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「オイ、とっとと開けねェとこの扉ブチ破んぞ」
寝台の中で赤子のように丸まっていたソランジュにとって、その言葉は焦りを生む以外の何物でもなかった。
もう何年も追い続けているのだから分かる。扉の向こうから聞こえてくる声は、本気そのものだ。
ソランジュとフェリクスが出会ったのは、騎士館の庭だった。優秀なアルオン家の落ちこぼれだったソランジュに、包帯の結び方を教え、道を示してくれたのがフェリクスだ。彼がいなければ、今のソランジュはない。尊敬以上の感情が胸の中には落ちている。
――会いたい。いつだって。
前にもこんなことがあった。あのときは、貰った首飾りをなくしてしまって、会うのが気まずくて逃げ回っていた。けれど今回は、そんなかわいいものじゃない。
どうしよう。手が震えた。声は本気だ。苛立ちが混ざったそれは普段よりも硬質で、低い。扉の前に恐る恐る忍び寄って、取っ手に手をかけて迷う。会いたいけれど、でも。
「さーん、にーい、いー」
「ッ!」
反射的に慌てて扉を引いていた。はっとして押し戻そうとするが、僅かな隙間に軍靴を捻じ込まれる。そうなってしまえばもう、あとは力で敵うはずもない。なにしろ相手は王都騎士団が誇る十番隊アスクレピオスの隊長様だ。強引に部屋に押し入ってきた熊のような大男は、後ろ手に扉を閉めると、仁王立ちでソランジュを見下ろしてきた。
俯いた頭が上げられない。目の前に、フェリクスがいる。それだけで胸が打ち震えた。十年だ。十年間、ソランジュはフェリクスだけを思い続けてきた。彼はそれを受け入れてはくれないし、困ったと言って溜息を吐くけれど、それでも完全に拒否してくれはしない。今だって、こうしてわざわざ部屋にやってきてくれる。
残酷なまでの優しさに、いつだってゆるゆると首を絞められている。
「よォ、たでーま」
「お、おかえり、なさい」
「長旅から帰ってきたっつーのに、まァた迎えねェのなァ」
「でも」と「だって」を繰り返し、ソランジュはますます小さくなった。伝わってくる怒りに声が震える。
「たく、なァんでそんなに落ち込んでんだ。……留守番あんがとな、嬢ちゃん。怖かったろ。よく頑張った」
その言葉で、フェリクスがもうすでに知っているのだと悟る。
当然か。ホーリーから帰国して、真っ先に向かわなければいけないのは王の元だ。事の顛末を聞くには十分すぎる時間と機会だろう。頭をわしゃわしゃと撫で回され、ソランジュは熱いものが込み上げてくるのを感じた。
耳元で爆ぜた音がよみがえる。掠めていった熱も。すべてが、鮮明に。
「ごめんなさい……っ」
「……は? ちょっと待て、なんで嬢ちゃんが謝んだ」
だって、と零したはずの声は言葉になっていなかった。
フェリクスが出立する前に、ソランジュは留守を頼まれた。期待などしていなかっただろうし、お決まりの文句だったのかもしれない。それでも、頼むと言われていたのは確かだった。シクレッツァにも、リースを頼むと仰せつかっていたのにもかかわらず、あの失態だ。情けなくて、悔しくて、どんな顔をすればいいのか分からなくて部屋にこもっていた。
それになにより、ソランジュの髪を数本散らし、頬を掠めたあの弾丸が持つ意味に気づかないほど、愚かではない。
「だって、止められなかった、んです。二人の、こと。ウアリ隊長にも、先生にも、頼むって、言われてたのに……! あた、あたしのせいで、魔導師と、戦争になるかもしれない、って……!!」
聖職者と魔導師の仲が悪いのは知っている。
魔導師の持つ銃が人を傷つけることはできないものだというのも。
それが覆された今、向かう方向が定まってしまったことも。
今回のことは、魔導師と聖職者の間にある亀裂を完全なものにさせたと言っていい。きっと、ホーリーから総隊長であるエルクディアが戻ってくれば、すぐにでも軍が動くだろう。どういった戦いになるのかは分からない。だが、戦いになれば、フェリクスが出ていくのは避けられない。
「あのな、嬢ちゃんはこれっぽっちも悪かねェだろーが。物騒なモンぶっ放したのはアチラさんだし、どう足掻いたって嬢ちゃんじゃ勝てねェ。あんな新兵器使われちゃ、ウアリの野郎が相手でもどうなってたか分かんねェよ」
「でもっ」
大好きな人を、みすみす危険に晒してしまったのだとしたら。
そう考えただけで血が凍る。大きな体にしがみつきたくても、自分にはその権利がないのだからもどかしい。悲しい。悔しい。ぐずぐずとみっともなく泣きながら、呆れたように頭を撫でる大きな手を感じることしかできない。
役に立たない自分が嫌いだ。