルチアの周りを、船員が落ちないように囲んでいる。多少の荒波には慣れているのか、船が大きく傾いても彼は転ぶことなくしっかりとその場に立っているようだった。
 もうすぐ例の海域だ。星見の塔が見えてきた。今回は事前に結界で船を覆い、魔物を寄せつけないようにしてある。祓魔の際にも距離が開くことになるが、下手に海に引きずり込まれるよりはマシだろう。なにしろ、今回はシルディも乗船しているのだから、危ない橋を渡るわけにはいかない。代わりに、テュールはロルケイト城に残してきた。戦力は減るが、人魚の歌は神聖結界では阻むことができないのだから仕方がない。


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